After Fork in the Road

  • 2017.09.25 Monday
  • 00:50
Fork in the Road=分岐点

昔から何かの分岐点に立たされた時、Aを選ぶかBを選ぶかで、大きく幸不幸が分かれるような古典や作品が多くある。
でも40年弱生きてきて、人生そう簡単なもんでもないよなぁ、と思う。
個人的な主義として、後悔はしないのではなく、しないようにするもんだと思っている。
後悔している、と言って良いのはもう絶対に取り戻せない物に対してのみ使いたいなあと。
ま、そうは言っても簡単なことでは無いけれど。

渡會さんのミニアルバム、After Fork in the Roadの曲がラジオで解禁になると知って、radicoさんで聞いてみました。
技術の進歩ってすごいわー。
昔なら聞けない地域のfmまで聞けちゃうんだもんねー。
などとラジカセのアンテナをどこに立てたらNack5の音良くなるかな、なんてやってた青春時代を思い出したり。
なつかすい…。

かかったのは表題曲の「After Fork in the Road」。
清々しくてキラキラしてて、風が気持ち良いけれど、ちょっとさみしい。
キラキラしてるのは海って感じで、そんなこと一度もやったことないけど、オープンカーで人気の少ない海岸線を走りながら聞いちゃったら、ものすっごい気持ち良さそうなそんな曲だった。

いわゆるハッピー感とは違う、充足感と言うのに近いのだろうか。
誰かに宛てた私信みたいな、最近こっちはまあまあ元気でやってるけど、そっちはどう?って言われてるような、海辺の街から届いた手紙みたいな。
うーん、こっちはどうかな。疲労感と常に同居してる感じ?仕方ないけどね、生きるってそう言う所もあるでしょ?
なかなか長い事こんな感じだからさ、でもこうやって手紙もらえて嬉しいよ、ありがとう、とでもお返事したくなるようなね。

ふと、この曲を聞いた時、バンドのフロントマンがソロになった時感じる、なんて言うんだろう、リアリティ?うーん、違うな、なんかヒーローがマスク取って素顔晒した感…かな笑
うまく言えないけどさ、あの、YOSHI LOVINSONを初めて聴いた時を思い出して。

私は初め吉井さんのソロを聞いた時、あ、やっと会えたな、みたいな気持ちになったんだけど。
あのTHE YELLOW MONKEYと言う巨大なバンドの中で薄々感じていたものが、ダビデ像みたいに剥き出しになって見えたなぁ、みたいに。
曲の中に本人の全てが現れている訳ではないだろうし、別に詩の意味をまんまその人たちと思っているなんて、そんな悲しい事はもちろんしないけど、曲達のイメージが重なって一つの顔になるような、そんな自画像が見えたような気になったんである。

渡會さんの場合はリアルタイムでFoZZtoneを知ってた訳ではないけれど、何も纏わない素の、一人の人としての思いがすーっとまっすぐ伸びる感じで、とても受け取りやすい。
ある種バンドという要塞の中で見えなかった部分が、ソロになると如実に見える人と、バンドのカラーそのまんまやんって人と居ますけどね。
やはりソロになるならバンドと違うとこ見せてくれよと、私は思ってしまう方だけど。
ただ、そう思っておきながら、吉井和哉のソロでイエローモンキー復活前の1、2年はちょっと聞きづらいなぁと、正直思ったりもした。
なんつーか、どんどんと吉井和哉と言う個人の輪郭がくっきりしてきて、し過ぎて、アーティストとして対峙する時の距離感が難しくなっちゃって。
すいませんね、ワガママで。
その性別や環境に左右されない感受性ってあると思うんですけど、なんかそうじゃない所が濃くなってきた…?ような気がしたんですよねー。

After Fork in the Roadを聞いた時に、その同じような私信感を感じたんだけど、そこには気持ちいい開放感と時間の流れを感じただけで、違和感とかは無かった。
うーん、書きながら思ったけれど、やっぱりそのミュージシャンをいつ知ったか、どのように見てるかによるんですかね〜。

吉井和哉やイエローモンキーは私の10代からの憧れであり、やっぱりロックスターだけれど、渡會さんは近年になって知って、世代も近いし、同時代を生きる才能あるミュージシャンだと言う認識だからだろうか。
うーん、でも、なんか違う気もする。
しばらく頭の片隅に置いておこう。

ともあれ良い曲がまた発売されるのは嬉しい事だ。
そんなことを楽しみに何とか生きてる。
あと100年もしないうちに、人類は滅亡に向かうとホーキング博士は言う。
そうなのかもしれない。
だから火星への移住計画をって言っているようだけど、本当にそれで良いのかね。
本当にもう間に合わないのかね。
余りに無責任な気もするんだけどね、それ。
多分私は火星へは行かれないし、行く気もないけど。
火星には何にもないらしい、水がないらしいし、ビールしかないって言うから。私は飲めないからさ、やっぱり火星には行かないわ笑


brainchild's V.I.P 2017

  • 2017.09.17 Sunday
  • 23:47
いやー、笑った。
笑い過ぎて久しぶりに表情筋が痛くなった。
まあ、もちろんこの笑いはbrainchild's 自体、エマさん始め参加ミュージシャンの皆さんについて知識があるからって言う、ある種の内輪ノリではあるんだけども。
まあファンクラブ限定イベントなんだから当たり前か笑

そして個人的には去年は行けないよなあと諦めたイベントだったから、申し込む事も日帰りとは言え行こうと思える環境になった事も嬉しかった。
お帰り、私の個人的自由よ。
またこれから世界を広げて行こうね。

今回は川柳とエマさんの似顔絵だったけど、やっぱりそれぞれ凄く個性が出ますねえ。
あと鶴のお二人、ノキアさんも神田先生もお客さんに対してのアピールが上手ですね。
別に全然媚びてるとかは無いし、ご自分の好きなやり方なんだろうと思うんだけど、でもちゃんと見る側を無視してないって言うか。
後オニーくんの絵。
オマージュ作品とは言えすごく好きだったなあ。色遣いが綺麗だったー。
でもワッチ。敢えてワッチって言うけど。
なんであの不思議な肩透かし感。
せっかく絵が上手いのになぜー。
そして若干その肩透かし具合も微妙ー。(ごめん)
あんなに仕切りは上手いのに。てか寧ろ毎回司会はワッチでお願い。

面白かったのは7期全員が絵が上手いこと。
MALくんと早川くん、そしてノキアさん…笑
ありがとう、本当に幸せになりました。
あんな破壊力のある絵を見たのは初めてかもしれません。ええ。

その後のライブパートは当たり前に良かったですが、トーク部分でもライブでもやっぱりこのブレチャの良さってなんて言うんですかね、エマさんが輪の真ん中でそれぞれのミュージシャンももちろんかっこいいんですけど、ミュージシャンの皆さんがエマさんの事が好きなんだなー!ってのがすごく良く分かって。
そしてその気持ち自体がこっちがエマさんに対して抱いてる思いとすごくシンクロするんで、フツーのアーティストのライブやらで感じるシンクロとちょっと違ってて。
見てる側が直接エマさんに対しての憧れとかも思うけど、それぞれのミュージシャンを通してもそれを擬似的に体感する様な、それでそれぞれのミュージシャンに対してもグッとくるポイントがあったりもして。
なんか色んな良い感情が幾重にもやり取りされる感じって言うかなあ。
アーティストと観客が相対する感じって言うよりも、エマさんと参加ミュージシャンと観客って言う三層構造みたいな。

決してエマさんを褒め称える会になってる訳では全然無いのにね。
それじゃつまんないしね。
そうさせないエマさんは、でもやっぱりすごい人だなぁ。

イエローモンキーのカリスマ性とは違うけれど、ブレチャはブレチャで続けて欲しいしな。

あの、でも一個だけ…。
このご時世ファンクラブ限定イベントで、身分確認は致し方ないと思うのですが、ちょっとあれ、あの確認の仕方ではお時間がかかり過ぎるかも…。
事前に開場までに身分確認は済ませる、にしといた方が入場がスムーズだったかもなー、なんて。

でもイベント自体はほんと楽しかったです。
楽しかったお陰で、普通強行した後の翌日とかマジ疲労感あるんですが、疲れなかったです。
やっぱり楽しい事って疲れないんですね笑
エマさん初めブレチャの皆さん、スタッフの皆さん、ほんとありがとうございました。

またお会いできる日を楽しみにしてます。

音楽は魔法か否か

  • 2017.09.14 Thursday
  • 22:08
なんだかベイキャンプと言うフェスで揉め事があったようで。

まあ、なんと言うか、ほーん、みたいな感想しか出ないんだけども。
当事者の大森靖子さんと言うシンガーの事も、Yogee New Wave?さんだったかな、も存じ上げなかったからね、火事場見物みたいな感じになっちゃいますけどね。

「音楽は魔法ではない」って歌い上げた直後に、「音楽は魔法だよ」って言われたらまあカチーンと来るのは分かるよね笑
でもなんつーか、別に揉めるなとかケンカすんなとかは思わないし、むしろステージに上がっちゃってやりあっちゃっても良かったんじゃなーい、などと思うけどさ。
SNSなんかで責めるよりその場で言い合った方がね、野球の乱闘みたいでまた趣があったりなかったり。(どっち)

事態の収拾は何だかYogeeなんたらさんの方が頭を下げたみたいだけど。
別に謝るこたないと個人的には思うんだけどね。
彼らが本当に音楽は魔法だと思っているなら。
まあきっと早く沈静化させるように周囲の人達からも言われただろうし。
でもそんくらいで頭下げるなら初めから言うなし、と思わないでもない。

事の顛末自体はそんなに興味は無いんだけど、音楽は魔法か否かと言う答えの出ない、又は無数に存在するような疑義を呈したのは面白いなと思った。

私個人としては、それはその当事者が音楽と言うものを自分の内側にどれだけ引き込んでいるか、と言う点にかかるような気がする。 大森さんの「音楽は魔法ではない」という言葉は、音楽と言うものと自意識が密接に絡み合い、境目が分からなくなっているからこそ出て来る言葉だと思う。
自分の存在は魔法ではないしね、現実だし、痛みを伴うしね。
きっと真実に迫るだろう、でも端的に言えば重い。
その痛みや重さで救われる人も居れば、気が滅入る人もいるだろう。

対して「音楽は魔法だ」と言ったYogeeなんたらさんは、恐らく好きなもの、素敵なものとして音楽を愛し、持ち運び、広めているんだろう。
大森さんよりも音楽を客観視している、と言えば良いか。
距離感て大事ですよね、なんでも。
近づき過ぎると息苦しい時とかあるしね、心地よい範囲ってあるしね。
でもそれだと他の何かと似ちゃうんだよね。

ミュージシャンの言う音楽は魔法か否かと、聴衆のそれはまた意味合いが違ってくるだろう。
私としては「音楽は魔法、になる時もある」が一番しっくりくるが。
時折、初めてその曲を聴いて、好きだとか感情が動く前に、涙が勝手に出る事があったりする。
会ったことも話したこともない、どこかの誰かと言うのに近い人が作って、CDにして、何ヶ月も経ってから届いたその曲で、知らない街の知らない誰かが予期せぬ涙を流したら、それって魔法って言っても良いと、私は思うんだけども。

板前さんだって、大工さんだって、バスの運転手さんだって、もっと言えば働いてる大人の人みんな、立場を変えて見れば魔法使ってるみたいじゃないか。
むしろ大人は子供にとっての魔法使いでありたいじゃないか。

音楽は魔法だよってそんなに悪い言葉ではないと思うよ。
それだけの覚悟をもってここに立つよって意識ならさ。

…まあフェスってこう言う危険性も孕んでますよね。
食べ合わせの悪いものを一緒のお皿に乗せちゃった、みたいなね。

後やっぱ、喧嘩は面と向かってした方が良いよね。

種の輪

  • 2017.09.03 Sunday
  • 21:34
この子は破壊

この子は創造

この子は愚か

この子は知恵

この子は遊興

この子は修行

この子は真理

この子は夢幻

この子は諍い

この子は調和

この子は孤独

この子は絆

生まれる前に 体の芯に植えられた

取り出す事のできない種を

その成長に翻弄されて生きている

大きな大きな輪の中で

みな寂しさに震えながら

己が種の役割を果たさんが為生きている

ああ 愛と言うものが

その輪を構成しているのでなければ

種を抱えた我々は一体何を求めていけば良いのだろう


焼き芋

  • 2017.09.03 Sunday
  • 00:25
子供の頃、秋になると決まって周ってくる焼き芋のトラックがあった。

あの日本人なら、特に女性なら心をときめかせずにはおられない「いしや〜きいも〜、おいも〜」と言うフレーズが微かに聞こえてくると、本を読みながら寝っ転がっていても、ムクッと起き上がり、同じく家事の手を止めた母や、宿題をしていた姉と無言の合図を目で交わし、とりあえずトラックを止めるべく、私か姉、もしくは二人で脱兎のごとく外へと駆け出した。

焼き芋のおじさんはとても体が大きくがっしりしていて、色が黒くパンチパーマだった。
記憶の中ではアフロに近かったので、もしかしたらパーマでは無くて、天然アフロだったのかもしれない。
おじさんはいかつめの見た目に反して、ものすごく優しかった。私達姉妹が駆けてくるのがサイドミラー越しに見えると、遠くの方にいても止まってくれて、いつも必ずとてつもなく良い笑顔で迎えてくれた。

私は人見知りな上、特に大柄の男性に対しては僅かながら恐怖心を抱いており、通常なら焼き芋のおじさんは決して近寄れないタイプの大人だった。
けれどもそのおじさんの、春の太陽の様な笑顔と体に似つかわしくない繊細な話し声で、沢山話せる訳では無かったが、初めからおじさんの事が好きになった。

500円玉や千円札を握りしめて一人で行く時もあった。
不思議とおじさんはどんなに遠くから駆けていっても、必ず止まってくれるのだった。
そしてニコニコしながら古新聞の袋に美味しい所を詰めてくれ、大体おまけもしてくれた。

後から母に聞いた話では、青森から農閑期に出稼ぎに来ていたらしく、私達の様な姉妹のお父さんであったらしいとの事だった。
何年位だったのだろう、10年くらいはそんな楽しみが続いていたと思う。
おじさんが来なくなったのか、私達が家を出たのが先か、今となってはそれも曖昧だ。

秋から冬になると焼き芋が食べたくなるのだけれども、私の中でどうしても焼き芋とあの子門真人の様な髪型の、顔立ちはちょっとファンキーだったあのおじさんはもうセットになってしまっていて、ただ焼き芋を食べたのでは何だか寂しいのである。
ニコニコと焼き芋を差し出してくれる、あのおじさんから買いたいなぁとどうしようもない事を思ったりする。

思い出の味と言うのは厄介なものだ。
おじさんの焼き芋はもう食べられないのに、あの焼き芋が一番美味しかったと言う思いだけがずーっと残っている。


輪郭、というもの

  • 2017.08.15 Tuesday
  • 06:12
朝も早くから酔狂ではあるが、今私は「私」と言うものを取り戻す作業を始めている。

私は極めて他者優先的に生きてきた、様に思う。
それもあからさまに自己犠牲を振る舞うのではなく、ごく自然にそうなる様に他者も自分をも騙しながら生きてきた気がする。

母を失った時諸々感ずる事もあったが、後からボディーブローの様に効いてきたのは母の中での私の存在の希薄さであった。
遺品の中から出てきた、日記ともつかない覚書のようなもの。
母の意識は祖父と父(の幻影、とでも呼ぶべきか、甚だ本来の姿とはかけ離れたものだったが)へ向けられており、私への記述はほぼ無かった。

少なくとも私が10代後半から母が没するまでの間、母から見れば足りなかったのかもしれないが、身近な人間の中でその愛憎を受け止め続けたのは私だと思っていた。
でもそうではなかったのだ。
母にとって私の忠誠はあって然るべきものであったのだろう。
空気のようなもの、とでも言えば良いか。
私にはそれが後から結構効いてきた。

息子についてもそうだ。
なぜ人は愛されると、それを当たり前だと思うのだろうか。
私はいつも不思議である。
なぜその愛が永久に自分に注がれると思えるのか、そこが根本的に分からない。
それともありのままで愛される事を知っている人はそう陥りやすいのだろうか。
それでも息子は息子なので、その出現に一番責務があるのは私であり、それを社会的に全うする覚悟は勿論ある。
しかしながら、あまりにも尊大な態度を取られると、親とは言え人間である。
どんなに馬鹿にされようと無償の愛を注ぎますよとは思えないし、個人的にはする必要はないと思う。
つまりはそうした親の愛を拒絶出来るまでには育ったと言う事なのだから。

とにかく私は20年以上振りに「個」としての自分をもう一度手にしなくては、ここから先生きる道が見えてこないと思っている。

と、言う事でお盆休みの間、とにかく自分の好きなことだけしてみた。(結局そんなとこからしか始められないのが悲しいが)
延々ツムツムをしてみたり、習い事を始めてみたり、寝たい時に寝たり、読みたい本を読んだりとか、書いてみるとただの休日みたいだけれども、他者の心を気にせずに何かすると言うのは久方ぶりなので、何ともこうふわっとした気分になる。

今回読んだのは、藤本ひとみさんの「マリー・アントワネットの娘」と、松尾スズキさんの「東京の夫婦」。
全く繋がりのない内容な筈なのに、不思議な所でリンクしていた。

マリー・アントワネットの娘とは即ちマリー・テレーズの事であるけれど、母のアントワネットに比して致し方ないけれども記述やエピソードが少ないので、パッと手に取った。
松尾スズキさんの方は雑誌の連載をまとめたもので、再婚をきっかけに東京で暮らす夫婦についてのエッセイだ。

取り上げる内容も全く異なるのに、二冊とも子供について言及する箇所があった。
松尾スズキさんは自分は子供は持たない、持ってはいけないタイプの人間であるという信念のもと、前妻さんとの間にもお子さんは無く、二度目の奥様(20歳年下!!)にも予めその旨を伝え、納得の上入籍をされたとのこと。
実際の所私だって子供を持って良い人間だったかどうかなど、皆目分からない。
寧ろどのようであれば、その資格があるのかなど突き詰めれば誰にも分からないと思う。
親ではあるけれど、私は元来子供は苦手だし。今ではつい反射的に赤ん坊を見ればデレてしまうけれど、幼稚園に入るくらいになったらもうアレだ。
個性がハッキリし出す頃には、うわーこの子ニガテーみたいなのはもうある。
つまり親になったからとて、そんなに変わるものでも無いと思う。
松尾さんが嫌なのは子供そのものではなくて、親になると言う事なんではなかろうか。
まあ、つまりは何か得体の知れないものを背負うと言うか。
勝手な推測でごめんなさい、松尾さん。

そして藤本ひとみさんの方は、マリー・テレーズの生い立ちを語る中で、ご自身がお二人の娘さんの母親であること、その性格や性質には環境や育て方もあるけれど、遺伝と言うものを感じずにはいられない、と言うことが書かれていた。
これには私も頷くところがあって。
うちの息子は生まれてから記憶のないうちにしか自分の父親に会っていない。
別に禁止してる訳でもなんでもないのだが、会いに来ないので。あはは。
なのにも関わらず、似てくるのである。
顔ならまだしも性質までもが。
勿論育て方云々もあるとは思うのだが、まるっきり違う環境に育った元夫と息子が、同じ様な性質を見せる事に驚く。
また遺伝子と言うもの強さをまざまざと見せつけられている様な気がしてならない。

また藤本さんは別項で、子供が有った方が良いか否かについても述べている。
どちらでも良し、と。
お子さん達が居たから豊かになった部分もあるけれど、居たからこそ失われたり傷ついた部分もあり、結果イーブンだ、と言う様な事を書かれている。
そうだよなあ、と思う。
子供がいたから分かること。
子供がいないから出来ること。
コインの表裏みたいなものなのかもしれないなと思う。
どっちだから幸せ、ではなく、どっちの道にも幸不幸が転がっていて、それを味わって生きる他無いんだろう。

松尾さんのエッセイには他にも色々なエピソードがあるが、まあこんなにも男性というものは揺れているものなのか、と言うか笑
高校生男子と変わりないな、とつい思ってしまって。
20歳お若い奥様の溌剌さと逞しさに比べ、松尾さんのセンシティブさが際立つ。
勿論お仕事ではここで敢えて書く必要の無いほどの才能と実績をお持ちなのだけど。
…改めて男の人って変わんないだな、って思っちゃったりしました。

マリー・アントワネットの娘を書かれた頃の藤本ひとみさんが49才。
東京の夫婦の書き始めの松尾スズキさんが51才。
ほぼ同年齢で書かれた本でありながら、藤本ひとみさんの確固たる実存感と、松尾スズキさんの水彩画の様な儚さ。

比べてどちらがどうと言う事ではなく、初めてと言う訳では無いけれど、男女の輪郭の違いと言うものについて、なんとなく感じ入ったのだった。


あじさい

  • 2017.08.14 Monday
  • 09:12
紫陽花の季節はとっくに過ぎているのだが。

…ああ…いいなぁ。
SNSってこういう時良いような悪いような。
ついつい渡會さんのNEW SONGツアー、京都のセットリストを見てしまい、まじかー、となっている。

だって、まさか吉井バージョンのDon't look back in angerやるなんて。良いなぁしか出ないじゃないすか。
…良いなぁ…。
イエローモンキーではやらんだろうし、もう生では聴けないかなーなどと思っていたけど、渡會さんがやるなんてなぁ…。

このカバーの事はよーく覚えている。
と言うかきっとこれからも婆さんになっても覚えているライブの一つだと思う。
2007年のGenius indianツアー、初日の仙台で聴いたのだ。
何せそのライブはライブ自体がめちゃくちゃ久しぶりで、諦めようかと思ったけどどうしても行きたくて、当時幼稚園の息子を夕方から両親に預けて、何とか行くことが出来たのだ。(昭和型両親には何とも理解し難い行為だった様だけど)
てか10年前かよ…おわぁ…怖い、時の流れって怖い…。

仕事以外で子供と離れるのは息子が生まれて初めてで、一人で乗った電車での手持ち無沙汰さと肌寒く感じる程の身軽さは今でも覚えている。
今でこそ日帰りで東京行ってくるわーと言える程に大きくなったが、当時息子を置いて遊興に繰り出すなど、ものすごい罪悪感だったのである。
今思えば一般常識的に鑑みても、幼稚園の息子を祖父母に預けて、休みの日の数時間見てもらうだけの事にそこまで罪悪感を抱かなくても良かったのでは、と思う。
でもホント当時の私は、不倫相手と密会でもする様な罪悪感を持ってライブ会場に向かっていた。
それだけ色々と切羽詰まってたんでしょうなぁ。(まあ今もそう大差ないのだが)

おおよそ7、8年振りだったのかなぁ。
ともかく物凄く楽しかったのを覚えている。ま、そらそうだよね笑。
息抜きというものをそれだけしてなかったらね。
鳥肌が立ったり、多幸感に浸ったり、まあ楽しかった。

そしてその前のツアーからかな、恒例みたくなっていたカバーで、Paint it blackとDon't look back in angerをやったのだ。
Paint it blackも秀逸で、吉井和哉独特の皮肉めいたユーモアが満載で耳心地が良かった。
でもこれが、もう、Don't look back in angerがね。
思えばあの頃から吉井さん、少しずつ優しさを出す様になったよなぁ笑
とても素直で衒いがなく、でもちょっと疲れていて優しかったのだ。
その優しさがちょっと尋常じゃなかった。

空耳的に聞こえた所から意訳した、と本人が言っていたけれど、勿論意訳なので本家のファンからは賛否両論あったみたいだけど。
けれどその内容はタイトルどおりの意訳になっていると個人的には思う。

何か今すごいものを聴いている、と思いながら聴いていた。
そして2番のサビ前。
「君が大事にしてるもの程 これからもさらに奪われていくだろう でも生きていかなくちゃなあ」
初めて聴く歌詞なのに、途中から何を言われるか分かってしまった様な、不思議な感覚になって。
そして本当にそう歌われた時、思わず涙がこみ上げてきて、でもこれでボロボロと泣くのもなんか癪で、顔を背けて堪えたのだった。

あれから10年経った、と先程気がついたけど、時折何かある度に前述の歌詞を思い出す。
悔しいけれどその通りだなあと思いながら。
失くさない様に失くさない様にと思っても、手の中にあるものはいつの間にか姿を変えている。
それに変わるなと迫っても、変わっていないと自分を誤魔化すことも詮無い事だ。

…っていう思い出があるので。
ああー聴きたかったなあ…。
またいつかやってくれることを願おう。

思春期

  • 2017.08.12 Saturday
  • 17:47
ああ もうどうして

なぜ差し出したものに手をつけないの

手を変え品を変え

食べやすいように努めても

まるで腹の空かないロボットみたいに

透明ななりでそこに居る

それなのに

眠りの中や家事の合間に

背中の方からやって来て

私の骨を盗んでいく

骨に付いてる僅かな肉を

お前は泣きながら食んでいる

欲しくないのに腹が空く

仕方なくお前は私の背中から骨を取る

次の日にはまた透明なロボットの顔で起きている

骨も肉も惜しくは無いが

なんと思春期とは恐ろしい

ああ もうどうして

背中の穴が塞がらない


良いも悪いもないけれど

  • 2017.08.10 Thursday
  • 01:19
うーん、ま、なんつーか。良いんだけどさ。うーん。


THE YELLOW MONKEY、11月にドキュメンタリー映画『オトトキ』公開。キャッチコピーは「4Pしようぜ。」


…なんかこう…微妙な…。
いや、まず、なんだろうな、えーと、どこ向け?誰をターゲットにこのコピーなんだろうかと。
私もそこそこヘビーなファンだと思ってるし、エロいからヤダとかそんな話ではないし、そんなの嫌ならまずイエローモンキーのファンやってられないしね。
だからその、ぶっちゃけダサいよね。
でももしかしてそのダサさも狙ってんのかなとか、本編観たらそれがダサいでは無くて膝ポンなのかなとかさ、思ったりはするよ。
でもそれってやっぱある程度ズブズブのファンだからじゃないすか。
フツーの一般の方はいきなり4P、しかもおっちゃん4人でって引くじゃないですか?
その音楽において、という事だと分かっていても多分キモって思う人も多いと思うんですよね。
ん?て事はアレなのかな、やっぱりちょっと引かせたいのかな、とかね。深読みもしますけど。

上映の劇場の数や公開日も一日と言う事からして、一般の人へ見せたいと言うよりも、基本的にはファン向け(まあバンドに纏わるドキュメンタリーなど基本ファンしか興味も無いだろうけど)なのだろうし、イエローモンキーと言うバンドがどういうバンドか予め知っている人を念頭に置いてるのかもしれないけど。

でもそれだとしたらちょっとズレてる気がするんですよねえ。
パンドラのコピーもビジュアルもドンズバだったから余計に感じてしまうのかもしれないが。

あと4Pは置いとくとして、オトトキと言うタイトルも…うーん…。
単純に考えて「音」と「時」を連想させるけど、まさかそのまんまって事は…(怖)
フツーに、と言うか特報でやってたShow must go onで良かったやん、タイトル。てかそうなると思ってたわ。
それで何よりなんか、こうやってファンがうーんうーんってやってダサくない?とか言ってるのを、吉井さんがしてやったりとか思ってて、公開されたらなるほどー!とか思っちゃったら悔しいよな、とか笑。
でもオトトキは…ちょっと…笑
多分公開されてもちょっと…って思うと思う。
何か意味があるのかな?と思わせるには半端なフックだよなぁ…。
もういっそのことタイトルをヒエログリフとか象形文字とかにすれば良かったんじゃ、などと思ったりして。うはは。

まあ4人がこれで良いんじゃないのーと了承したのか、まるっと丸投げなのか私には知る由もないけども、このタイトルとかコピー見てたら、あーこの人らは日本のスタンダードになる気は無いんやなーと思った。
もっとこう、格好のつく感じで持っていかないんだ、みたいな笑
絶対色々言われるだろな、と言うことも織り込み済みでの事なんだろうなと思う。

…でもちょっとダサいよ笑
でもダサいのに最終的にかっこいいなと思わされる、と思うし、そう願う笑。

昨年末のメカラウロコで言ってたエマさんの言葉がふと。
今年以降の活動でどう見せていくかが大事、みたいな事。
それが4Pかどうかは知らないが笑、なんと無くそう言う事もあるのかなあと。

90年代にメインストリームに異端を持ち込んで、そのクオリティとセールスとを両立させた人達だから。
表裏とか境界線の上とか、そんな感じの所を歩いてほしいな、とか勝手に思うよ。

  • 2017.07.30 Sunday
  • 00:43
老爺が死んだ

ボロボロの衣服とすり切れたサンダルで

痩せさらばえた赤銅色の体を 路に投げ出して死んだ

体以外は何も無く 瞳はかたく閉じていた

老婆が側で祈っている

小さな体を鞠のように丸め 不思議な言葉で祈っている

大丈夫 これで彼女に逢える
四十年と少しばかり経ったけれど
あの人はきっと 昔のように美しい

周りの人には分からぬ言葉で 延々老爺に語りかける

そしてそれから独りごちる

あんたはいいじゃないか
あっちに待ってる人がいるもの
私には誰もいやしない
こっちでもあっちでも 誰も待ってなんかない

それから老婆は胸元から 一輪花を取り出した

老爺は花を握らされ 老婆はゆっくり立ち上がる

猫が一匹寄ってくる

もうすぐ夜がやってくる

老婆はゆっくり歩き出す

まだパンは残っていたかと思いながら


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