夢のそのまた先へ

  • 2017.11.12 Sunday
  • 00:11
ちょっと酷めの風邪をひいて、拗らせてしまって。
もうほんと、治るのが遅い!免疫力の低下がー!
風邪は万病のもと、という言葉が身に沁みました。ええ。
でも何とか今日、日付変わって昨日か、までには治したかったのですよ。
やっぱり出来たら初日に観たいですからね…。
寒風吹きさ荒ぶ中、電車も遅れる中、ちょっと郊外の映画館まで行ってきました。
行くまでは何で市内の繁華街でやってくれないんだよう、と文句を言っていたのだけど、大した距離ではないのだが、少しどんよりした空と寂しげな景色とまばらな人影が、知らない異国感があって。
雑多な日常の中にすぐ放り込まれなくて良かったのは、とても気持ちに添っていた。












映画「オトトキ」観てきました。
いわゆるバンドのドキュメンタリー、とは一線を画すものだと思った。
前回の「パンドラ」はTHE YELLOW MONKEYというバンドの巨大さ、壮絶さ、それを静かにひたむきに支えるメンバーが胸に迫った。
もちろんあのパンチドランカーツアー、113本という過酷で濃密な日々の記録だから、今回の撮り方とは全然違うものだったとは思う。
松永監督の視点はもっと、なんというか吉井和哉、廣瀬洋一、菊地英昭、菊地英二というそれぞれの「人」を、くっきりと言うほど鋭利でなく、それでいて明らかに何か一枚脱いだ様な新鮮さでもって浮かび上がらせたように感じた。
(まあしかし、自分で見てきておいてなんだけど、あんだけ色々と見続けてきておきながら「新鮮」て。いや、それだけ松永監督がすごいってことで。)

かっこ悪いとこも全部映ってるとか、事前のインタビューで言っていたけれど、そんな所はどこも無かったですよ。
私達の非日常としての夢であらんが為、とても地道に丁寧に自分の毎日と向き合っている姿を誰がかっこ悪いなどと言えるだろうか。

再集結初日のプライマル。のカウントダウンは凄いね。
松永監督の切り取り方も素敵なのかもしれないけど、会場で当時感じたのと同じだけの鳥肌とゾワゾワが来て、気がついたら涙が流れていた。
未だによく分からない。
代々木は行けなかったけど、宮城の一日目であんなに泣いたのも、今日の映像ですら泣いたのも、はっきりとコレと言う理由が分からない。
単純な歓喜だけでも無い気がするけれど、もうちょっと何かきれいなもの、人の中の魂と言うものがあるのだとしたら、その中心にあるものが震える感じ。

菊地兄弟のお父様の件。
本編に映し出されたお父様と幼少時や若かりし頃の兄弟の写真。
大きな大きなお父様だったのだろうなと、及ばずながら感じた。
あんなにデカくなって、長髪のメタラー兄弟(笑)を横に、とても穏やかで慈愛に満ちた表情をされていた。
空気感はエマさんの方がお父様に似ていらっしゃる様な。
お父様との最期のエピソードを語るアニーさんの表情や語り口は、少し切なかったな。
肉親との別れはいずれ誰でも迎える事で、彼らだけが特別と言うわけではない。
でもアニーさんからは頭脳の明晰さ故、仔細に記憶される状況に改めて胸を痛めるセンシティブさや純真さ、訥々と落ち着きを持って語るエマさんからは内に秘められた強い感情と頑なな意思を感じて、まるで鏡のような性質の差がありながらでも明らかに兄弟であると言うことが同時に感じられて、血の不思議を思った。

愛する人との別れはそれがいつであれ、どんな形であれ辛い。
でもアニーさんが語って下さったお父様とのお別れは、私にはとても幸せな事に思えた。
私がもしお父様の立場なら、とても心安らかにこの地に別れを告げられるだろうと思うから。
自分の子供が自分が居なくなろうとも、その子を求めてくれる人があんなにもたくさん居る、しかもそれを手にしたのは子供本人が紛れもなく自ら掴み取った場所で。
ただ子供の視点からだと、どんな別れ方でも後悔はあるものですよね。うん。

印象的だったのはカウントダウンジャパンでのトラブル。
実際リアルタイムで知った時も、肝が冷えた、って私がなってもどうしようもないんだが。
直前の紅白まで問題なく、この再集結イヤーを滞りなく終えた直後だ。
どこまでドラマティックなんだ、と冷静になると思う。
でもその映像を実際に観ると、そうだよな、と思う。
仕事をしている人間なら誰しも遭遇したことのある、シャレにならないトラブルだからだ。
おいおいどうすんだよ、と言うみんな打つ手がないヤツ。でも結局、そんな時にこそ人の真価が問われるのかもしれない。仕事ができるやつかどうかではなく、人間性の方の。
声が出なくなった直後、牙を抜かれた獣の様な、羽をもがれた鷹のような吉井和哉の表情。
貴方は死ぬまで歌と共にいて下さい、とこちらがお願いしたくなるような、それくらい紙みたいに儚げで。
その後、少し冷静になられたのか、テキパキとされてからはさすがだったけど。
あんなに長いこと歌い続けて、多くのファンに慕われても、今声が出ないと言うだけで包み込んでしまう不安、という化け物。
ショーを見せて生きていく、という事のライブ感が生々しすぎず、でも的確に切り取られていた。
確かに、たった一度のステージで根こそぎ持っていかれる事もあれば、びっくりするほど冷めたりする事もある。
それは本当にタイミングの問題で、アーティスト側にだけ責任がある訳ではないのだけれど。

今まで見た映像の中で、メンバーが、特に吉井さんがものすごく素、って感じがした。
多分そもそも他のメンバーはあまりパーソナリティを作り込む方でも無いから、より一層その輪郭を確かめさせてもらったイメージだけど、吉井さんの場合その日その時その場所だけとかでテンションが違ったり、攻撃的だったり柔和だったりするから。
ロビンでもない、吉井和哉のソロでもない「素」っぽい所は、なんだかあまりに少年だった。
所々息子と重なってしまったくらい少年だった。

若い頃、私は彼ら4人がTHE YELLOW MONKEYと言う、唯一無二のものだと思っていた。
勿論普通の意味では今でもそうなんだけど。
でも今日「オトトキ」を観て、いや、その前からぼんやりとは思ってたのかな、何かとても良いもの、見たり会ったりしたいもの、心地よい場所、つまるところTHE YELLOW MONKEYとは「夢」と同意義になっているのだなと。
4人が集まると見られる夢。
私達も同時に見られる夢。

出来うる限り、私もその夢をこれからも見たいと思う。お金は払うから。
最後に夢のない事言ってごめんなさい。


DRASTIC HOLIDAY 10/29 山形

  • 2017.10.30 Monday
  • 00:22
何かとハードな一日だった…。
午前中野暮用があって、中々に体力を使ってしまったので、なるべくジャストに着くように高速バスで行こうーなんて思ってたら、何だかトンネルで事故があったらしく突然の運休。
ええええええ、となりながら駅に向かいましたよね。まあ致し方ないですけどね。
でも1時間半長い…。
全て徒歩圏で済むように生活を設定して長いもんで。首都圏の方々からすれば贅沢な話ですよね〜。
昔は片道2時間乗ってたんだけどなぁ。
とりあえず開演前にはホールに着けてホッとしますた。

以下、公演内容を含みますのでご注意下さい。




ホールとは言えこじんまりとした作りで、座席の間隔も結構狭目なので、20列目だったけど肉眼で表情が見えない事もないくらいの感じ。
まー、何度も言うけどほんっと4人ともシルエットがね。シルエットだけでありがたいくらいの。
つい自分のお腹のお肉に想いを馳せてしまいましたね。ええ、はい、頑張ります。でも秋になってつい食欲が…。

セットリスト的には昨年のホールツアーの感じに近いと言うか、初期のレア曲が中心ぽい感じで。まあFC向けですしねー。

アコースティックコーナーがある、と言うのはちらほら知っておったのだけど、わりかし長めで、なんか新鮮で良かったです。とっても。
NAIのアコースティックバージョンも良かったですけど、個人的には前半の優しい祈り的な部分と後半部分の焦燥感のある切ない感じの対比が好きで。
アコギだと全般的に優しさが出る感じだったのと、ラストのアニーのハイハットが無いのとで、贅沢だと思いつつ通常バージョンもまたいつかやってね、と思った。
それからO.Kはもしかするとアコースティックの方が好きかもしれないです。
なんかね、ちょっとジャズ感があるというかね、お酒飲めないけど飲みながら聴きたくなるような雰囲気になって。
そもそもアコースティックの雰囲気の無い曲の方が新しい面が見えやすいのかもしれないですね。はい。

それからあの、キラーメイのカバーについてはもう、何も言うまい笑笑
とにかくライブであんなに笑った事はないと言うくらい笑った。
吉井さんが楽しくて仕方ない感がもうね。
でも聞いていて思ったのは、吉井さんて民生さんのカバーの時とか、あとちょろっとブルーハーツの曲歌った時とかも思ったけど、誰かの歌を歌う時無意識になのか結構寄せていくよなあと。
キラーメイは勿論ライブを見た事は無いのだけど、チラチラ聞いたことのあるレイノさんの声とか歌い方に似ている気がした。
やっぱり耳が良いんでしょうなぁ。当たり前か。

本当におじさんたちが、主に吉井さんがフラットな目で見てもかなりテンションが高くて笑。
エマファンの嫁を持つ旦那の体で小芝居してみたりしてね。
多分内容的には合ってると思いますよ笑。夫婦で好きなら問題無いでしょうけどねぇ。
あとエマさんが転生を何度も繰り返してて、これ以上徳の積み様が無い、と言う話にはなんだか納得してしまった。
今生でエマさんは見納めだそうです。なので皆様も是非今のうちに。

とにかくよく笑わせてもらったのだけど、最後の方でバラ色の日々の前、いつものようにオーディエンスに歌わせたら、鶴ちゃんがそれを聞いてなくて笑。
伴奏がずれちゃったんだけど、そこも面白かったけど。
なんでだろうな、吉井さんがちょうどバラ色の頃みたいにパーマかけたからかな。
不意に当時の彼らの姿が蘇ってきてしまって、あああ、と言葉にならない思いがこみあげたら、前触れもなく涙が出そうになった。

なんでかね、切ない時代だったね。あの頃。
今はもう切なさすら相手にされない時代だね、なんて思ったりして。
彼らも私もあの頃を生きて、私に至っては大した人生では無いけど、なんとかここまで生き抜いて、また彼らと会うことが出来た。

結局私はイエローモンキーと言う4人の集合体に恋をしたんだと思う。
メンバーの誰か、とかそう言う事ではなくてね。
勿論の個々のメンバーも好きだけどね。
バラ色の日々を聴きながら、きっともう一度まっさらな状態でイエローモンキーに出会ったとしても、必ず恋をするだろうと、そんな事を思ったりした。

彼らが私と言う個人を知らなかろうと、そんな事はどうでも良い。
私は彼らの音楽と生きてきたのだし、これからもそうするだろう。
…まあその、恋した当時のような熱量やスピード感はないと思うけど笑。

黄色い声出なくてごめんね笑
頑張って若いファン増やしてね。

Never let me go

  • 2017.10.16 Monday
  • 00:36
随分と間が空いてしまったが、今年のノーベル文学賞がカズオ・イシグロ氏と聞いて、瞬時の戸惑いの後嬉しかった。
毎年メディアが騒ぐ某有名作家の方は、正直ご本人がどのように思われているのかは知る由も無いが、恐らく傾向から言っても難しいのでは、と思う。

割とイシグロ氏とその作家の方は比べて語られる事があるけれど、個人的には物を書くアプローチがかなり違う気がしていて、私の中では同じ箱には入れていない。
どちらがどう、と述べるのはあまりにも厚顔無恥であるので控えるが、私の感覚的にはイシグロ氏の書く物語の方がしっくりくる。
なので余り正統派な文学作品や作家に与えられる事が少ない気のする同賞だったけど、昨年のちょっとしたゴタつきのせいかしら笑、今回はどこからもヤイヤイ言われなそうな感じのする人選だったのではなかろうか。

イシグロ氏にノーベル賞があろうがなかろうが、彼の素晴らしさを讃える項目がまた一つ増えたと言うに過ぎない感はある。
しかし世界に何十万、何百万だろうか数多いるカズオ・イシグロ氏のファンの端くれとして嬉しい事には変わりない。

一番初めに読んだのは日の名残りだったけれど、やはり鮮烈な感覚を得たのはNever let me go、「私を離さないで」。
どの作品もそうだけど、イシグロ氏の筆致は抑制されたトーンで進められる。
エクスクラメーションマークの無いような、冷静でいて、どこか軽やかな残酷さがある。
「私を離さないで」では特にその描写が淡々としていて、恐らくは設定自体が異質というか仮想世界(とも言い切れないが)であるが故だと思うが、感傷の部分はほぼ読者任せであり、映画化される前から頭の中で、その繊細な鉛筆画の様な描写によって映像が刻み込まれてしまっていた。
(余談ながら、近年日本でドラマ化された方も拝見したが、エピソードや展開にオリジナルが加えられており、それはそれで良かったけれど、オマージュ作品的な感はあった。)

読んでいる間は私もその文体通りの冷静さと観察者としての目線を保っていた。
読み終わってからも、「私を離さないで」の世界から抜け出せず、ぼんやりとタバコを吸ったのだけど。
私なら彼ら(クローン)の様な制度を利用してまで生きたいとは思えないなぁと、一つ煙をはいたのだけど、そこでふとそれじゃあ息子ならどうだろう?と思って、そう思ったと同時にむせび泣いた。
瀕死の病に倒れた息子を助ける最終手段が彼らなら、私はそれをNOと言えるだろうか?
分からなかった。今も分からない。
息子とおんなじ遺伝子を持ったクローンが居たとして、拒否出来るほど私は清廉だろうかと。
愚かなり、と思った。
なんて人間とは愚かで哀しい生きものなんだろうかと思いながら、この伏線を小説の初めからイシグロ氏に張られていたのだろうと思って、やっぱりすごいと思って、複数の思いが同時に込み上げると人はやっぱり泣くか笑うかなのだと思う。

これと同じ体験をしたのが、川上弘美さんの「水声」だった。
端的に言ってしまえば一つの家族のお話なのだけれども、母と娘、母と息子、父と子供達、遺伝上の父と子供達とか多角的な方向からの愛情やらなんやらが絡み合っていて、複雑すぎて不思議な形とバランスで成り立っている様な物語だ。

主人公の女性は実の弟を愛するのだけれど、川上弘美さんが書くので全然ドロドロ感はないんだけど、無い所が業が深い感じがして、少し辛い。
でも業なんてものは日常に紛れてしまえばそんなものだろう。

最終的に二人で暮らすようになる訳だけれど、最後の方で、
「いつもわたしと陵は裁かれている。わたしたちを知るすべての人々に。けれど、真にわたしたちを裁いてくれる者など、ほんとうはどこにも存在しない。」
(『水声』より抜粋)
この文章を読んだ時、「私を離さないで」を読んだ時と同じく嗚咽をもらした。

川上弘美さんもイシグロ氏と同じく、派手な感情描写は無い。
一つのちょっとワケありな家族の顛末を淡々と、何事にも振り分けず進めている。
本質的にイシグロ氏によって張られた伏線と、川上弘美さんによって押されたボタンは同じ所を指している気がするのだ。

人は弱く哀しい生きものである、と言うこと。
でもそれを忘れると人ですら無くなってしまうと言うこと。

自分のむせび泣きのせいで両者の作家さんには何の意図もないのだけれど、私の中で「私を離さないで」と「水声」は姉と妹の様なつながりのあるものになってしまった。

出来るなら私は最期まで、人でいたい。


何もないあなたと 何もないわたし

  • 2017.10.15 Sunday
  • 16:12
「オトトキ」のタイトルが発表された時は、なんだかんだとモヤモヤしたけれど、結局楽しみになっている今日この頃。
釜山国際映画祭のレッドカーペットも、もうちょっとギラギラしたロックスター感出してくんのかと思ったら、4人とも、ていうか吉井さんとヒーセかな笑、なんか柔らかくて嬉しそうで可愛かったな笑。
菊地ブラザーズは割とピシッとしてたけど。
まあもうあれなんですよね、割と昨年の祝祭ツアーを老体とお財布に鞭打って少ないながらも追いかけたせいか、割と私の中でのイエローモンキーに対する後悔というか、熾火みたいな思いがバーンと弾けて花火になったみたいな所があって。
だからスッキリもういいよ、って事ではなくて、ある種吉井さんの言葉を借りれば成仏したような気もしてて。
イエローモンキーだけじゃなくて、あの頃の時代とか若かった自分とか、一切合切含めて昇華したような感覚が、ある。

なんかすごくきれいなんですよね、今の4人から出る空気感が。
あのNAIを作った時、SICKSのレコーディングをしていた時のいい空気を閉じ込めたような曲とかなんとか、そんな事を吉井さんのが言っていたけど、NAIから感じるものと今の空気感が似ているなあ、なんて思ったりする。

盤石な感じではないんだけどね笑
むしろ本当に儚くて、モノクロのフィルム映画みたいな切ない感じなんだけど。
音はあんなに力強いのに。

つまるところ前からそうだけど、でも更にもう色々極まってみんな生きててくれりゃあ良い、みたいなとこまで来てしまって。
こんな曲ヤダとかあんな曲が良いとか、パーマまたかけたんかとか、なんで英二だけ名前飛ばされたんだとか、アルバムなるべく早めにとか、どーでも良いけどエマさんはやっぱ働きすぎだとか、でもエマウブウエノとかどんだけ吉川さん私と趣味合うんとか、思ったりはしてもでももう生きてて4人でなんか楽しそうにしてはる、と言う事実だけでもう全てだと思うし、それを時々公開してくれる、しかもハイクオリティなライブ付きで。
(なんか違う)
もう個人的にはそれで良いなあと。
期待と言う名の押し付けを、愛という名の元に行う事をしなくてよいってなんて素晴らしい。

本当素晴らしい再会にしてくれたイエローモンキーのメンバーとTYMSプロジェクトの皆さんに感謝します。
また「オトトキ」見て文句言ったらごめんなさい。


高橋大輔 CaOI2017 Krone

  • 2017.10.10 Tuesday
  • 21:49
ギルティクラウン、と言うアニメの曲なんですね?
何を隠そう、私アニメはさっぱり分からんのです。エヴァンゲリオンすら見ていない。多分世代なんですけどねぇ、もう少し上かな。
漫画はまだ数少ないけど読んだりするのですが、アニメは馴染まないまま大人になると見る機会がないものですな。


2017 CaOI


とりあえずアニメの内容は調べずに鑑賞。
何というか、何かしらの手遅れ、取り戻せない感じ。
予め失われた王国、のような。
ナルニアの魔法の本みたいに、開くとまるですぐそこに現れて紡がれる物語のようで、でも本を閉じた瞬間ふっと消えてしまうみたいな。

曲の山場の部分、動きそのものは激しく例えば憤りや慟哭、焦燥の様に取れなくもないが、それよりはもっと既に手の施しようの無いと言うか。
苦しみと悔恨によって涙を流しながらも、より深い諦念が重力となって沈んでいくようなイメージ。

救いは無い、が終焉は来た、という感じ。
まあ、その縦糸としてずーーーっと「美」が伴ってるんですけどね。いつもの事ながら。
結構テーマ的に重そうなんだけれども、とにかく綺麗なので笑、ほぅと見てしまう訳ですよね、ええ。

でもなんだろ。
本当一日中頭から顔撫でていてくれませんかね、とお願いしたくなる程、なぜ顔撫でるだけであんなに心を掴むんですかね。
私だけなのかな、高橋大輔が頭部及び顔周辺をなぞったり撫でたりすると、何かを思い出しそうな感じがするのは。
何か忘れていた事を、心の中の忘れている場所を指し示されるような、そんな気持ちになるので。
どことなく落ち着かない気がしてしまう。

そして本当にアレね、センス良いのね。
このプログラムにももちろん、ご自分の身体を本当に美しく見せる丈とか素材とか色とか熟知してらっしゃって、まあ。
あれで月光のステップとか!!!!
色々相まってなんかもうムカつく。(何故)
しかもなんか終わってすぐ「いや、もう覚えてないしー(照)」みたいなジェスチャーやめい。
爽やかさここに極まれりみたいなの、やめい。
そら完璧主義のご本人的には満足いかんかったのであろうけども、全然良いから!!!
寧ろ鳥肌モノだから!!!
衣装と月光もフィットしすぎだから!!!
まあ、もうここまで来ると偉そうぶる高橋大輔とか想像できないけど(見てみたい笑)。

何だろうか、とても表情が引き締まっていて目に力があって、日々充実してらっしゃるのだろうなあと勝手に感じた。
良いことですなぁ。

追記
感想を書いた後、ザザッとギルティクラウンに付いてググって見ました。
ツイッターなどで新プログラムのレポなどを検索してた時に「葬儀社」って何度か見かけて。
へぇーアニメなのに葬儀会社の話なのー、山村美紗みたいー、モミちゃん出るのかしらん、などとアホな事を思っていた。
そらそうよね、アニメで葬儀社の話は無いわな。
ごめんなさい。

オールドガールは泣いて走る

  • 2017.10.03 Tuesday
  • 22:02
渡會さんの新譜「After Fork in the Road」、無事フラゲ完了、後拝聴。

このフラゲって習慣は一体なんなのだろう。
子供を産む前までは特になかった様な気がするんだけども。
ようやく音楽を聴く時間を取れるようになったのが幼稚園に入ってからだったから、その数年の間に浸透したんでしょうなあ。
もうフラゲ日が発売日でいいやん、て思っちゃうんだけどね。なんか業界のご事情でもあるんでしょうかね。知らんけど。

ところで今3周目なのだけども、これはもう。
全 編 切 な い。
1曲ごとに切ないの色がひらひらと変わるんだけども、でもとにかく切 な い。
どうしてくれよう。本当にもう。
特に5曲目の「Old School」、6曲目の「Weather Report」の流れが。
オールドもオールドなオールドガールはもし今10代の身体に戻れたなら、裸足で涙を零しながら走り出したいくらいだ。
「Old School」は懐かしさとかわいさと切なさが入り混じって、じわりと涙が出そうにはなるんだけど、どこか笑顔でいたくなるような。
だけどもこの「Weather Report」は。
夏のライブでアコースティックで聴いた時と芯の所は同じ感覚を覚えたんだけれど、感性という器官があるならば強く握られたように痛みに近いくらいの切なさがある。
久しぶりに固まったまま頭から終わりまで曲を聴いた気がする。
あんまり切ないんで、誰かに取りすがって子供のように泣きたくなる程だ。
なんだよ、もう。
通勤時のお供にしようと思ってたのに。これじゃ切なすぎて朝から泣きそうになるし。

多分「Weather Report」は今現代を生きる人の真実の、すごく真ん中の、核の部分に迫りすぎてるように思う。
歌詞もあるけど、それよりもとにかく初めのアコースティックギターの音色から既に空気感が違う。
二人の個が暖め合う幸福とその儚さとか、伝えられる世界の手に負えない混沌さとか、それを個に還元する事の覆せない不可能とか、生きているだけで千々に切れそうな感覚とか。
久しぶりだ。こんなことを歌わないでくれと思うのは。
とても良い意味で。

いや、全編本当に良い曲ばっかりだけれど、この「Weather Report」だけでも1,600円(税別)の価値が、いやもっともっとある。

前から感じてはいたけれど、渡會将士というボーカリストは歌が上手いのはもちろんなんだけど、声の演技力とでも言えば良いのか、声単体で伝えてくる感情の量や色が多量で多彩だ。
たくさんの色が目の前を通り過ぎるみたいに。

前回の「マスターオブライフ」はタイトル通り日常の中で鳴るのに非常に相応しく、聴くものの生活を優しく彩った。
対象に対して適度な距離をとった歌が多かったと言うか。
でも今作はもっと視点が内側というか、渡會さんの視点をこちらも一緒に見ているような感じ。
赤裸々とは違う、でもそこにある物が正しい大きさで見えるような、思い込みで小さく見えたりバカに大きく見えたりしない感じ。

あー、あかん。
今また「Weather Report」。暫く家でしか聴けないわぁ。また泣きそうになってるし。(いや、実際泣いてる。)
こんなに生きるという事を切なく、美しく歌わないでくれよ。

でも、ありがとう。

…ずっと思ってたんだけど。
渡會さんて、歌詞でよくcall my nameとか俺の名を呼んでみろとか、名前を呼ぶ声でとかあるけど、名前を呼ばれる事にやたらとこだわりがあるんだなあと。
自分が自分である事を他者から呼ばれる事で感じたいのか。なんなのか。
ま、わからないけど。

これやばいわ…もう一回生で、今度はトリオ編成だし、音源に近いよね…。
ライブハウスの暗闇ならまだしも、仙台の会場あのラウンジだしなぁ…。
泣かないように気をつけなければ…。

ほんと、人の才能ってすごいな、と思えた、めっきり秋めいてきた仙台で、一人思う。
ありがとう、良い夜になりました。


あくまでも噂なの

  • 2017.10.01 Sunday
  • 01:02
先日放送されたとんねるずの特番で、往年の名キャラクターである保毛尾田保毛男が登場した。

私もその番組を見ていて思わず懐かしー、と頬を緩ませた者の一人である。
しかしながら、翌日?当日からかな、LGBT団体の方々から差別的だとクレームが入ったとの事だった。
うーん、と首を傾げざるを得ない。

私は人のセクシャリティに対して何ら興味はない。
と言うより、セクシャリティ以外の事でもその人個人の、パーソナルな領域の事について他人がとやかく言う権利など、そもそも無いと思っている。
しかるにその人のセクシャリティがどうであろうと私の関知する所では無いので、良いも悪いもあるものではない。
みんな好きに、好きなものを好きになったら良い。

勿論そう言う人間ばかりではないので、実際LGBTの方々が受けたと感じた差別的な体験や傷については申し訳ないが想像の域を出ない。
だからこそ今回の保毛尾田保毛男についても、瞬間的に嫌悪感を抱いた人がいるのも理解は出来る。

私はいわゆるアラフォーと呼ばれる世代で、とんねるずの最盛期であろうと思われる90年代に散々彼らの番組やコントに触れてきた世代だ。
勿論保毛田保毛男もリアルタイムで見ていた。
初めは教室に良くある風景(だったかな?)の中で出てきた教師役で、ウケが良かったのだろう、その後保毛男メインのコントがシリーズで続いたと記憶している。

保毛尾田保毛男が差別的だとは私は感じた事がない。
当時小学生で性に対してほぼフラットであった私が見ていて、同性愛の人って気持ち悪いなあとか、変だなあとかは感じていなかった。
なぜなら保毛尾田保毛男は石橋貴明氏が演じてキャラクターの中でも、良識を備えたジェントルマンであったからだ。
むしろあのコントの中でアブノーマルだったのは姉役の故・岸田今日子さんの方で、良識的な保毛男が一方的に翻弄されるという図式だったと記憶している。
(手元に資料があるわけではないのでね、あくまでも記憶ですけど。)

大きな体の石橋貴明氏が小柄で華奢な岸田今日子さんに、あの怜悧で魅惑的な声によって攻められるという構図が面白かったのだと思う。
コント55号の博士が助手にやり込められる図式と似たものではなかろうか。

ともかくわたしが見ていて、同性愛者の方を嘲笑の的にしていると感じたことは無かったのは確かだ。
保毛男さん良い人、と思って見ていた。
そら、名前はアレだけど、コントだもの。
第一とんねるずというコンビ自体が、まずもって大衆に迎合して受けてきた人達ではないのだ。
今で言うカンニング竹山さんみたいなキレ芸ではなくて、若かりし頃の石橋貴明氏は本当に怖かったし。
若い頃のとんねるずは瞬間湯沸かし器どころか瞬間ダイナマイトみたいな石橋貴明氏の側で、人の良さそうな笑顔を浮かべながらもっと酷いことをする木梨憲武氏、というイメージだった。
確かに破壊的ではあった。
でも卑怯じゃなかった。だから面白かったのだ。

石橋貴明氏は保毛男を、同性愛というものを貶めようと思うなら、もっと酷いキャラクターにしたと思う。
より性的に、より露悪的に作る事も出来たと思うが、先にも書いたように保毛男は良識的でジェントルマンでお姉さん思いのとても良い人だ。
どうしてそれを差別的だと言うのか、私にはちょっと分からない。

そもそも人のセクシャリティって危ういものじゃないかな、と私は思っていて。
10代後半の頃は割と悩んだりした。
本当に私は男の人が好きなのかな、とか。
割とノーマルな人の中にも居ると思いますよ。
女の子の肉体に興味があるわけではないけど、話していて相互理解が本当に働くのはやっぱり同性だしなあ、とか。
でもどこかで男性とそうありたいと思ってしまうけど、それはやっぱりあり得ないのかとか、考えたりして。
ぶっちゃけ今も答えは分からないですけど。
同性に対して恋心に近い憧れを抱いたりするのは、男性でも女性でもある事だと思うし。
少なからずメンタルでは両性愛の人とかは潜在顕在問わず割と居ると思っている。

でもあのLGBTの方のセクシャリティって凄く複雑な分類があって、勉強不足で申し訳ないけどちょっと当事者でないと覚えきれない所もあって。
そして何となくですけど、そう言う枠の中にご自分達で自身を押し込めてる様な印象もちょっとある。
初めは違うのかもしれないけど、セクシャリティに分類がありすぎるのもなんかおかしな気もして。

基本的には人の心って揺らぐものだから。
私だって基本的にはノーマルだけど、もしかして出会う人の中で唯一その女性だけは身も心も欲しいと思う事もあるかもしれなくて。
でもそれは同性の中でたった一人の事例なのに、それはバイだとか言われちゃう訳じゃないですか。
そんな分類細かく必要なのかなって。

もっと言っちゃうと人の心の傷やトラウマってもう無数に星の数ほど存在するわけですよね。
もしかしたら100人中99人が良いものとして認識しているものを、残りのたった一人にしたら物凄いトラウマな事だったりする可能性もあるわけで。
だから我慢しろって事ではなくて、ある程度自分で避けたりする事も必要な事ではないかと。
だって当事者以外の99人にとっては良きものなわけですから、お互いがお互いの幸福や傷に押し付け合うのではなくて、労わりあうって言うんですかね?思いやりの方がうまく行く気がしますけど。

今回の保毛男さんについては嫌だと感じた人が抗議をしたのでしょうが、私はそれって個人的感覚でしかないのじゃないかと思います。
だってあの番組内で保毛男さんが差別的な表現をしたとは思えないので。
まあ、名前って言われるとすみませんって感じですけど、もうその名前すら別に単なる個人名みたいな認識なので。

むしろあれですよ、石橋貴明氏のやったキャラクターの中なら宜保タカ子の方がよっぽどえげつな…
なんせ実在の人物ですからね、宜保さん。ええ。

私は石橋貴明氏ってパブリックイメージだとこう、荒くれ者と言うか、粗暴なイメージが強いのかもしれませんが、本来かなり繊細な方だとお見受けします。
良識的で優しい保毛男さんは、もしかすると石橋貴明氏の普段見せない核の部分に近いのじゃないかな、などと今回の騒動を受けて思いました。
多分抗議が来る事も想定してたんじゃないですかね、番組側も。

何となく時代が変わったとか言ってる人が多くるみたいだけど、変わったのではなくてそれが差別なのかそうでないのか見分ける能力が無くなった人が増えたのではないかと。
そんな気にもなったりした。
本当の差別はこう言う事ではないと思う。
もっとぬるくてもっと緩やかで、そしてもっと汚いやり方でやって来るのが本当の差別だと思う。


After Fork in the Road

  • 2017.09.25 Monday
  • 00:50
Fork in the Road=分岐点

昔から何かの分岐点に立たされた時、Aを選ぶかBを選ぶかで、大きく幸不幸が分かれるような古典や作品が多くある。
でも40年弱生きてきて、人生そう簡単なもんでもないよなぁ、と思う。
個人的な主義として、後悔はしないのではなく、しないようにするもんだと思っている。
後悔している、と言って良いのはもう絶対に取り戻せない物に対してのみ使いたいなあと。
ま、そうは言っても簡単なことでは無いけれど。

渡會さんのミニアルバム、After Fork in the Roadの曲がラジオで解禁になると知って、radicoさんで聞いてみました。
技術の進歩ってすごいわー。
昔なら聞けない地域のfmまで聞けちゃうんだもんねー。
などとラジカセのアンテナをどこに立てたらNack5の音良くなるかな、なんてやってた青春時代を思い出したり。
なつかすい…。

かかったのは表題曲の「After Fork in the Road」。
清々しくてキラキラしてて、風が気持ち良いけれど、ちょっとさみしい。
キラキラしてるのは海って感じで、そんなこと一度もやったことないけど、オープンカーで人気の少ない海岸線を走りながら聞いちゃったら、ものすっごい気持ち良さそうなそんな曲だった。

いわゆるハッピー感とは違う、充足感と言うのに近いのだろうか。
誰かに宛てた私信みたいな、最近こっちはまあまあ元気でやってるけど、そっちはどう?って言われてるような、海辺の街から届いた手紙みたいな。
うーん、こっちはどうかな。疲労感と常に同居してる感じ?仕方ないけどね、生きるってそう言う所もあるでしょ?
なかなか長い事こんな感じだからさ、でもこうやって手紙もらえて嬉しいよ、ありがとう、とでもお返事したくなるようなね。

ふと、この曲を聞いた時、バンドのフロントマンがソロになった時感じる、なんて言うんだろう、リアリティ?うーん、違うな、なんかヒーローがマスク取って素顔晒した感…かな笑
うまく言えないけどさ、あの、YOSHI LOVINSONを初めて聴いた時を思い出して。

私は初め吉井さんのソロを聞いた時、あ、やっと会えたな、みたいな気持ちになったんだけど。
あのTHE YELLOW MONKEYと言う巨大なバンドの中で薄々感じていたものが、ダビデ像みたいに剥き出しになって見えたなぁ、みたいに。
曲の中に本人の全てが現れている訳ではないだろうし、別に詩の意味をまんまその人たちと思っているなんて、そんな悲しい事はもちろんしないけど、曲達のイメージが重なって一つの顔になるような、そんな自画像が見えたような気になったんである。

渡會さんの場合はリアルタイムでFoZZtoneを知ってた訳ではないけれど、何も纏わない素の、一人の人としての思いがすーっとまっすぐ伸びる感じで、とても受け取りやすい。
ある種バンドという要塞の中で見えなかった部分が、ソロになると如実に見える人と、バンドのカラーそのまんまやんって人と居ますけどね。
やはりソロになるならバンドと違うとこ見せてくれよと、私は思ってしまう方だけど。
ただ、そう思っておきながら、吉井和哉のソロでイエローモンキー復活前の1、2年はちょっと聞きづらいなぁと、正直思ったりもした。
なんつーか、どんどんと吉井和哉と言う個人の輪郭がくっきりしてきて、し過ぎて、アーティストとして対峙する時の距離感が難しくなっちゃって。
すいませんね、ワガママで。
その性別や環境に左右されない感受性ってあると思うんですけど、なんかそうじゃない所が濃くなってきた…?ような気がしたんですよねー。

After Fork in the Roadを聞いた時に、その同じような私信感を感じたんだけど、そこには気持ちいい開放感と時間の流れを感じただけで、違和感とかは無かった。
うーん、書きながら思ったけれど、やっぱりそのミュージシャンをいつ知ったか、どのように見てるかによるんですかね〜。

吉井和哉やイエローモンキーは私の10代からの憧れであり、やっぱりロックスターだけれど、渡會さんは近年になって知って、世代も近いし、同時代を生きる才能あるミュージシャンだと言う認識だからだろうか。
うーん、でも、なんか違う気もする。
しばらく頭の片隅に置いておこう。

ともあれ良い曲がまた発売されるのは嬉しい事だ。
そんなことを楽しみに何とか生きてる。
あと100年もしないうちに、人類は滅亡に向かうとホーキング博士は言う。
そうなのかもしれない。
だから火星への移住計画をって言っているようだけど、本当にそれで良いのかね。
本当にもう間に合わないのかね。
余りに無責任な気もするんだけどね、それ。
多分私は火星へは行かれないし、行く気もないけど。
火星には何にもないらしい、水がないらしいし、ビールしかないって言うから。私は飲めないからさ、やっぱり火星には行かないわ笑


brainchild's V.I.P 2017

  • 2017.09.17 Sunday
  • 23:47
いやー、笑った。
笑い過ぎて久しぶりに表情筋が痛くなった。
まあ、もちろんこの笑いはbrainchild's 自体、エマさん始め参加ミュージシャンの皆さんについて知識があるからって言う、ある種の内輪ノリではあるんだけども。
まあファンクラブ限定イベントなんだから当たり前か笑

そして個人的には去年は行けないよなあと諦めたイベントだったから、申し込む事も日帰りとは言え行こうと思える環境になった事も嬉しかった。
お帰り、私の個人的自由よ。
またこれから世界を広げて行こうね。

今回は川柳とエマさんの似顔絵だったけど、やっぱりそれぞれ凄く個性が出ますねえ。
あと鶴のお二人、ノキアさんも神田先生もお客さんに対してのアピールが上手ですね。
別に全然媚びてるとかは無いし、ご自分の好きなやり方なんだろうと思うんだけど、でもちゃんと見る側を無視してないって言うか。
後オニーくんの絵。
オマージュ作品とは言えすごく好きだったなあ。色遣いが綺麗だったー。
でもワッチ。敢えてワッチって言うけど。
なんであの不思議な肩透かし感。
せっかく絵が上手いのになぜー。
そして若干その肩透かし具合も微妙ー。(ごめん)
あんなに仕切りは上手いのに。てか寧ろ毎回司会はワッチでお願い。

面白かったのは7期全員が絵が上手いこと。
MALくんと早川くん、そしてノキアさん…笑
ありがとう、本当に幸せになりました。
あんな破壊力のある絵を見たのは初めてかもしれません。ええ。

その後のライブパートは当たり前に良かったですが、トーク部分でもライブでもやっぱりこのブレチャの良さってなんて言うんですかね、エマさんが輪の真ん中でそれぞれのミュージシャンももちろんかっこいいんですけど、ミュージシャンの皆さんがエマさんの事が好きなんだなー!ってのがすごく良く分かって。
そしてその気持ち自体がこっちがエマさんに対して抱いてる思いとすごくシンクロするんで、フツーのアーティストのライブやらで感じるシンクロとちょっと違ってて。
見てる側が直接エマさんに対しての憧れとかも思うけど、それぞれのミュージシャンを通してもそれを擬似的に体感する様な、それでそれぞれのミュージシャンに対してもグッとくるポイントがあったりもして。
なんか色んな良い感情が幾重にもやり取りされる感じって言うかなあ。
アーティストと観客が相対する感じって言うよりも、エマさんと参加ミュージシャンと観客って言う三層構造みたいな。

決してエマさんを褒め称える会になってる訳では全然無いのにね。
それじゃつまんないしね。
そうさせないエマさんは、でもやっぱりすごい人だなぁ。

イエローモンキーのカリスマ性とは違うけれど、ブレチャはブレチャで続けて欲しいしな。

あの、でも一個だけ…。
このご時世ファンクラブ限定イベントで、身分確認は致し方ないと思うのですが、ちょっとあれ、あの確認の仕方ではお時間がかかり過ぎるかも…。
事前に開場までに身分確認は済ませる、にしといた方が入場がスムーズだったかもなー、なんて。

でもイベント自体はほんと楽しかったです。
楽しかったお陰で、普通強行した後の翌日とかマジ疲労感あるんですが、疲れなかったです。
やっぱり楽しい事って疲れないんですね笑
エマさん初めブレチャの皆さん、スタッフの皆さん、ほんとありがとうございました。

またお会いできる日を楽しみにしてます。

音楽は魔法か否か

  • 2017.09.14 Thursday
  • 22:08
なんだかベイキャンプと言うフェスで揉め事があったようで。

まあ、なんと言うか、ほーん、みたいな感想しか出ないんだけども。
当事者の大森靖子さんと言うシンガーの事も、Yogee New Wave?さんだったかな、も存じ上げなかったからね、火事場見物みたいな感じになっちゃいますけどね。

「音楽は魔法ではない」って歌い上げた直後に、「音楽は魔法だよ」って言われたらまあカチーンと来るのは分かるよね笑
でもなんつーか、別に揉めるなとかケンカすんなとかは思わないし、むしろステージに上がっちゃってやりあっちゃっても良かったんじゃなーい、などと思うけどさ。
SNSなんかで責めるよりその場で言い合った方がね、野球の乱闘みたいでまた趣があったりなかったり。(どっち)

事態の収拾は何だかYogeeなんたらさんの方が頭を下げたみたいだけど。
別に謝るこたないと個人的には思うんだけどね。
彼らが本当に音楽は魔法だと思っているなら。
まあきっと早く沈静化させるように周囲の人達からも言われただろうし。
でもそんくらいで頭下げるなら初めから言うなし、と思わないでもない。

事の顛末自体はそんなに興味は無いんだけど、音楽は魔法か否かと言う答えの出ない、又は無数に存在するような疑義を呈したのは面白いなと思った。

私個人としては、それはその当事者が音楽と言うものを自分の内側にどれだけ引き込んでいるか、と言う点にかかるような気がする。 大森さんの「音楽は魔法ではない」という言葉は、音楽と言うものと自意識が密接に絡み合い、境目が分からなくなっているからこそ出て来る言葉だと思う。
自分の存在は魔法ではないしね、現実だし、痛みを伴うしね。
きっと真実に迫るだろう、でも端的に言えば重い。
その痛みや重さで救われる人も居れば、気が滅入る人もいるだろう。

対して「音楽は魔法だ」と言ったYogeeなんたらさんは、恐らく好きなもの、素敵なものとして音楽を愛し、持ち運び、広めているんだろう。
大森さんよりも音楽を客観視している、と言えば良いか。
距離感て大事ですよね、なんでも。
近づき過ぎると息苦しい時とかあるしね、心地よい範囲ってあるしね。
でもそれだと他の何かと似ちゃうんだよね。

ミュージシャンの言う音楽は魔法か否かと、聴衆のそれはまた意味合いが違ってくるだろう。
私としては「音楽は魔法、になる時もある」が一番しっくりくるが。
時折、初めてその曲を聴いて、好きだとか感情が動く前に、涙が勝手に出る事があったりする。
会ったことも話したこともない、どこかの誰かと言うのに近い人が作って、CDにして、何ヶ月も経ってから届いたその曲で、知らない街の知らない誰かが予期せぬ涙を流したら、それって魔法って言っても良いと、私は思うんだけども。

板前さんだって、大工さんだって、バスの運転手さんだって、もっと言えば働いてる大人の人みんな、立場を変えて見れば魔法使ってるみたいじゃないか。
むしろ大人は子供にとっての魔法使いでありたいじゃないか。

音楽は魔法だよってそんなに悪い言葉ではないと思うよ。
それだけの覚悟をもってここに立つよって意識ならさ。

…まあフェスってこう言う危険性も孕んでますよね。
食べ合わせの悪いものを一緒のお皿に乗せちゃった、みたいなね。

後やっぱ、喧嘩は面と向かってした方が良いよね。

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