大いなる失恋、とでも言おうか

  • 2018.06.20 Wednesday
  • 23:37
少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。
でもまだ余韻は残ってるけど。

つい先日、長い年月憧れ続けた人に、正確にはそのお一人とお仲間にお会いする事が出来た。

時間にすればほんの5分くらいだろうか、何しろテンパり過ぎていて正確には分からない。

全くの幸運で会うことが出来たのだけれども、直後私が感じたのは人生で一番の羞恥心だった。
恥ずかしい、しかなかったのである。

もっと正確に言うと、お会いした瞬間から恥ずかしかった。
何度となく遠くから拝見しているのにも関わらず、いざ同じ地続きに至近距離で接した時から逃げ出したくてたまらなかった。

会えると言うことになった時、辞退しようかどうか迷った。
まさか本当になるとは思っておらず、瞬時に無理、と思ってしまったから。
しかしながら、もうこれから先二度とない機会である事に違いなく、とにかく行ってみようと決めてみた。
決めてはみたが、甘かった。
そりゃ勿論緊張するであろう事は容易に想像できたし、実際そうなるだろうと思っていた。
思っていたけど、やって来た緊張は私の予想をはるかに上回るとてつもないド緊張だった。
そして、人は経験したことのない緊張に見舞われると精神的に繕ってるものが全部取っ払われるんだな、と知りました。
下から出てきたのは、大人になってすっかり忘れていた『人見知り』。
知らない人達ばっかり(当たり前だけど)の中、もう一つ忘れていた事がありました。
私は背の高い男性が少々苦手、素直に言えばちょっと怖いのです。
目の前に現れた憧れの方とそのお仲間の皆様は全員180センチ前後の大柄な男性。
声が上から降って来るのに、より緊張の針がMAX側へと振り切れました。

何度か顔を上げてはみたが、直視する事も出来ず、とにかく殆ど下を向いていたと思う。
一刻も早く帰りたい、消えたい、と思っていた。
そうしたら最後に伝えたいことを言えと言われて、そもそも今帰りたいしかない私の頭は大混乱、でもわざわざここまで来るくらいのファンなのに、いえ特にとも言えず、絞り出したのは…「大好きです」………

これがまあその、うら若き乙女ならば可愛い話や〜と思います。
しかし私はいい年のおばさん。
子供は高校生。
つまりは経産婦。痛い思いもしました。
そりゃ、大したことない人生ですけども、それなりにはあったし、自分なりには懸命に生きてきたつもりです。
少しは大人としての核、みたいなものが出来てきたのではないかな、などと思っていました。
それなのに。
今この目の前の出来事に言葉一つロクに出ない。
緊張してるからと言っても、もう少し何とかなると思っていたのに。
初対面の方に、向こうからしたら見ず知らずのおばさんからの突然の告白。
少しばかり自分へ持っていた信頼のようなものが、足元から音を立てて崩れました。
目の前が真っ暗です。

私の人生経験なんて、全く役に立たなかった。
年齢的にそれは結構辛かった。
20年近く憧れていた人に会えた喜びより、まるで見せかけだけの張りぼての様な人生だったのかもしれないと思ってしまった事がショックだった。
誰だって自分の人生はそこそこマシだと思いたいものでしょう。

情けなくて恥ずかしくて、帰宅後私は胃痙攣を起こし、翌日からは精神的ストレスからと思われる口角炎を発症。
ここまで書くと少し面白くなってきましたけど、でも未だに恥ずかしさは残っている。

ので、私は少しやめてみる事にした。
その人に纏わるものに触れるのを。
全くその方にもお仲間の皆さんにも落ち度は無いのだけど、チラとその端にでも触れるとあの強烈な羞恥がぶり返してきて、ちょっと日常に支障を来すので。
関連するものも全て箱に詰め、目に見えない所へとしまった。
しばしのお別れです、まあ、勝手に。
今でも憧れているし、好きな気持ちは少しも変わりないのだけど、この羞恥を何とかして乗り越えない限り、もう一度素直に受け止める事が出来そうにないので。
私は私の体からはどうしても抜け出せない。
自分で自分を恥ずかしいと思う事は辛い。

結局私は、緊張によって剥かれた私の実態に何の自信も無かったのだろう。
だから恥ずかしかったのだと、今は思っている。
私は私を心底好きだと言えないから、恥ずかしかったのだと思う。
だから私は自分を本当に好きだと言える様になっていきたい。
その為に今回、大いなる失恋とでも言いたい経験をして、良かったと思う。

まっすぐな喜びを感じられなくて本当に残念だったけど、でも衝撃的な経験でした。
気持ち悪いおばさんで申し訳なかったですが、本当にありがとうございます。
またいつかあなた方のもたらしてくれる物を、真から楽しめる日を夢見て頑張ります。

触れずにおきたい

  • 2018.06.14 Thursday
  • 15:08
問題だったが、この流れが気持ちが悪くて。

国のために私がいるわけではなく、たまたまこの国に生まれただけだ。

国家という概念に思うところはそれだけだ。
それ以上でも以下でもない。

どの国に生まれていても同じ事。


この国が好きだと言うのも自由だが、この国が好きでもなんでもないという人間が存在するのもまた自由だ。

選んで生まれたわけでもなし、国などと言う概念にそこまで入れ込む事は思っているより危険な事だ。

全て終わった時、全て喪失していたなんて事にならないといいね。

Island

  • 2018.06.04 Monday
  • 23:39
ああ、もうとにかく今日は疲れた。
疲労困憊だ。

一週間を乗り切るエネルギーを使い果たしてしまったと、帰る道すがら淀んだ空気を身に纏っていた。

ボロボロの母に息子は優しかった。

ボロボロの私に吉井和哉は詩を届けた。

どちらも同じくらい私を救った。
息子は現実の手触りで。
吉井和哉は奥底の温もりで。

生活は容赦ないけれど、ありがたいことに救いはあった。

歯を磨いて、顔を洗って寝よう。
シャワーは明日浴びるとして、とにかく私は寝なければ。
寝て、また明日を生きなければ。

ありがとう、息子。優しい熱を。
ありがとう、吉井さん。震える詩を。

おやすみなさい。混沌の世界。


誰の手を握るのか

  • 2018.06.03 Sunday
  • 00:03
映画「万引き家族」を見る。

私の(違うけど)ケイト・ブランシェット様が大絶賛の、ま、それじゃなくても観ると決めてたけども。
ボブ・ディランを描いた映画、「I'm not there」で誰の演じたボブ・ディランよりケイト様のディランに一番グッと来てしまったのですよね、是枝監督には関係無いけど。

最後のシーンで、思いがけず、いや気になっていたから余計にかもしれないけど、何とも言えない取り返しのつかない様な絶望が日常の中に溶け込んでいるのだと言う事に、痺れのような鳥肌がたって涙が出た。

すごいラストシーンだと思う。

どの場面も一つ一つ切り取っても、きちんと重みのある手触りがあって、意味があって。
今まで観た是枝監督の映画の中でも「日常の生活」が真に迫っていて、樹木希林さんの存在もさることながら、やはり安藤サクラさんのもたらしたものが大きかったように思う。

終盤でケイト・ブランシェットが褒め称えていたであろう、安藤サクラさんの演技。
ほぼ顔のみが大きく映し出されて、背景も何もない。
役の信代と対峙している様な感覚になってしまった。
私は、本当に、正しいのか。
何も自分を絶対正義だと思っているわけではない。でも社会的に非難されるべき存在であってはならない、特に子供のために。
そう思って真っ当な人間の皮を被って街を歩いて来たのではないかと。
本当に信代さんが間違っていて、私が正しいのか。
何かこう、心の真ん中の所を掴んで揺さぶられた様な気になった。

親は選べない。
産んだ、という事実の揺るぎなさと危うさ。
私は息子が8才の夏に、子供の人生の責任を親が取るなどと言うことは絶対不可能な事なのだと、そう体感したことがある。
その時に産むという行為の暴力性を痛感した。
勝手に妊娠し、産まれたいのか否かの確認も取らず(正しくは取れず)、幸せになるかどうかの確約もせず(最大限努力するにせよ)、この混沌とした世の中に産み出すのだ。
そして親は先に死ぬ。
頭で分かったつもりでいた事でも、体感として分かった時の衝撃は大きかった。
衣食住の確保、健康的な生活、情緒の育成、教育の機会を滞りなく行ったからと言って責任を果たしたと言えるのか。
子供が幸せな人生を送れるかは結局本人の力によるところが大きい。
もし、息子が親を選べたとしたら、私は選んで貰えるのだろうか?
生計の立て方は置いておいて、あの家族を見せられたら、私は正直自信がない。

今息子は生というスタート地点から少々進んだくらいの所で、生を背にして歩いている。
対して私は折り返し地点に差し掛かって、死と言うゴールへ向かい出している。
そう言うと息子はずるいと言った。
そう言われても、である。
親と子なんて永遠に同じ地点には立てない。
同じ目線で物を見る事も、歩幅を合わせて歩く事も出来ない。
同じ家に居るだけで、いつも立っている場所もやるべき事も違うのだから。

誰の手を握るのか、もし選べたのなら。
完璧な人はいない。
でもあなたに優しい人はどこかに必ずいる。


STAY ALIVEツアー 5/19 EX THEATER

  • 2018.05.20 Sunday
  • 21:56
いやまあ、うん。
遠征しないとは言った事もあったかもしれない。
うん。
でもふと思っちゃったんですよね。
あれ、六本木行けば次の日プラド美術館展も行けちゃうのでは…?
一回の交通費で二度美味しいのでは…?
…そこからは早かったですね。
決めたらすぐにテキパキしちゃう癖をどうにかしたいです。


雨が心配されたけど、午後にはもう日差しも見えていて、晴れ男ランキング19位だかの渡會さんのおかげでしょうか(笑)

途中ちょっとホテルの場所を探すのに手間取ったけど、無事に荷物を置いて六本木へ。
何を隠そうEX THEATERはおろか、六本木自体初めて行きました。
およそ私の人生とは縁のない街六本木。
駅の出入り口がよく分からず、途中ヒルズ内で迷子になりかけました。
ついでにおトイレを借りました。ありがとうございます。

以前はせっかく行くのだからあそこもここも、と欲張って回りましたが、もう無駄に動くと体力がもたないので、始まる20分前くらいに会場着。
EX THEATERとても見やすい会場ですね。
そして天井が高いのが好きです。
いわゆる昔ながらのライブハウスの閉所感も良いんですが、ある程度空間が大きいとなんて言うのか、音がちゃんと行く道があると言うか。
個人的に音は天に向かって昇るものと言う感覚があるので、天井が高いとその感じがより分かりやすいというか。

セットリストは既にうろ覚え。そもそも覚えようとは思っていないけど。

しかしブレチャは本当面白い感覚をくれるなあと思う。
バンドなんだけど、個が混じり合って無い。
混じり合ってないのに一体感もあるような。
3周目にもなればこう、少し馴染む部分、言うなればこなれ感みたいなものが出そうなものだけど、割と常に新鮮な感覚を覚える。
異なると言うのは残っているのに、でもちゃんとブレチャ7期と言う塊にもなっている、その「異」の部分の残り方が絶妙だなぁと思う。

今回の会場はツアー上一番大きいし、東京だから撮影あるよな、とは思ってたけどやはりカメラを数台見かけた。
もうね、ライブ見ながら本当早めに出して、なんならツアー中出して、と思いながら見てましたよ。

特にFlight to the northからRain Stainの流れーーー。
いや本当Rain Stain大好きです。
多分めっちゃリピートしますわ。

あとやっぱり一周回ってPhase2はめっちゃかっこいいな!と再確認しました。
Phase2って2コーラス目が改めてちゃんと聴くと四人四様結構好きなように暴れまくってるな、それをこれ見よがしに暴れないのが大人感あってかっこいいんだな、と。
ほんとそれぞれ主張してるから、下手したらカオスになりそうなのになんだろうな、根底にあるものがなんか良い繋がりだからなのか、そしてそれぞれ技術があるからだと思うけど、バラバラなのになんかちゃんと渦巻く感じで。
結果Phase2かっこいいになっちゃうと言う。

途中MCで、もう終盤だよー、いつも通りアンコールはやらないよーとエマさん、エーイングする観客→やらないよっ!人生だってアンコールは無いんだよって若干強めだけど全然かわいくなってエマさんは言ってたけど、ほんまやし、Four seasonsのアンコールは無い 死ねばそれで終わり〜が頭をよぎったのは仕方ない話。

たった一度きりの人生と生まれてこのかた何回見たり聞いたりしたのだろう。
その通り、その通りだ。
それを本当に心に刻んで生きていくこともまた、とても難しい。

あとあれ、神田先生が何度か俺のライブへようこそ的な両手を広げたり、観客の歓声を受け止めてたりして、そんな所が大好きだと思いました。

リポD飲んで翌日。
プラド美術館展へを見に国立西洋美術館へ。

ベラスケス、何をおいてもベラスケスです。

私は専門家では無いので、とにかく好きかどうかでしか判断出来ないのだけど、ベラスケスの絵は、特にその肖像画は今にも人物がキャンバスの中から浮き上がり一言二言話すのではないか、と思うほどそこに「居る」感じがする。

バルタサール・カルロス王子の騎馬像など、たった6才の幼児でありながら金糸がふんだんに施された重厚な衣装を事も無げに着こなし、ふとこちらを睥睨する(言いたくなるような)視線は、もしこの王子に道すがらチラと見られたならば思わず行き過ぎるまで道端で頭を下げてしまう、そうせざるを得ないような、私と己とは明らかに違う、と言う高貴とも高慢とも言えるまさに王族の眼差しをしている。(最もそれがベラスケスがありのままの王子を描いたのか、そうした超然たる者としての威厳を加えたかは知らないけれど)

とりわけ今回の展示で一番心が動いたのはバリェーカスの少年という、王子の遊び相手として側に置かれた当時矮人と呼ばれた男の子の肖像画だ。
岩なのか洞窟の入り口なのか、腰掛けてその可愛らしい足を投げ出すようにこちらに向けている。
特筆すべきはその表情。
どこか人好きのするユーモラスさもありながら、心持ち顎を上げてこちらを見るともなく見る顔には諦めとも悟りともつかぬ、またどこかでこちら(いわゆる健常な人)を侮蔑するような色もちらと見え、絵筆一つで少年の複雑な心境をここまで表せるものなのかと言う感嘆と同時に、少年がこの表情に至るまでどれだけの傷を負ったのかすら感じる事が出来る事に少し粟立ち、胸の奥の方から湧くものがあった。

何も今更私が語るまでもなく、ベラスケスは大偉人なのであるが、多分私はベラスケスの人を見抜く目が好きなのだと思う。
そしてそれを存分に表せるだけの超絶技巧。
フェリペ4世の二度目の妻、マリアナ・デ・アウストリアの肖像画なんて。
大国の王妃様に大変失礼だけれども、こちらが同情したくなるくらい、不平不満の塊みたいな表情をしている。
よくこんな肖像画を残させたな(笑)と思うほどに。

とにかく雄弁だ。
ベラスケスの絵には必ず意思をもった人がそこに居る。

いやあ、ちょっと途中具合悪くなったりもしたんだけども(どうも年を取ったら乗り物酔いがまた出るようになってしまった。)
素晴らしい休日だった。
いつか必ず本場のプラド美術館へ行って、磔刑像とラス・メニーナスを見たい。
それまでは絶対死なないわ。


今なお不思議なその顔

  • 2018.05.14 Monday
  • 22:21
憂鬱な月曜日を終えて、ちょっとした薬を求めて薬局へ向かう途中。
イヤホン越しにも聞こえてくる泣き声。
見ると向い側から何かを盛んに訴えて泣き喚きながら歩く男の子、とそのお母さん。
時折お母さんの手を引っ張って懸命に何かを泣きながら懇願しているが、お母さんすげなく手を解き、無言で無理だと伝えている。
なおも泣き続ける幼児の声に、何となく「浄化」と言う気持ちになる。
ああして手放しで悲しい心を解き放てる時の短さと、その素直な嘆きのかわいさがとてもきれいな物に思えた。
あんなにわんさかと豪快に泣けるとは、何と清々しい事だろう。

今度発売される吉井和哉ソロ15周年記念アルバム「SOUNDTRACK〜Beginning&The End〜」。
そのアートワークが今日公開された。



ポーンと放られたこの写真を見た時、ああやっぱり私はこの人に未だ惹かれているのだなあ、と思った。
顔の良し悪しではなくて、この人と似た顔を私は知らないのだ。
かわいそうなほどのオリジナリティだと思う。何にもそぐわないと言うことは。
イエローモンキーのヴォーカリストとしての顔とはまた違う。
華やかさをさらっと剥いで、個、としか言いようのない何か、のような。

ついジーッと画面を見ていたら、脇から息子がやって来て、同じく画面を覗き込んだ。
「本当にさぁ、吉井さんの顔って不思議だよね。」
とポロっと言ったら、うん、と言って息子は、
「何かが多過ぎて何かが足りないみたいな顔だね。」
と言った。
くそう、と思った。
20年も見続けて来た母よりも、まるで的確な表現をしやがって、むかつく。
まあ、そう言うものかもしれないですね。
岡目八目とはよく言ったものですなぁ。

ソロのファーストアルバムを出した頃だったか、ジャコ・パストリアスの肖像と言うアルバムみたいにしたかった、とか言っていたような気がする。
曲達が集まって、一個のジャコ・パストリアスと言う風変わりな男が浮かび上がっているみたいだと。
そんなアルバムになればと思ったと。

この写真を見た時、その様な気持ちになった。
この風変わりな男の中身は、やはり音楽の中にあるのだろう。

今100分de名著を見ながら書いているけれど、神谷美恵子さんと石牟礼道子さんがダブって仕方ない。
私の様な人間がおこがましいとは思いながら、このお二人の視点と言うものに死ぬるまでの間で少しでも近付けたらと思う。


日常の帰還

  • 2018.05.09 Wednesday
  • 00:39
とにかく寝てばかりの連休だった。
前半の3日間はいつもの休日よりは少しだけアクティブだったが、後半の4日間は朝起きてはみるものの、うつらうつらを繰り返して、2日過ぎた辺りからもう何曜日やら分からなくなってしまった。

以前はそんな風に過ごしてしまうと、連休明けにものすごい自己嫌悪に陥ってしまったけども。
多分、多少諦めたのだろ。
毎日がエポックメイキングな出来事があるはずも無く、何も持ってはいないけれど寝る部屋と食べるものの確保は出来ている、と言う事。
疲労はあるがとりあえず健康であり、息子も元気だ。学校も行ってるし。

寝るだけ寝た事に罪悪感はあまり無くなったけど、もう1週間くらい休みがあったらな、とは思います。

渡會さんのエッセイが文學界に載る、と言うので読んでみた。

あの、私、渡會さんがブレチャに参加された頃のインタビューとかで、エマさんが渡會さんの事を「ちょっとペテン師っぽい」と仰っていたと思うんですが。
あの時そうかなあ?とあんまりピンと来なかった。
むしろ真面目そうな見た目だし、まあ確かに歌詞とかはちょっと煙にまく感じはあるかもしれないけども、と。
胡散臭さで言ったらエマさんのが…、と思ってたんだけれども。
あのエッセイを読んだら、あぁ確かに、と初めて思った。
うん、胡散臭い。

音楽の方が、てか歌詞か、の方がストレートな人なんだな、と。
文章オンリーになるとあんまり素直じゃないんですね(笑)
面白いなあ、と思った。

会話文はそこはかとなく春樹テイストを感じたのは私だけだろうか。
誰に聞いてるのか分からないけど。
まあ、どっちみち私はうまければ何でもいい派なので、好きな方食べればーで終わってしまうタイプです。
どっちもうまいじゃん(笑)

とりあえず表紙の河東碧梧桐の文字には萌えたよね。


4月30日 MWtrio LIVE DOME STARDUST

  • 2018.04.30 Monday
  • 22:42
初夏、と言う感じの気候。
不思議な時間からのライブだったなあ。

セットリストが決まっておらず、レパートリーの中からご本人がくじ引きで曲を決める、と言うスタイル。
何の曲が来るのかやる方も聴く方もわからないと言う(笑)。
ま、聴く方はそもそもわからないか、普通は。

とりあえず最初の2曲は決まってた様な…
はじめの方でふと「滋味」とか「滋養」とか言う言葉が浮かんでしまって。
音自体にちゃんと栄養のある何かが含まれている様な、身のあるもの、という様な。

きちんとしている、のだな。
出汁を丁寧にとったお味噌汁とか、隠し包丁を入れて面取りしてある風呂吹き大根とか、ひげ根を取り除いたもやしの炒め物とか。
そう言った、別に無くてもいいじゃんって省略しちゃいそうなものを、丁寧に行ったお料理に似た、堅実とも違う、言うなれば精進に近いものを感じた。

それから30代の男性の、なんて言うのかな、自在さ?かな。
体力はまだ十分にあり、経験に裏打ちされた自信もあり、老いの訪れは先の事(笑)みたいなね、充実感がトリオの皆さんの音からぴちぴちと跳ねていて、…ああ、いいなあ…、と遠い目をしていました。
女性で言ったら20代だもんね、そらそうだ。

楽しそうにやってたし、楽しそうに聴きましたが、今日のI'm in Marsとweather reportは一人きりになって味わいました。
weather reportで2回泣いた、と言う神田先生と心の中で握手しました。
いや、ほんとこの曲は何かもっと違う形で多くの人に聞いて欲しいなあ。
ニュースのエンディングテーマとかにしてくれないかと、密かにずっと思っている。

お土産までもらって、KIRINさん、ありがとうございます。
あれ、でも確か、ウィスキーがお好きでしょはサン○リー…。

あとTWILIGHTとesper girl、アコースティックを先に聞いちゃったよ(笑)

それにしてもなぜかな、ブレチャの時はそんな事ないのに、渡會さんソロとかMWtrioだと微妙に緊張する。
よそのお宅にお邪魔する感があるのかな。
3、4回は行ったような気がするけど、まだ慣れんなぁ…。


守るべきもの

  • 2018.04.29 Sunday
  • 20:09
最近起きた某タレントさんの事件について。

こう言った性的な問題が絡んだ事件になると必ず湧いてくる、被害者側の自己責任問題がある。

とかく女性の方に男性を惑わせる様な、誘惑する様なもしくは隙を見せる様な事実がなかったかどうか、世間は鵜の目鷹の目で重箱の隅をつつく様に粗探しをする。

理由はどうあれ、強制わいせつは殺人や強盗と同じ、立派な犯罪だ。
ましてや未成年の女子高生を自宅に呼びつけて犯行に及んだ某タレントさんについては、同情の余地もない。
酩酊していたかどうかなどは言い訳にはならない。

しかしながらキスくらいで騒ぐな、そもそも出向いた被害者が悪い、などと論点をずらす意見も驚くほど多い。 中にはハニートラップに嵌められた、と言う詭弁すら存在する。
もし仮にそれが真実だとして、46歳にもなった男が女子高生の仕掛けたハニートラップに引っかかるようなら、お粗末極まりない。

またキスくらいで、などと言う輩は一体その本人はご自分が16才の時点でどれほどの恋愛経験があったのか、と思う。
16歳の女の子のほとんどはもしキスの経験があったとしても、同学年や同世代のボーイフレンドとのキスしかないだろう。
そしてそれは芸能界の大先輩の、彼女から見ればれっきとしたおじさんに無理やり行われるそれとは全く違うものである。
お互いの好意の元に行われるものと、全くの自分本位な歪んだ欲望を突然ぶつけられるのとでは外見的な事象は似ていたとしても、本質的には180度違う。

この件において被害者側の落ち度を探そうとするのは、常識的に考えて無理がある。

そして常々こう言った悲しい事柄が起こる都度、被害を受けた側に自己防衛や自己責任を主張する意見を目にするが、その度に私は思う。
そう言う意見をふりかざす人達は男性には理性と言うものは存在せず、状況さえ整えば誰でも襲う、ある種動物より低レベルな存在なのだ、と言いたいのだろうかと。

もちろんそう言う人はごく一握りだと思う。
しかしあまりにも被害者の自己責任論を展開していくと、結果的に男性と言うものはいつでも誰でもどこででも、猿やチンパンジーですら存在する生殖のルールすら守れない、と言うことになる。
それでいいんですかね、男性は、そして自己責任を主張する一部の女性は。

個人的に一番許せないのは、わいせつ行為は言わずもがなだが、彼がまず高校生向けの番組で人生の先達としての役割を担い、被害者の女子高生に接していたと言う事実があり、本来ならば彼は庇護し導かねばならぬ大人であったこと。
そしていくら離婚していると言ってもお子さんがいらっしゃるとの事。
父親でありながら、自分の子供と言っていい年齢の女の子を性的な対象としてみていた事は、お子さんにとってどれだけのダメージを加えるか。

46歳だよ。
おそらく中身は10代だったのだろうね。
だから女子高生を恋愛対象に見る事が出来たんでしょうね。

同じ親として、性別は違えど同世代の子を持つ親として、今回の件は腹立たしくまた呆れ返った。
若い人を守り育てなければならない立場にありながら、その若い人からの信頼を裏切った事をきちんと受け止めて欲しいと思う。


誰かのマイナーコード

  • 2018.04.22 Sunday
  • 23:22
STAY ALIVEツアーが始まってしまったー。

ツアーが始まるとついつい情報追っかけてしまって、無闇にどこでも行きたくなってしまう、と言うあるあるになってますよ。

遠征だけは今回しない、しないと呪文を唱えて生きてます。
まあ、とりあえずブレチャの前に渡會さんのライブがあるから、それで少し落ち着くだろうと踏んでいる。
まあアラバキあったんだけど、フェスは年的につらい(笑)
大人しく待とう、6月まで。

radicoのお陰で各地方ラジオをこの土日でチェックしてたのだけど。
なんだろう、年々渡會さんとエマさんのしっくり感が増してるなあと(笑)
後なんて言うか7期も3年目だし、そろそろ出会いの話はよくないかDJさん方、ってそれは私がファンだからですね、すみません。

割とこう、DJさんってもちろんある程度キャラクターが無いとダメなのかもしれませんが、ちゃんと聞き手もしくはインタビュアーになれる方と、どうにもキャラが気になっちゃう人とがいるなあと。
まあ不思議なアプローチでなかなか引き出せないリアクションが出たりする事もありますけどね。

普段そんなにラジオを聞かないから余計に気になっちゃうのかもしれませんね。

何番組か聞いていて面白いなあと思ったのは、渡會さんが(7期メンバーが)エマさんにとって最新の面白いおもちゃでいたい、みたいな事を仰っていて。
イエローモンキーはあのメンバーでの関係性で鳴らすものなので、僕らはどんな風にでも遊べるおもちゃのような存在でありたい、と。

エマさんもなんだかとても嬉しそうに「うまいこというねえ」って言っていたけど、中々に素敵な表現だし、そして、なんて言うのか、軽やかな腹の括り方だなあと思った。

エマさんにとっていつでも興味を持たれるだけの自分でいようと思っているし、それが出来る自信があるのだろうな、と感じた。
ラジオもそうだし、雑誌のインタビューなんかもチェック出来たものに限っても、エマさんの渡會さんに対する賛辞はもう手放しと言っていいと思う。
この番組でも「(期待が)裏切られたことはない」って言っていたし。

今のブレチャは本当不思議な魅力があるなあと思う。
音自体はバンドなんだけど、バンドほど閉じてなくて、音楽だけでの面白さかって言うと全然そんなこともなくて。
イメージとしては何かの流れのような物の上でくるくる回る光の輪が自由に跳ね回っているような、でもそれは別物と言うわけではなくて、時々その流れに添って綺麗な飛沫を飛ばすような感じ。
こんな時画家だったらなあと思うよ(笑)

自由が正しく機能しているんだろうな、と感じて、そんな場所が他にももっと増えたら良いね。


PR

calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< June 2018 >>

本棚

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM