HAPPY 28th BIRTHDAY

  • 2017.12.29 Friday
  • 00:01
この間読んだ本の中で、とても心に残った文章がある。

本当に好きになると言うことは、あなたと一緒にいると心地良く、楽しい。あなたが大切で、会えるととても嬉しい。
でもあなた無しでも私は生きていける、と言うことだ、と。

これは正にメカラウロコであった。
私は多分、無意識に恐れていたんだろう。
大切な人を失った自分に、何の価値があるのかと。
私はどこかで生きる意味を私以外のものに託していたのだと思った。
それをされて苦しかったのは自分なのに。人間とは愚かな生き物だと改めて思った。

私や姉のために、人生の全てを投げ出すような振りをする母の事を大切にしなければと思いながらも、同時に全速力で逃げ出したかったのに。
絶対自分の子供には同じ事はするまいと思いながら、私もまた深層ではそう思っていたのだと気がついた。

私はいつもそうやって、愛する対象に自己投影をしていたのだろう。
頭や理性では切り離しても、それが愛だと染み付いたやり方で何かを愛して来たんだろう。
ウロコが落ちた今となっては、何て苦しい愛し方をしてきたのかと思う。

オトトキを見た辺りから、あれ?と思ってはいた。
イエローモンキーの、特に吉井和哉に対する私の感覚が変化してる?と感じた。
嫌いになったとか、飽きたとか言う事ではなくて、何というかきちんと私から切り離して見ていられる事に気がついたのだ。
そして今日ソロのファンクラブ向けのご挨拶動画を見て、再確認した。

私はちゃんと吉井和哉と言う人を、私の感情に引き入れずに見ることが出来ている、と言う事に。

何を当たり前な、と言われる事は重々承知だけれど、私にとっては何だか滝にでも打たれて雑念を振り払ったような気持ちである。

初めに私の心の裂け目から、イエローモンキーの音楽が入ってきたのだけど、それから後は自分から引き入れて、引き入れて、引き入れ過ぎて、一番ひどい時は吉井和哉になりたいとすら思っていた私が。

私が私でいていいのだと、そう信じ始めたら、徐々にだけれど楽になってきた。
街を歩いているだけで、心が擦り傷まみれみたいに何か傷ついた気持ちになる事が、少しずつ薄れてきた。
なんだか分からないけれど、少しだけ頑張ってきて良かったと思えるようにもなった。

そして私から切り離してみたイエローモンキーは、やっぱりカッコよくて、それがとても嬉しかった。
思い出が呼び起こす痛みの記憶は消えないけど、現在進行形の喜びがちゃんと上書きしてくれるから。
いずれ今よりもっと綺麗なカラフルなミルフィーユみたいになるだろう。

HAPPY 28th BIRTHDAY!!
THE YELLOW MONKEY

あなた方とあなた方を支える人々と、あなた方を愛する全ての人に、これからも愛すべき日々が訪れますように。

あなた方の事を考えている時も、そうでない時も、いつでも応援しています。
あなた方を本当に好きになれて、今私は幸せです。


贅沢な悩みなのか

  • 2017.12.24 Sunday
  • 14:53
毎年年の瀬になると思うんだけど、なぜ年末になるといつも汚い我が家が更に汚れるのだろうか…。
そしていつも来年こそは!と思いながら、変わらない一年を過ごしてしまうと言うね。あはは…。
いや、ほんと、来年こそは…うん。

先週から始まった全日本フィギュア。
まだ男子は終わってないけど、なんとなーく他の特番とか見るよりかは頑張ってる若者を見る方がなんぼか良いので、みんな頑張れーと思ってご飯なんか食べてました。

女子のショートとフリーとチラチラ見たりして、そんな中で思わずグッときてしまった。本郷理華選手のカルミナブラーナ。
確か去年の全日本かなぁ、その時も同じプログラムだった様な気がするけど、今回のは始まりから終わりまでグーっと惹きつけられて、ステップからは思わず鳥肌だった。
そして終わった直後に思わずポロっと溢れた綺麗な涙に思わずもらい泣き。

本郷選手の以前の演技でリバーダンス(いつかのワールドだったと思うんだけど)を見た時も、見る人の気持ちを惹きつけるのが上手な人だなあと思った。
ついつい一緒に踊りたくなる様な気持ちになって、精一杯やりきった後の笑顔もとても可愛かった。

今回の演技を見て、何かこう、深みのあると言うか、言わば情念とか業とかになりそうなものを、女性性の持つ柔らかなでも哀しみを伴った体温の様なものが感じられて。
ああ、ほんの少し目を離した間に若者から大人の女性へと成長されていたのだなあ、などと親戚のおばちゃん的感想を抱いたりもした。

フリーは残念だったけれど、あれだけの演技をしてしまったらちょっとしょうがないのかな、というか。
多分本郷選手って普段どんな方かは存じ上げないけど、かなり繊細な方なんではないかと。
なんとなく今回のあの演技を見て、演じる人が別ならばかなり激情とか強いパッションになりやすい曲だと思うのだけれど、彼女の場合強さもさることながら、何かに翻弄されながらもそれを受容し許す様な根底にある優しさのようなものを感じたから。
それは多分本郷選手自身、かなり優しい人なんではないかな、と思ったりして。

どんな競技であれ、繊細すぎるとスポーツは結果に結び付きにくいとは思う。
でも本郷選手の演技を見て、改めて表現力とはいかに上手く形作るかではなく、いかに見ているものの気持ちを掻き立てるかなのだなあ、と思った。


ちょっとだけ愚痴って訳じゃないんですけど、あの宮原選手の選曲はコーチがしたのかな?
何となくSAYURIと蝶々夫人て、うーんあのごめんなさい、えげつない選曲な気がするんですね。
19歳のうら若き女性が演じるプログラムが、両方とも海外の人のフィルターがかかった「ゲイシャ」ものって言うのも、個人的にはなんかちょっと。
まあ、オリンピックで勝ちやすいのかなあとは思うんですが、もっと宮原選手にあった選曲や衣装があったのではないかなあ、と思った次第です。

別に職業としての芸者さんに対して何の偏見もないですけどね。
全世界に対して「日本」を銘打って演じるならば、雅楽とかのアレンジとかね。
まあ、難しいか。


その、まああれですね、浅田真央と高橋大輔と言う選手が長きに渡って頑張ってくれたおかげで、ファンとも呼べないお茶の間の一般人の私ですら、いやだからこそか、そのクオリティが基準になっちゃうっていうか。

いやそりゃみんな上手だなあーすごいなーとは思うんだけどね。頑張ってて良いなあとか。
でもなんて言うんですか、ワクワク?みたいなプラスアルファの部分がお二人は凄すぎたんでしょうねぇ。
つい二人の演技がみたいなーと思う一般人は私だけではないでしょう。

坂本選手の「えーー!?」可愛かったな笑
我慢してる顔を見るより全然良いと思うよ!演技もかっこよかったよ!と、日本の片隅で言っておきます。


THE YELLOW MONKEY SUPER BIG EGG 12月9日

  • 2017.12.10 Sunday
  • 23:06
とりあえず東京ドーム公演の2日間が無事に終わって良かった。
私も無事行って帰ってこれて良かった。
仕事上で色々あり、この2ヶ月の間あんまり記憶が無くて笑。
肌寒くなってきたと思ってたらいきなり冬になってた様な気分だったので。
体力的にも果たして東京ドームまで行けるのだろうか…とぼんやりと疲労の中で考えてたのだけれど。
2日前くらいになったら俄然行きたい!と言う気持ちがムクムクと湧いてきて、ものすごく前向きに出立出来た。
その気持ちが現れたかの様に、行きの新幹線からびっくりするくらいキレーに富士山が見えて(大宮だったのに)、アレ、これ東海道新幹線だっけ?ココ静岡?と思うくらいの大きさで見えて。
久しぶりになんか心が晴れると言うか、ってこんな事を感じると、わー私ってめちゃくちゃ日本人だし、年取ったーとか思ったりして。
若い時富士山見えたから気持ちいいとか無かったもんなあ笑。
まあ、それも年齢を重ねる良さと言う事で。



半円形の花道の真ん中に正に巨大な卵型風船があって、まさかあそこから出るとかー?なんて思ってたら本当にパカーと割れて出てきた笑
セットリスト的には割とオフィシャルな感じと言うか、さすがにドーム5万人がみんなガチガチのファンでは無いし、バランスの良い、でも布石としてはやはりあの2001年のドーム公演を彷彿とさせるものがあったりで、腑に落ちる、と言う表現が一番似合う感じがした。

個人的にはその直前のイエローモンキーのライブがFC限定ツアーだったから、あのオジサン達のはっちゃけ具合100%から、今回の非常に落ち着いた、でもゴージャスな大人のロックスターの落差がすごくて、ちょっと面白かったけど。

太陽が燃えているでスクリーンのメンバーが特撮並みに燃えてたり、ROCK STARで新聞とりませんかー?って言ってみたり、LOVE LOVE SHOWでめっちゃ綺麗な世界各国からの「お姉さん」を花道に立たせて、歌いながら絡んだり(またコレが似合うんだ、ほんとに)、かっこ良かったり、笑えたり。
でもバラ色やJAMやSO YOUNG、ギュッと凝縮された真実があったり。
なんだろうね、もうメンバーそれぞれが表現力の深み?レンジみたいなものが自由自在で。
音だけで、曲だけであらゆる色彩が見える感じ。それもそのテクニックだけではない所で。

その人生が正しいか、間違っているかではない。
様々な場面で、重ねた月日の中で、どれだけ多彩な感情を体験するか。
またそれとどの様に向き合ってきたのか。
不思議だけど、音にそれが現れるんだと思う。
体が鳴らすものだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。

しかし、あれだな。
去年の再集結ツアーで号泣したせいかな、なんか4人でバーンてオープニングで出てこられたりすると、涙腺が緩むようにシナプスが繋がっちゃったんじゃないかと思うね。
気持ちより先に涙が出そうになってて。
パブロフの犬みたいな。

間違わない人生なんて、面白くもなんともない。
まあまあ言われる言葉だけれど、イエローモンキーを見ていると、すごくそれが身に染みる。

本当に今の4人の笑顔はきれいだ。
赤子の純真とは違う、色んなものを経て乗り越えた純粋さがきれいだなぁと思う。

私もいつか、あんな風に笑えます様に。

夢のそのまた先へ

  • 2017.11.12 Sunday
  • 00:11
ちょっと酷めの風邪をひいて、拗らせてしまって。
もうほんと、治るのが遅い!免疫力の低下がー!
風邪は万病のもと、という言葉が身に沁みました。ええ。
でも何とか今日、日付変わって昨日か、までには治したかったのですよ。
やっぱり出来たら初日に観たいですからね…。
寒風吹きさ荒ぶ中、電車も遅れる中、ちょっと郊外の映画館まで行ってきました。
行くまでは何で市内の繁華街でやってくれないんだよう、と文句を言っていたのだけど、大した距離ではないのだが、少しどんよりした空と寂しげな景色とまばらな人影が、知らない異国感があって。
雑多な日常の中にすぐ放り込まれなくて良かったのは、とても気持ちに添っていた。












映画「オトトキ」観てきました。
いわゆるバンドのドキュメンタリー、とは一線を画すものだと思った。
前回の「パンドラ」はTHE YELLOW MONKEYというバンドの巨大さ、壮絶さ、それを静かにひたむきに支えるメンバーが胸に迫った。
もちろんあのパンチドランカーツアー、113本という過酷で濃密な日々の記録だから、今回の撮り方とは全然違うものだったとは思う。
松永監督の視点はもっと、なんというか吉井和哉、廣瀬洋一、菊地英昭、菊地英二というそれぞれの「人」を、くっきりと言うほど鋭利でなく、それでいて明らかに何か一枚脱いだ様な新鮮さでもって浮かび上がらせたように感じた。
(まあしかし、自分で見てきておいてなんだけど、あんだけ色々と見続けてきておきながら「新鮮」て。いや、それだけ松永監督がすごいってことで。)

かっこ悪いとこも全部映ってるとか、事前のインタビューで言っていたけれど、そんな所はどこも無かったですよ。
私達の非日常としての夢であらんが為、とても地道に丁寧に自分の毎日と向き合っている姿を誰がかっこ悪いなどと言えるだろうか。

再集結初日のプライマル。のカウントダウンは凄いね。
松永監督の切り取り方も素敵なのかもしれないけど、会場で当時感じたのと同じだけの鳥肌とゾワゾワが来て、気がついたら涙が流れていた。
未だによく分からない。
代々木は行けなかったけど、宮城の一日目であんなに泣いたのも、今日の映像ですら泣いたのも、はっきりとコレと言う理由が分からない。
単純な歓喜だけでも無い気がするけれど、もうちょっと何かきれいなもの、人の中の魂と言うものがあるのだとしたら、その中心にあるものが震える感じ。

菊地兄弟のお父様の件。
本編に映し出されたお父様と幼少時や若かりし頃の兄弟の写真。
大きな大きなお父様だったのだろうなと、及ばずながら感じた。
あんなにデカくなって、長髪のメタラー兄弟(笑)を横に、とても穏やかで慈愛に満ちた表情をされていた。
空気感はエマさんの方がお父様に似ていらっしゃる様な。
お父様との最期のエピソードを語るアニーさんの表情や語り口は、少し切なかったな。
肉親との別れはいずれ誰でも迎える事で、彼らだけが特別と言うわけではない。
でもアニーさんからは頭脳の明晰さ故、仔細に記憶される状況に改めて胸を痛めるセンシティブさや純真さ、訥々と落ち着きを持って語るエマさんからは内に秘められた強い感情と頑なな意思を感じて、まるで鏡のような性質の差がありながらでも明らかに兄弟であると言うことが同時に感じられて、血の不思議を思った。

愛する人との別れはそれがいつであれ、どんな形であれ辛い。
でもアニーさんが語って下さったお父様とのお別れは、私にはとても幸せな事に思えた。
私がもしお父様の立場なら、とても心安らかにこの地に別れを告げられるだろうと思うから。
自分の子供が自分が居なくなろうとも、その子を求めてくれる人があんなにもたくさん居る、しかもそれを手にしたのは子供本人が紛れもなく自ら掴み取った場所で。
ただ子供の視点からだと、どんな別れ方でも後悔はあるものですよね。うん。

印象的だったのはカウントダウンジャパンでのトラブル。
実際リアルタイムで知った時も、肝が冷えた、って私がなってもどうしようもないんだが。
直前の紅白まで問題なく、この再集結イヤーを滞りなく終えた直後だ。
どこまでドラマティックなんだ、と冷静になると思う。
でもその映像を実際に観ると、そうだよな、と思う。
仕事をしている人間なら誰しも遭遇したことのある、シャレにならないトラブルだからだ。
おいおいどうすんだよ、と言うみんな打つ手がないヤツ。でも結局、そんな時にこそ人の真価が問われるのかもしれない。仕事ができるやつかどうかではなく、人間性の方の。
声が出なくなった直後、牙を抜かれた獣の様な、羽をもがれた鷹のような吉井和哉の表情。
貴方は死ぬまで歌と共にいて下さい、とこちらがお願いしたくなるような、それくらい紙みたいに儚げで。
その後、少し冷静になられたのか、テキパキとされてからはさすがだったけど。
あんなに長いこと歌い続けて、多くのファンに慕われても、今声が出ないと言うだけで包み込んでしまう不安、という化け物。
ショーを見せて生きていく、という事のライブ感が生々しすぎず、でも的確に切り取られていた。
確かに、たった一度のステージで根こそぎ持っていかれる事もあれば、びっくりするほど冷めたりする事もある。
それは本当にタイミングの問題で、アーティスト側にだけ責任がある訳ではないのだけれど。

今まで見た映像の中で、メンバーが、特に吉井さんがものすごく素、って感じがした。
多分そもそも他のメンバーはあまりパーソナリティを作り込む方でも無いから、より一層その輪郭を確かめさせてもらったイメージだけど、吉井さんの場合その日その時その場所だけとかでテンションが違ったり、攻撃的だったり柔和だったりするから。
ロビンでもない、吉井和哉のソロでもない「素」っぽい所は、なんだかあまりに少年だった。
所々息子と重なってしまったくらい少年だった。

若い頃、私は彼ら4人がTHE YELLOW MONKEYと言う、唯一無二のものだと思っていた。
勿論普通の意味では今でもそうなんだけど。
でも今日「オトトキ」を観て、いや、その前からぼんやりとは思ってたのかな、何かとても良いもの、見たり会ったりしたいもの、心地よい場所、つまるところTHE YELLOW MONKEYとは「夢」と同意義になっているのだなと。
4人が集まると見られる夢。
私達も同時に見られる夢。

出来うる限り、私もその夢をこれからも見たいと思う。お金は払うから。
最後に夢のない事言ってごめんなさい。


DRASTIC HOLIDAY 10/29 山形

  • 2017.10.30 Monday
  • 00:22
何かとハードな一日だった…。
午前中野暮用があって、中々に体力を使ってしまったので、なるべくジャストに着くように高速バスで行こうーなんて思ってたら、何だかトンネルで事故があったらしく突然の運休。
ええええええ、となりながら駅に向かいましたよね。まあ致し方ないですけどね。
でも1時間半長い…。
全て徒歩圏で済むように生活を設定して長いもんで。首都圏の方々からすれば贅沢な話ですよね〜。
昔は片道2時間乗ってたんだけどなぁ。
とりあえず開演前にはホールに着けてホッとしますた。

以下、公演内容を含みますのでご注意下さい。




ホールとは言えこじんまりとした作りで、座席の間隔も結構狭目なので、20列目だったけど肉眼で表情が見えない事もないくらいの感じ。
まー、何度も言うけどほんっと4人ともシルエットがね。シルエットだけでありがたいくらいの。
つい自分のお腹のお肉に想いを馳せてしまいましたね。ええ、はい、頑張ります。でも秋になってつい食欲が…。

セットリスト的には昨年のホールツアーの感じに近いと言うか、初期のレア曲が中心ぽい感じで。まあFC向けですしねー。

アコースティックコーナーがある、と言うのはちらほら知っておったのだけど、わりかし長めで、なんか新鮮で良かったです。とっても。
NAIのアコースティックバージョンも良かったですけど、個人的には前半の優しい祈り的な部分と後半部分の焦燥感のある切ない感じの対比が好きで。
アコギだと全般的に優しさが出る感じだったのと、ラストのアニーのハイハットが無いのとで、贅沢だと思いつつ通常バージョンもまたいつかやってね、と思った。
それからO.Kはもしかするとアコースティックの方が好きかもしれないです。
なんかね、ちょっとジャズ感があるというかね、お酒飲めないけど飲みながら聴きたくなるような雰囲気になって。
そもそもアコースティックの雰囲気の無い曲の方が新しい面が見えやすいのかもしれないですね。はい。

それからあの、キラーメイのカバーについてはもう、何も言うまい笑笑
とにかくライブであんなに笑った事はないと言うくらい笑った。
吉井さんが楽しくて仕方ない感がもうね。
でも聞いていて思ったのは、吉井さんて民生さんのカバーの時とか、あとちょろっとブルーハーツの曲歌った時とかも思ったけど、誰かの歌を歌う時無意識になのか結構寄せていくよなあと。
キラーメイは勿論ライブを見た事は無いのだけど、チラチラ聞いたことのあるレイノさんの声とか歌い方に似ている気がした。
やっぱり耳が良いんでしょうなぁ。当たり前か。

本当におじさんたちが、主に吉井さんがフラットな目で見てもかなりテンションが高くて笑。
エマファンの嫁を持つ旦那の体で小芝居してみたりしてね。
多分内容的には合ってると思いますよ笑。夫婦で好きなら問題無いでしょうけどねぇ。
あとエマさんが転生を何度も繰り返してて、これ以上徳の積み様が無い、と言う話にはなんだか納得してしまった。
今生でエマさんは見納めだそうです。なので皆様も是非今のうちに。

とにかくよく笑わせてもらったのだけど、最後の方でバラ色の日々の前、いつものようにオーディエンスに歌わせたら、鶴ちゃんがそれを聞いてなくて笑。
伴奏がずれちゃったんだけど、そこも面白かったけど。
なんでだろうな、吉井さんがちょうどバラ色の頃みたいにパーマかけたからかな。
不意に当時の彼らの姿が蘇ってきてしまって、あああ、と言葉にならない思いがこみあげたら、前触れもなく涙が出そうになった。

なんでかね、切ない時代だったね。あの頃。
今はもう切なさすら相手にされない時代だね、なんて思ったりして。
彼らも私もあの頃を生きて、私に至っては大した人生では無いけど、なんとかここまで生き抜いて、また彼らと会うことが出来た。

結局私はイエローモンキーと言う4人の集合体に恋をしたんだと思う。
メンバーの誰か、とかそう言う事ではなくてね。
勿論の個々のメンバーも好きだけどね。
バラ色の日々を聴きながら、きっともう一度まっさらな状態でイエローモンキーに出会ったとしても、必ず恋をするだろうと、そんな事を思ったりした。

彼らが私と言う個人を知らなかろうと、そんな事はどうでも良い。
私は彼らの音楽と生きてきたのだし、これからもそうするだろう。
…まあその、恋した当時のような熱量やスピード感はないと思うけど笑。

黄色い声出なくてごめんね笑
頑張って若いファン増やしてね。

Never let me go

  • 2017.10.16 Monday
  • 00:36
随分と間が空いてしまったが、今年のノーベル文学賞がカズオ・イシグロ氏と聞いて、瞬時の戸惑いの後嬉しかった。
毎年メディアが騒ぐ某有名作家の方は、正直ご本人がどのように思われているのかは知る由も無いが、恐らく傾向から言っても難しいのでは、と思う。

割とイシグロ氏とその作家の方は比べて語られる事があるけれど、個人的には物を書くアプローチがかなり違う気がしていて、私の中では同じ箱には入れていない。
どちらがどう、と述べるのはあまりにも厚顔無恥であるので控えるが、私の感覚的にはイシグロ氏の書く物語の方がしっくりくる。
なので余り正統派な文学作品や作家に与えられる事が少ない気のする同賞だったけど、昨年のちょっとしたゴタつきのせいかしら笑、今回はどこからもヤイヤイ言われなそうな感じのする人選だったのではなかろうか。

イシグロ氏にノーベル賞があろうがなかろうが、彼の素晴らしさを讃える項目がまた一つ増えたと言うに過ぎない感はある。
しかし世界に何十万、何百万だろうか数多いるカズオ・イシグロ氏のファンの端くれとして嬉しい事には変わりない。

一番初めに読んだのは日の名残りだったけれど、やはり鮮烈な感覚を得たのはNever let me go、「私を離さないで」。
どの作品もそうだけど、イシグロ氏の筆致は抑制されたトーンで進められる。
エクスクラメーションマークの無いような、冷静でいて、どこか軽やかな残酷さがある。
「私を離さないで」では特にその描写が淡々としていて、恐らくは設定自体が異質というか仮想世界(とも言い切れないが)であるが故だと思うが、感傷の部分はほぼ読者任せであり、映画化される前から頭の中で、その繊細な鉛筆画の様な描写によって映像が刻み込まれてしまっていた。
(余談ながら、近年日本でドラマ化された方も拝見したが、エピソードや展開にオリジナルが加えられており、それはそれで良かったけれど、オマージュ作品的な感はあった。)

読んでいる間は私もその文体通りの冷静さと観察者としての目線を保っていた。
読み終わってからも、「私を離さないで」の世界から抜け出せず、ぼんやりとタバコを吸ったのだけど。
私なら彼ら(クローン)の様な制度を利用してまで生きたいとは思えないなぁと、一つ煙をはいたのだけど、そこでふとそれじゃあ息子ならどうだろう?と思って、そう思ったと同時にむせび泣いた。
瀕死の病に倒れた息子を助ける最終手段が彼らなら、私はそれをNOと言えるだろうか?
分からなかった。今も分からない。
息子とおんなじ遺伝子を持ったクローンが居たとして、拒否出来るほど私は清廉だろうかと。
愚かなり、と思った。
なんて人間とは愚かで哀しい生きものなんだろうかと思いながら、この伏線を小説の初めからイシグロ氏に張られていたのだろうと思って、やっぱりすごいと思って、複数の思いが同時に込み上げると人はやっぱり泣くか笑うかなのだと思う。

これと同じ体験をしたのが、川上弘美さんの「水声」だった。
端的に言ってしまえば一つの家族のお話なのだけれども、母と娘、母と息子、父と子供達、遺伝上の父と子供達とか多角的な方向からの愛情やらなんやらが絡み合っていて、複雑すぎて不思議な形とバランスで成り立っている様な物語だ。

主人公の女性は実の弟を愛するのだけれど、川上弘美さんが書くので全然ドロドロ感はないんだけど、無い所が業が深い感じがして、少し辛い。
でも業なんてものは日常に紛れてしまえばそんなものだろう。

最終的に二人で暮らすようになる訳だけれど、最後の方で、
「いつもわたしと陵は裁かれている。わたしたちを知るすべての人々に。けれど、真にわたしたちを裁いてくれる者など、ほんとうはどこにも存在しない。」
(『水声』より抜粋)
この文章を読んだ時、「私を離さないで」を読んだ時と同じく嗚咽をもらした。

川上弘美さんもイシグロ氏と同じく、派手な感情描写は無い。
一つのちょっとワケありな家族の顛末を淡々と、何事にも振り分けず進めている。
本質的にイシグロ氏によって張られた伏線と、川上弘美さんによって押されたボタンは同じ所を指している気がするのだ。

人は弱く哀しい生きものである、と言うこと。
でもそれを忘れると人ですら無くなってしまうと言うこと。

自分のむせび泣きのせいで両者の作家さんには何の意図もないのだけれど、私の中で「私を離さないで」と「水声」は姉と妹の様なつながりのあるものになってしまった。

出来るなら私は最期まで、人でいたい。


何もないあなたと 何もないわたし

  • 2017.10.15 Sunday
  • 16:12
「オトトキ」のタイトルが発表された時は、なんだかんだとモヤモヤしたけれど、結局楽しみになっている今日この頃。
釜山国際映画祭のレッドカーペットも、もうちょっとギラギラしたロックスター感出してくんのかと思ったら、4人とも、ていうか吉井さんとヒーセかな笑、なんか柔らかくて嬉しそうで可愛かったな笑。
菊地ブラザーズは割とピシッとしてたけど。
まあもうあれなんですよね、割と昨年の祝祭ツアーを老体とお財布に鞭打って少ないながらも追いかけたせいか、割と私の中でのイエローモンキーに対する後悔というか、熾火みたいな思いがバーンと弾けて花火になったみたいな所があって。
だからスッキリもういいよ、って事ではなくて、ある種吉井さんの言葉を借りれば成仏したような気もしてて。
イエローモンキーだけじゃなくて、あの頃の時代とか若かった自分とか、一切合切含めて昇華したような感覚が、ある。

なんかすごくきれいなんですよね、今の4人から出る空気感が。
あのNAIを作った時、SICKSのレコーディングをしていた時のいい空気を閉じ込めたような曲とかなんとか、そんな事を吉井さんのが言っていたけど、NAIから感じるものと今の空気感が似ているなあ、なんて思ったりする。

盤石な感じではないんだけどね笑
むしろ本当に儚くて、モノクロのフィルム映画みたいな切ない感じなんだけど。
音はあんなに力強いのに。

つまるところ前からそうだけど、でも更にもう色々極まってみんな生きててくれりゃあ良い、みたいなとこまで来てしまって。
こんな曲ヤダとかあんな曲が良いとか、パーマまたかけたんかとか、なんで英二だけ名前飛ばされたんだとか、アルバムなるべく早めにとか、どーでも良いけどエマさんはやっぱ働きすぎだとか、でもエマウブウエノとかどんだけ吉川さん私と趣味合うんとか、思ったりはしてもでももう生きてて4人でなんか楽しそうにしてはる、と言う事実だけでもう全てだと思うし、それを時々公開してくれる、しかもハイクオリティなライブ付きで。
(なんか違う)
もう個人的にはそれで良いなあと。
期待と言う名の押し付けを、愛という名の元に行う事をしなくてよいってなんて素晴らしい。

本当素晴らしい再会にしてくれたイエローモンキーのメンバーとTYMSプロジェクトの皆さんに感謝します。
また「オトトキ」見て文句言ったらごめんなさい。


高橋大輔 CaOI2017 Krone

  • 2017.10.10 Tuesday
  • 21:49
ギルティクラウン、と言うアニメの曲なんですね?
何を隠そう、私アニメはさっぱり分からんのです。エヴァンゲリオンすら見ていない。多分世代なんですけどねぇ、もう少し上かな。
漫画はまだ数少ないけど読んだりするのですが、アニメは馴染まないまま大人になると見る機会がないものですな。


2017 CaOI


とりあえずアニメの内容は調べずに鑑賞。
何というか、何かしらの手遅れ、取り戻せない感じ。
予め失われた王国、のような。
ナルニアの魔法の本みたいに、開くとまるですぐそこに現れて紡がれる物語のようで、でも本を閉じた瞬間ふっと消えてしまうみたいな。

曲の山場の部分、動きそのものは激しく例えば憤りや慟哭、焦燥の様に取れなくもないが、それよりはもっと既に手の施しようの無いと言うか。
苦しみと悔恨によって涙を流しながらも、より深い諦念が重力となって沈んでいくようなイメージ。

救いは無い、が終焉は来た、という感じ。
まあ、その縦糸としてずーーーっと「美」が伴ってるんですけどね。いつもの事ながら。
結構テーマ的に重そうなんだけれども、とにかく綺麗なので笑、ほぅと見てしまう訳ですよね、ええ。

でもなんだろ。
本当一日中頭から顔撫でていてくれませんかね、とお願いしたくなる程、なぜ顔撫でるだけであんなに心を掴むんですかね。
私だけなのかな、高橋大輔が頭部及び顔周辺をなぞったり撫でたりすると、何かを思い出しそうな感じがするのは。
何か忘れていた事を、心の中の忘れている場所を指し示されるような、そんな気持ちになるので。
どことなく落ち着かない気がしてしまう。

そして本当にアレね、センス良いのね。
このプログラムにももちろん、ご自分の身体を本当に美しく見せる丈とか素材とか色とか熟知してらっしゃって、まあ。
あれで月光のステップとか!!!!
色々相まってなんかもうムカつく。(何故)
しかもなんか終わってすぐ「いや、もう覚えてないしー(照)」みたいなジェスチャーやめい。
爽やかさここに極まれりみたいなの、やめい。
そら完璧主義のご本人的には満足いかんかったのであろうけども、全然良いから!!!
寧ろ鳥肌モノだから!!!
衣装と月光もフィットしすぎだから!!!
まあ、もうここまで来ると偉そうぶる高橋大輔とか想像できないけど(見てみたい笑)。

何だろうか、とても表情が引き締まっていて目に力があって、日々充実してらっしゃるのだろうなあと勝手に感じた。
良いことですなぁ。

追記
感想を書いた後、ザザッとギルティクラウンに付いてググって見ました。
ツイッターなどで新プログラムのレポなどを検索してた時に「葬儀社」って何度か見かけて。
へぇーアニメなのに葬儀会社の話なのー、山村美紗みたいー、モミちゃん出るのかしらん、などとアホな事を思っていた。
そらそうよね、アニメで葬儀社の話は無いわな。
ごめんなさい。

オールドガールは泣いて走る

  • 2017.10.03 Tuesday
  • 22:02
渡會さんの新譜「After Fork in the Road」、無事フラゲ完了、後拝聴。

このフラゲって習慣は一体なんなのだろう。
子供を産む前までは特になかった様な気がするんだけども。
ようやく音楽を聴く時間を取れるようになったのが幼稚園に入ってからだったから、その数年の間に浸透したんでしょうなあ。
もうフラゲ日が発売日でいいやん、て思っちゃうんだけどね。なんか業界のご事情でもあるんでしょうかね。知らんけど。

ところで今3周目なのだけども、これはもう。
全 編 切 な い。
1曲ごとに切ないの色がひらひらと変わるんだけども、でもとにかく切 な い。
どうしてくれよう。本当にもう。
特に5曲目の「Old School」、6曲目の「Weather Report」の流れが。
オールドもオールドなオールドガールはもし今10代の身体に戻れたなら、裸足で涙を零しながら走り出したいくらいだ。
「Old School」は懐かしさとかわいさと切なさが入り混じって、じわりと涙が出そうにはなるんだけど、どこか笑顔でいたくなるような。
だけどもこの「Weather Report」は。
夏のライブでアコースティックで聴いた時と芯の所は同じ感覚を覚えたんだけれど、感性という器官があるならば強く握られたように痛みに近いくらいの切なさがある。
久しぶりに固まったまま頭から終わりまで曲を聴いた気がする。
あんまり切ないんで、誰かに取りすがって子供のように泣きたくなる程だ。
なんだよ、もう。
通勤時のお供にしようと思ってたのに。これじゃ切なすぎて朝から泣きそうになるし。

多分「Weather Report」は今現代を生きる人の真実の、すごく真ん中の、核の部分に迫りすぎてるように思う。
歌詞もあるけど、それよりもとにかく初めのアコースティックギターの音色から既に空気感が違う。
二人の個が暖め合う幸福とその儚さとか、伝えられる世界の手に負えない混沌さとか、それを個に還元する事の覆せない不可能とか、生きているだけで千々に切れそうな感覚とか。
久しぶりだ。こんなことを歌わないでくれと思うのは。
とても良い意味で。

いや、全編本当に良い曲ばっかりだけれど、この「Weather Report」だけでも1,600円(税別)の価値が、いやもっともっとある。

前から感じてはいたけれど、渡會将士というボーカリストは歌が上手いのはもちろんなんだけど、声の演技力とでも言えば良いのか、声単体で伝えてくる感情の量や色が多量で多彩だ。
たくさんの色が目の前を通り過ぎるみたいに。

前回の「マスターオブライフ」はタイトル通り日常の中で鳴るのに非常に相応しく、聴くものの生活を優しく彩った。
対象に対して適度な距離をとった歌が多かったと言うか。
でも今作はもっと視点が内側というか、渡會さんの視点をこちらも一緒に見ているような感じ。
赤裸々とは違う、でもそこにある物が正しい大きさで見えるような、思い込みで小さく見えたりバカに大きく見えたりしない感じ。

あー、あかん。
今また「Weather Report」。暫く家でしか聴けないわぁ。また泣きそうになってるし。(いや、実際泣いてる。)
こんなに生きるという事を切なく、美しく歌わないでくれよ。

でも、ありがとう。

…ずっと思ってたんだけど。
渡會さんて、歌詞でよくcall my nameとか俺の名を呼んでみろとか、名前を呼ぶ声でとかあるけど、名前を呼ばれる事にやたらとこだわりがあるんだなあと。
自分が自分である事を他者から呼ばれる事で感じたいのか。なんなのか。
ま、わからないけど。

これやばいわ…もう一回生で、今度はトリオ編成だし、音源に近いよね…。
ライブハウスの暗闇ならまだしも、仙台の会場あのラウンジだしなぁ…。
泣かないように気をつけなければ…。

ほんと、人の才能ってすごいな、と思えた、めっきり秋めいてきた仙台で、一人思う。
ありがとう、良い夜になりました。


あくまでも噂なの

  • 2017.10.01 Sunday
  • 01:02
先日放送されたとんねるずの特番で、往年の名キャラクターである保毛尾田保毛男が登場した。

私もその番組を見ていて思わず懐かしー、と頬を緩ませた者の一人である。
しかしながら、翌日?当日からかな、LGBT団体の方々から差別的だとクレームが入ったとの事だった。
うーん、と首を傾げざるを得ない。

私は人のセクシャリティに対して何ら興味はない。
と言うより、セクシャリティ以外の事でもその人個人の、パーソナルな領域の事について他人がとやかく言う権利など、そもそも無いと思っている。
しかるにその人のセクシャリティがどうであろうと私の関知する所では無いので、良いも悪いもあるものではない。
みんな好きに、好きなものを好きになったら良い。

勿論そう言う人間ばかりではないので、実際LGBTの方々が受けたと感じた差別的な体験や傷については申し訳ないが想像の域を出ない。
だからこそ今回の保毛尾田保毛男についても、瞬間的に嫌悪感を抱いた人がいるのも理解は出来る。

私はいわゆるアラフォーと呼ばれる世代で、とんねるずの最盛期であろうと思われる90年代に散々彼らの番組やコントに触れてきた世代だ。
勿論保毛田保毛男もリアルタイムで見ていた。
初めは教室に良くある風景(だったかな?)の中で出てきた教師役で、ウケが良かったのだろう、その後保毛男メインのコントがシリーズで続いたと記憶している。

保毛尾田保毛男が差別的だとは私は感じた事がない。
当時小学生で性に対してほぼフラットであった私が見ていて、同性愛の人って気持ち悪いなあとか、変だなあとかは感じていなかった。
なぜなら保毛尾田保毛男は石橋貴明氏が演じてキャラクターの中でも、良識を備えたジェントルマンであったからだ。
むしろあのコントの中でアブノーマルだったのは姉役の故・岸田今日子さんの方で、良識的な保毛男が一方的に翻弄されるという図式だったと記憶している。
(手元に資料があるわけではないのでね、あくまでも記憶ですけど。)

大きな体の石橋貴明氏が小柄で華奢な岸田今日子さんに、あの怜悧で魅惑的な声によって攻められるという構図が面白かったのだと思う。
コント55号の博士が助手にやり込められる図式と似たものではなかろうか。

ともかくわたしが見ていて、同性愛者の方を嘲笑の的にしていると感じたことは無かったのは確かだ。
保毛男さん良い人、と思って見ていた。
そら、名前はアレだけど、コントだもの。
第一とんねるずというコンビ自体が、まずもって大衆に迎合して受けてきた人達ではないのだ。
今で言うカンニング竹山さんみたいなキレ芸ではなくて、若かりし頃の石橋貴明氏は本当に怖かったし。
若い頃のとんねるずは瞬間湯沸かし器どころか瞬間ダイナマイトみたいな石橋貴明氏の側で、人の良さそうな笑顔を浮かべながらもっと酷いことをする木梨憲武氏、というイメージだった。
確かに破壊的ではあった。
でも卑怯じゃなかった。だから面白かったのだ。

石橋貴明氏は保毛男を、同性愛というものを貶めようと思うなら、もっと酷いキャラクターにしたと思う。
より性的に、より露悪的に作る事も出来たと思うが、先にも書いたように保毛男は良識的でジェントルマンでお姉さん思いのとても良い人だ。
どうしてそれを差別的だと言うのか、私にはちょっと分からない。

そもそも人のセクシャリティって危ういものじゃないかな、と私は思っていて。
10代後半の頃は割と悩んだりした。
本当に私は男の人が好きなのかな、とか。
割とノーマルな人の中にも居ると思いますよ。
女の子の肉体に興味があるわけではないけど、話していて相互理解が本当に働くのはやっぱり同性だしなあ、とか。
でもどこかで男性とそうありたいと思ってしまうけど、それはやっぱりあり得ないのかとか、考えたりして。
ぶっちゃけ今も答えは分からないですけど。
同性に対して恋心に近い憧れを抱いたりするのは、男性でも女性でもある事だと思うし。
少なからずメンタルでは両性愛の人とかは潜在顕在問わず割と居ると思っている。

でもあのLGBTの方のセクシャリティって凄く複雑な分類があって、勉強不足で申し訳ないけどちょっと当事者でないと覚えきれない所もあって。
そして何となくですけど、そう言う枠の中にご自分達で自身を押し込めてる様な印象もちょっとある。
初めは違うのかもしれないけど、セクシャリティに分類がありすぎるのもなんかおかしな気もして。

基本的には人の心って揺らぐものだから。
私だって基本的にはノーマルだけど、もしかして出会う人の中で唯一その女性だけは身も心も欲しいと思う事もあるかもしれなくて。
でもそれは同性の中でたった一人の事例なのに、それはバイだとか言われちゃう訳じゃないですか。
そんな分類細かく必要なのかなって。

もっと言っちゃうと人の心の傷やトラウマってもう無数に星の数ほど存在するわけですよね。
もしかしたら100人中99人が良いものとして認識しているものを、残りのたった一人にしたら物凄いトラウマな事だったりする可能性もあるわけで。
だから我慢しろって事ではなくて、ある程度自分で避けたりする事も必要な事ではないかと。
だって当事者以外の99人にとっては良きものなわけですから、お互いがお互いの幸福や傷に押し付け合うのではなくて、労わりあうって言うんですかね?思いやりの方がうまく行く気がしますけど。

今回の保毛男さんについては嫌だと感じた人が抗議をしたのでしょうが、私はそれって個人的感覚でしかないのじゃないかと思います。
だってあの番組内で保毛男さんが差別的な表現をしたとは思えないので。
まあ、名前って言われるとすみませんって感じですけど、もうその名前すら別に単なる個人名みたいな認識なので。

むしろあれですよ、石橋貴明氏のやったキャラクターの中なら宜保タカ子の方がよっぽどえげつな…
なんせ実在の人物ですからね、宜保さん。ええ。

私は石橋貴明氏ってパブリックイメージだとこう、荒くれ者と言うか、粗暴なイメージが強いのかもしれませんが、本来かなり繊細な方だとお見受けします。
良識的で優しい保毛男さんは、もしかすると石橋貴明氏の普段見せない核の部分に近いのじゃないかな、などと今回の騒動を受けて思いました。
多分抗議が来る事も想定してたんじゃないですかね、番組側も。

何となく時代が変わったとか言ってる人が多くるみたいだけど、変わったのではなくてそれが差別なのかそうでないのか見分ける能力が無くなった人が増えたのではないかと。
そんな気にもなったりした。
本当の差別はこう言う事ではないと思う。
もっとぬるくてもっと緩やかで、そしてもっと汚いやり方でやって来るのが本当の差別だと思う。


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