明と暗の両輪

うーん、氷艶を観てからと言うもの物思いが止まらない。
エンターテイメントとアートというものについて。

氷艶は本当に鮮やかで艶やかな衝撃だった。
衝撃と言っても投げつけられるような乱暴な物ではなくて、もっと身体に当たった瞬間弾け飛ぶ様な光の様な余韻が終始あのリンクから放たれていたような感じ。

あー、なるほどーと思った。
これがエンターテイメント、それも一流のやつだと。
私が今まで好き好んで見てきたライブや舞台って、いわゆる煌びやかな物よりも日常の扉を開け間違えたら迷い込んだみたいなものが多かったので。
(イエローモンキーは見た目はデコラティブだけれど、内的ノンフィクション性の方が個人的には重要なので)
いわば架空の世界や非日常の世界であっても、どこか自分と切り離せない部分を感じてきたと言ってもいい。
(あくまでその創造物、物語や映像や曲やパフォーマンスに対して抱くものであり、その担い手に対して思うのではないが)

ああ、こんな柔らかな衝撃もあるのかと。
まるでいつも男とケンカでしか愛を伝えあえなかったのに、突然他の男から慈しみと言う愛を与えられて戸惑っている女の様です。
ま、金払って自分で与えられに行ったんだけども。はは。

何て言うんだろうな、全てが「明」と言うか、プラスの磁場だらけと言うか。
それはその演目そのものと言うよりも氷艶と言うプロジェクトに関わった人達、その熱意、その努力がきちんと正しい方へ向いていて、誰もがそれを疑わずに進んだからかもしれない。
それは多分世界初の試みである氷艶を絶対に成功させたいと言う、プロフェッショナルな静かな意地もあっただろうし、やりながら携わる人達も凄いものになると言う確信があったからかもしれない。
要は幸せな空気が、あの代々木の体育館に満ちていた。
演じる側と見る側との間にもそんな幸せのやり取りがあった様に思う。
本当に手放しで素晴らしいエンターテイメントだったと、心から思う。

…だからこれは私の至極勝手な夢であって、氷艶とは一切関係が無い事なのだけれど。
私は高橋大輔にもう少し、いやぶっちゃけ正直に言えばもっともっとindividualな世界を、パフォーマンスで見せて欲しいと思ってしまっている。
義経はかっこよかったよ、とっても。
高橋大輔と言う人はそうしたエンターテイメントのパフォーマーとして申し分無く素晴らしいけれど、同時に独自過ぎる路線を行けるアーティストでもあるから。少なからず私はそう信じているので。
(今回も阿国の舞はその力量を遺憾なく発揮して下さって、あれだけで行って良かったと思ったけど)

氷艶の様な超一流のエンターテイメントも素敵だ。
もう一度見たいと本当に思っている。 でも胸を突かれる様な、えぐられる様な物も見せて欲しいんですよ。変態なので。
ストーリーが暗いとかそう言う意味では無くてね、彼ならば何かスケートをスケート以外の物に、ダンスをダンス以上の何かに出来るんですよ、てかもうしてるし。
その変化を私の視力と高橋大輔の気力体力が保つ所まで見てみたい…と言う変態の勝手な願望ですが…。

あ、浅ましいなあ、私は(笑)
でも期待してしまうんだよなぁ…。

国生み成さん 〜氷艶2017「破沙羅」〜

行って来ました、氷艶。
5月20日の夜公演。
辿り着くまでが…厳しかった(泣)
何と言うかまあ、体調がアレでアレでして。その上前々日から何だか肩から手首にかけて腱鞘炎の様な症状が出たりして。
貼り薬、塗り薬、ビタミン剤等々駆使して、ようやく痛みが引いたかと思ったらアレで。
また痛み止めを飲んだり、金曜は仕事を終えて帰宅後、睡眠を多めに取ったりしたのだが。
初めてでした、新幹線の多目的ルームなるものを使用したのは。
新幹線に乗るや否や、途端に体調がおかしくなってしまって。座っているのすら苦痛。隣の座席が空いていたので、横になってしまおうかとも思ったけれど、何せやまびこ。
停車駅が多いので、逡巡している間にどんどんと気分が悪くなってしまった。
宇都宮を出た辺りで、車内販売のお姉さんが通りがかったので、隣の座席を使いたいと申し出ると、多目的ルームの事を教えて下さった。
可動式の座席が2つ備え付けてあって、1つの背もたれの部分を動かすと簡易ベッドが出来上がるので、東京駅までそこで唸っておりました。ははは。

しかしあそこで横になれなかったら、私は途中で代々木体育館へ行くのは無理だったかも。
1時間足らずではあったけど、そこで横になれたのが効いて何とか辿り着けました。半ば意地です。

大方の情報は出回っているでしょうが、楽日が残っておりますので、感想などは下へ記したいと思います。
※以下公演内容へ触れます。

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さよなら黎明期

自分が年齢を重ねて、感覚が鈍麻したように感じてしまう。
脳が疲弊していて心を感じる余裕が無いのか、それとも目にしているものが以前より希薄なものになってしまったのか。
何についてとは言わず、全般的にそんな傾向が強くなってしまった気がする。
良いものは必ずあるのだけど、私が若かった頃はもう少し容易く手に取り、目に出来た様に思うけど、単純に自分に割ける時間がないからなのかな(笑)
割と遠くへ足を運び、時間を使わなければ良いものに出会うことが難しく感じている。

要は薄っぺらいのだ。
口に入れても瞬間的に人工的な強い甘味を感じたら、すぐに溶けてなくなるような、一向に腹の膨れない食べ物の様なものが増えてしまった。

先週末の国別対抗戦を見ていて、更にそんな感じになった。
まあ、私も老けたし、若い子の表現に感銘を受けなくても致し方あるまいとも思った。
でもふと思う。
10年位前、フィギュアの人気が高まった時トップを争っていた選手達も、今の選手達とほぼ同じ様な年齢ではなかったか。
もちろん私も10年分若かったけれど、既に親にもなっていたし表現における好悪の感覚は今と殆ど変わりはなかったと思う。
テレビで見るだけの私でも、国内海外問わず当時の選手達は、何と言うべきか、各々の理想がそれぞれ違う感じで、それは優劣の話ではなくて、パーソナリティやアイデンティティに近いもの、自分の道をそれぞれが追い求めている感じと言うか。
ま、端的に言えば個性的で覚えやすかった。
体の動かし方一つとっても似た所が無いと言うか。
だから特にフィギュアのファンと言うわけで無くても、海外の選手ですら覚えているのだと思う。

これに賭けている、と言う様なギリギリの真剣さの様なもの誰からと言わず感じていたのだけど、今の選手達からはそう言う強さが感じ辛い。
それは真面目に練習をしていないとか、そういう態度の話では無くて、フィギュアスケートと自分の存在は不可分であると言うような根幹につながるもののように思える。

ほんの7年前まで男子シングルにおいてアジア人がチャンピオンになった事が無いと言う国だったのに、今や世界一フィギュアが好きな国になった訳で。
それは結局あの当時の選手達が、個人差はあったかもしれないが、どこかで自分が開拓していくと言う責任感があったからなのかなと思った。
プレッシャーもかけられていただろうし。

別に今の選手が呑気にやっていると言いたいのでは無く、黎明期から発展していく当時の選手達の熱さが懐かしいなあと思っただけだ。
テレビから、しかも忘れてない時だけ見てた人間でも、いやだからこそかもしれない、隆盛していく彼らの姿は若々しく凛々しく美しかったなあと思う。
…結局歳を取ったって事ですなぁー。

まあ基盤が出来た後ってどうしてもある種の余裕って言うんですかね、瓦礫だらけの道を避けたり整備したりしながら歩くのと、ある程度舗装された道を進むのとでは違いますしね。
だからマンネリしてきたら敢えて壊すって言う手もあったりするんですけどね。
まあ、大きな組織じゃ無理ですよね、あはは。

良い時代を見せてもらってたんだなあ、と思った。
私は何でも黎明期に弱いんだよなぁ…
あの独特の熱さと言うか、高揚と言うか。
だから古代エジプトとか縄文時代とかに弱いんだよなぁ…
火の鳥も黎明期が一番好きなんだよなぁ…

何の話か分からなくなってきた。
明日も早いからもう寝よう。

ノクターン

うーん、今日はどこもかしこも真央ちゃん一色ですな。
今更だけど本当にすごい影響力のある人だなぁと。

去年の全日本を見ていて、怪我の状態とか私には知る由もないことが色々とあったのだろうけど、ショートもフリーも「演技」と呼ばれるものをしていたのは、やはり真央ちゃんだけだったように思う。
これは高橋大輔にも感じていた事だけど(個人的には真央ちゃんの出すものと高橋大輔の出すものは、同じ様に抜きん出てはいても違うジャンル、と言う感じがする)、それまでの選手達の演技がつまらないとかではなくて、氷の上に立った時の純度が違う感じなのだ。

真央ちゃんも高橋大輔も、氷の上にいる時は後ろにあるもの全てを捨て去っている様な感じ。
ご本人達の胸中には色々な思いがあるだろうけれど、そう言ったある種の邪念になりかねない思いを元々あまり持たないタイプなのだともお見受けするけども、そういった物をサラッと脱ぎ捨てる感じで氷上にいるみたいに見える。 見ている我々はそこに脱ぎ散らした靴下とか、面倒くさくて洗わずにシンクに放置したお皿とか、仕事上関わらなきゃいけないけど性質上受け付けないタイプの人とか、携帯代とか、ゴミ捨て場の掃除当番とか、その他ありとあらゆる日常の瑣末で憂鬱な出来事から解放される。その演技の数分間だけ。

彼らだってきっと誰より強く勝ちたいと思っていたとは思うけれど、それは多分頂点に立ちたい、誰より優れた存在だと示したいと言う事とは違うのだろう。

去年の全日本と今年のワールドを茶の間で観戦していて、フィギュアスケートはなんか随分違うものになっていくのかな、と思った。
今の選手達だって頑張っているのは重々承知しているけれど、そもそもフィギュアが好きと言うよりは表現が好きである訳で、今のフィギュアの傾向は選手達に表現をさせようとはしていない様に見える。全員の演技を見た訳では無いので、あくまで茶の間からのざっくりした感想ですので悪しからず。

しかし引退発表して翌日から朝から晩まで報道されて、特番まで組まれて…。
改めて真央ちゃんの背負わされているものが多すぎると思った。
彼女は偉大なアスリートで非常に価値の高いタレント性も持っている事は理解出来るけれど、今やっと現役引退と言う重大な決断をしたばかりの人に寄ってたかって何を聞くと言うの。
心中などご本人にしか分からないのだ。そっとしておけ。
休息の時間を与えてやれよ、とちょっと狂気じみた過熱報道に思う。関係者集めて話を聞いたって何になるの。
特番て言うなら各社持ってる演技を年代順にノーカットで流すのが、アスリートへの敬意を一番表せると思うのだが?

どんな身近な関係者から他局が聞き出してないエピソードを引き出すよりも、真央ちゃんの演技を何の解説もなくただ流してくれる方が、ぜーーーーーーったい視聴率良いと思いますよ。
(つか出来ればそれを高橋大輔でも見たいんだけど)

この国に足りないのってそう言う静寂な気がします。
現役選手としての真央ちゃんはもう見られなくても、彼女個人の人生はこれからもまだまだ続くのに、個人の人生の重大イベントを利用するようなものは、真央ちゃんに限らずだけれど誰のものでも不快だ。

快挙はともに、大いに喜んでやれ
別れは当人が望む者たちと過ごさせてやれ
旅立ちはすっきり、さっぱりと行かせてやれ

委ねる強さ

いや、まあ立派に年は取ってるんですけどね。
子供が生まれてからというもの、なんか色々あり過ぎて、子育ても生活も本当綱渡り的な感じで。
映画とか漫画とかである下が断崖絶壁で足の幅分くらいしかない所とか、無人島でサイズもバラバラの丸太を拾い集めて作ったひ弱な筏で海の上にいる、みたいな毎日だったので(どんなだよ)。
え、高校生になるの?マジで。
え、私高校生の子供いるの?ウッソ、みたいな気分になるよね。
そんな経ったのって。

ともかく青息吐息で入学まではたどり着いたけど、ここから3年間無事に学費を滞納せずに卒業させるのが当面の目標ですね。はい。

そんな日々をここの所過ごしたので、自虐モードと言うか。
あぁ情けないなあ私は、フツーの親御さんはもっと経済的に余裕があって、多少困るわなんつっても切り崩す貯金があったり、貯蓄に回すお金が減っちゃうなとかそう言うレベルだろうに、うちの場合やばい、お米買えないかもとか家賃払ったら残らないとか、そう言う話になっちゃって。
怠惰に生活していてお金がないのなら何てこと無いけど、毎日働いていてもコレだし。
なんか本当情けないなあ…とガックリ来ていた。

だからLOVE ON THE FLOORのインタビューを読んで、なんかちょっとやられた、と思っちゃって。
行き詰まった時に、心の中で誰かのせいにするって所で。

もちろん、すべて自分だけで決めた場合は、人のせいにはできない。でも、うまくいかないことのなかで、努力を重ねても自分の力ではどうしようもないこともあると思うんです。その責任を背負い込みすぎると、どうしても最後の一歩が踏み出せなかったり、周りの目が気になったりしてくる。だからそこで「もう知らない! 言い出したのはそっちだし!」って心のなかで、ちょっとだけ思う(笑)。そうすると踏ん切りがついて、一歩を踏み出せると思うんです。
(livedoor NEWSより引用)
そうですよ、私は何もかも自分で決めて来た。
なぜなら誰にも私を決められたく無かったから。
自分でも驚くくらい嫌で、特に行動や指針に関しては絶対ダメで、気にしたくなくても身の内から焼かれるような怒りが湧いて来てしまう。
だから全部自分で決めて、初めから終わりまで始末をつけて来た。誰にも文句を言わせないために。

なんて柔らかい生き方をするんだろう、と思った。
羨ましいし、優しいと思う。
きっと私とは真逆だから、だからこそあの柔らかな波動に魅せられるんだろうなぁと。

委ねると言う行為は大きい。
ただ相手に投げてしまうとは別物だから。
委ねるには信頼が必要で、そこからもし失望や裏切りがあったにせよ、それ毎受け止めると言う事だからだ。
…うーん、やっぱ大きいわ、高橋大輔。
極めた男は違いますな。

あーくっそ。
私は狭量な人間だなぁー!(怒)
でも多分これ治すの難しい。
自分でも嫌になる程のこの獣みたいなやつは、お金で縛られて身動きできなかった(もしくはしなかった)母を見て来たからだと、多分そうだと思う。
愛情の出所とお金の出所が違うと人は曲がります(笑)
お金も愛情だと言う人がいるけれど、それは渡し方や伝え方がとても重要だ。
そして夫婦の不満は夫婦内で解決しましょう。
娘は大変優秀なカウンセラーにはなりますが、母親の吐いた負の感情はこの様に娘を曲げてしまいます。

高橋大輔の様に生きることは今の環境としても私の資質としても、恐らく無理だ。
だから私はとりあえず彼の美しさは讃えながら、一人で決めると言う道を進める所まで進んでみよう。

途中で骨になるのなら、それもまた良しだ。

忙しいのは良い事です

忙しいという事はやる事があるという事で、それは幸せな事だよ、と前にポロっとこぼした愚痴に言ってくれた人がいて。
そうだよなぁと思うものの、何かを積み上げている感じがしなくて、ただすり減って行く(気持ちも懐も…)感じだけが残っていくと、あぁ砂にでもなって飛んでいきたいなぁ…などと春めいてきた埃っぽい風にふかれたりする。

…要は息子が公立に落ちました。
見事に落ちました。
結局私立に行く羽目に、まあ、羽目って言うのもあれだけど(笑)。
もう逆さに振っても鼻血も出ないとはこの事ですなぁ。あれだけ言ったのに。
ま、あれだけ勉強しない受験生も見た事無かったので、仕方ないねー。
高校では心を入れ替えて頑張って欲しいもんです。自分のためにね。

先日行われた世界フィギュアを、茶の間で見ていたんだけれど。
なんだろうなぁー、なんか私なんてワールドとオリンピックくらい、それも忘れてなければ見る程度の人間なのに。
そんな人間でも高橋大輔はもちろんだけど真央ちゃんが居ないって言うだけでさびしいなーなんて思ってしまった。
やっぱりあの男子も女子もトリノからソチ迄の世代って日本の一般層にとって、それぞれフィギュアの顔なんだろうな。
なんて言うか真央ちゃんまでがその区切りで、真央ちゃんが一人でもその場に居てくれると繋がりが残ってる感じと言うか。
まあ世代交代と言ってしまえばアレだけど。
なんかそれぞれ好みはあるだろうけど、ソチ迄の世代の選手は各々インパクトがあって覚えやすかったような。
個性が強かったと言うか。
もちろん世界のトップで成績を残してきたと言うのもあるけど、演技がそれぞれ濃かったなぁーと、漠然と思った。

女子も男子も見てても余韻が無いと言うか。
放送の仕方なのかもしれないけど、パラパラと演技が続いて慌ただしく終わっちゃうみたいな感じがしてしまった。
でもポゴリラヤちゃんが綺麗だったので満足です。

初めから終わりまでずーっと見て居た訳では無いけど、うーん、やっぱり高橋大輔が見たい、結局そこかよ的な感想になりますよね。
この前までやっていた松坂桃李くんのドラマ日暮旅人で、感情が形で見えると言う設定の主人公が、もう演奏を辞めてしまったミュージシャンに対して、「僕はあなたの感情のファンです。」って言う台詞があって。
あぁ良い言葉だなぁと思った。
私も多分高橋大輔の感情のファンだ。
彼が音楽にのせて届けてくる感情が好きなんだ、と思った。
他の選手やスケーター達がどうの、と、言う事ではなく、本当に感情が形になる現象を見せてくれて、しかもその感情そのものの形が美しいと思わせてくれるのは高橋大輔と言う人だと言うだけだ。

Art On Iceでのインタビューの日本語訳もありがたく読ませてもらったけれど。
彼の醸し出す感情が、なぜ人を酔わすのに品があるのかが分かるようなインタビューだった。
でもやっぱりかなりのハードスケジュールなんですなぁ。個人的にはスケートに絞っては欲しいなんて思っちゃったりするけど、そうもいかないんでしょうね。
もし何かを始めるとしたら人脈が多い事に越したことはないですしね。
今のハードスケジュールがきっと、いつか別の形で実を結ぶ時が来るんだろうな。

はぁ…私もこのままではいかんなぁ。
彼とは全然規模が違うけど、小さきものにも挑戦すべき事はあるのです。
今までが母子家庭だと言うのに、ケセラセラでやりすぎましたー。
つい頭の中に夢の世界があるので、なんだか息子とバカなことを言い合っては、ゲラゲラ笑って過ごしてきてしまった。
親なのに、親っぽいことあんまりしてこなかったなぁ…。反省。
でもつい息子と笑ってると楽しくて。
ご飯食べたし、息子笑ってるし、まあいいや、みたいな毎日だったし。
…幸せ、だったな(笑)。


でももう少し現実的に生きなくては(遅)
エレカシ聴いてがんばろう。

ロザーナ

どうしていつもTHE YELLOW MONKEYの曲はどこかさびしいんだろう。

去年1年間をアラフィフとは思えないエネルギーと怒涛の勢いで駆け抜けたおじさん達だが、今年も思ったより早めに情報が解禁された。
東京ドームの日程発表と、ベストアルバムの発売。
そしてFC限定で新曲「ロザーナ」の解禁。

イントロはLOVINSONぽいのかなと思ったけれど、ギターのカッティングがブレチャっぽくもあり。
ALRIGHTは再集結だったし、解散前のイエローモンキーを彷彿とさせるフレーズやメロディラインを散りばめていて、ビックバンのような衝動が感じられた。
砂の塔はもうドラマの当て書きみたいな曲だったからって、別に嫌いとかじゃ無いけれども、純粋な2曲目という捉え方もしづらかった。

でも新曲のロザーナは、何というか、ああ去年の再集結ツアーを経て、それぞれが意識的にイエローモンキーになろうとしなくても良い、今の4人にフィットする曲なんだろうなと感じた。

ありそうでなかった曲調で、でもやっぱり知っている様な気もする。
イエローモンキーあるあるではあるのだけど、なんかすごくどんどんピュアになって行ってる気がする。

先日公開されたメカラウロコの真珠色の革命時代の音源も、元々4人が持っていたんであろう少年性が際立っていて、何度も聴いた真珠色で思わず涙が出てしまった。
だってファーストアルバムの曲なのに。
当時よりもずっとずっと澄んでいる。

メカラウロコではほぼ毎回披露されていた曲だし、去年の再集結イヤーと言うスペシャル感のせいなのかなぁとも思っていたけれど、どうやら違ったみたいだ。
ロザーナもとても澄んでいる。
そしてやっぱりさびしい。
4人の音の絡まり具合は本当耳心地が良いんだけれど、それとは別の所で心の奥の方をどこか握り締められた様な、心の神経が絡まってひきつれたみたいに、ちょっと痛い。

少年性とは幼稚なものではなく、そして性別も関係なく永遠のピュアネスなんだと思う。
そう言う人を見ると何を思うわけでもなく、涙が出てくる。

涙の方が先に出る。

私もまた先に行かなくては。


二律背反

息子が無事義務教育を終えた。
それにしてもアレなんですかね、今の卒業式ってのはみんなあんな感じなのかな?
卒業生がやたらと感動的な催しをやって、なんと言うか感動詰め合わせ5点セットで19800円!みたいな。
まあいいんだけれども、もそっとすっきりした式であった方がこちらの思い入れを挟み込む余地があるって言うかね。
これだけやったら感動するでしょ、泣けるでしょ、ほら泣いて!それでも人なの!と責め立てられている気になってしまった。
ええ、ひねくれ者です。
年をとろうが親になろうが変わりません。
ま、有り体に言っちゃうとしつこいな、と思っちゃいました、あはは。

何はともあれ無事卒業出来たのは良いけども、何せ公立の合格発表がまだなので気持ちが宙ぶらりんだ。
…後はもう神頼みです…。


そんな関係で未だLOTF2は行けるかどうか分からないし、日程的にも行けそうなのは週末公演だけだし、むーんとなっている。

行けるかどうか分からないのだからやめれば良いものを、情報だけは見てしまってインタビューなんかも読んでしまって、気持ちだけが先走り。
誰か私に100万円下さい。

何個か読んだインタビューで、え、それ今まで本気で思ってなかったの、と軽く目眩がしたのだが。
シェリルさんに言われて嬉しかった事で、「表現に関しては素晴らしいものを持っている」って言われた事をあげていて、スケート以外の人でたくさんの表現者を見て来た人に言われたからと。
いやいやいや、とダチョウ倶楽部並にツッコミを入れたくなってしまったけど。
ほ、ほんとに気付いてなかったと言う事なんですかね。
それともデフォルトの控えめ発言故なのか。
むしろそう思いたい。
だって、いくら自分のパフォーマンスを生で見られないからと言って、映像だったとしたって一目瞭然じゃないか。
私が思う前からどんだけ多くの人がこれはもうフィギュアスケートと言う定義に収まるものじゃない、と思ってると思ってんの。
私はフィギュアスケートそのものにはそう大して思い入れが無いので、だからこそ余計に高橋大輔のパフォーマンスが全くの別物だと素直に思える。
訴えてくるもの、届くものの場所が全然違う。

例えばここからここまで、と区切った場所を「通常」の感情エリアとして、誰もがある程度共通して感じられる喜怒哀楽や爽やかさや華やかさとして、納得しきれる範囲だとする。
フィギュアスケートで求められるもの、又は表現し得るものは普通その通常エリア内に収まるものだと思う。
でも高橋大輔の場合、そのエリアを大きく逸脱し、もしくはそんな場所あったの!?みたいな未開拓エリアすら提示してくる。
しかも容易に名付けようの無い、苦しみとも優しさとも切なさとも儚さとも言えない、もしくはその全部と言うような、非常に境界線の曖昧なところを掬って差し出してくるのであって。

こんな事しといて「表現褒められました」と言われましても…。
いや、知ってるし、としか言いようがございません。

常々彼の才能のポテンシャルと自意識のズレを感じていたのだけれど、今回のこの発言でなんかちょっと分かった気がした。
ずーっとアートに携わっていたら、もっと才能と自意識が密接に存在したのではないだろうか。
もちろん彼本来の資質もあるだろうけれど、表現だけに重きを置かれる世界に初めから身を置いたなら、多くの天才的アーティストがそうであるように「自分」と「才能」の区別が付かなくなったかもしれない。(個人的にはそういうのも好きではあるけれど。)
でもフィギュアスケートと言う、スポーツにカテゴライズされるものでありながら、芸術性を求められると言う背反性。
その背反性ゆえに自分の表現者としての才能に溺れすぎない、と言うより溺れられなかった、のではないかな…。

私は何でも突き詰めてしまいそうになるので、つい「表現」だけに真っ向から対峙した高橋大輔を見てみたいなんて、勝手な思いを抱いてしまうけれど。
けれども、あの彼のパフォーマンスが持つ不思議な儚さは、なんか立つ鳥跡を濁さずみたいな儚さは、そういう心のバランスも影響してるのかもしれない、などと思ってみたり。


…あー…しかし、いつにも増して気持ち悪い事を書いてしまった。
高橋大輔さん、いつもすみません。
と、とりあえず謝っておきます。

流れ込む感情

ここの所久しぶりに高橋大輔のプログラム巡りをしていたら、改めて気が付いた。
いつも主に海外の動画を巡るのだけれど、解説の方達があちこちで「confidence」を連発するのである。
19才でまだシニアで結果を出せて居なかったスケアメでも、自信のある滑りと言われて居た。(あのラフマニノフ好きなんですよね〜)

日本の放送ではあまり聞かない表現だなと思う。
でも私としてはとてもすんなり納得出来る。
日本で「自信」と言うとちょっとオラオラ系と言うか、見せつけると言うようなニュアンスで受け取られる場合があると思うが、ここで言うところの「confidence」は確かなもの、揺るぎないものに近いのではないかと思う。

私はいつも高橋大輔が滑っている所を見ると、生きやすそうに見える。
自由度が増すと言うか。
私はそういう人達をこっそり「天然物」と呼んでいる。
普段の生活よりその表現に関わっている時の方が遥かに生きやすそうな人達の事。
ミュージシャンでもダンサーでも役者でも、注意して見ると意外と少ないのだ。
当たり前だが身体を使って行う表現やスポーツには型やルールがあったり、道具を使ったりして制限を設ける。
その制限の中で美しく躍動できるか、結果を残せるか競ったりするわけで。
だから面白いし、魅せられる。
でも天然物の人達はそうじゃない。
同じ事をしている人達の中でも格段に自由なのだ。
制限が制限にならず、むしろ自由さを与えている様にすら思わされる。
これは多分人より努力したからとか言う話ではないと思っていて、そう生まれつく人達が何百万人に一人とか、もっとかもしれないけど、そういう確率で生まれてくるのだと思っている。

もちろん高橋大輔が努力の人である事も存じているけれど、彼の人の心を容易く掴むと言う能力はやっぱり天然物だと思う。
スター体質って言うんですかね(笑)
彼みたいな人にはもう、うまい言い方が見つからないけど降参するしかないと思う。
天然物の輝きは養殖や人工では賄えない。
ダイヤモンドがジルコニアに負ける事なんて無いわけで。

それからまた改めて思ったのは、高橋大輔の手の表情のうまさ。
2007年のスケアメ(またかい)のロミオ。
途中のスローパートでジュリエットとの抱擁を思わせるような振付があるけれど、アメリカの女性の解説者が「ロミオの動きに思わず身を乗り出して見てしまう」みたいな事を言っていて(笑)

割とフィギュアの振付で顔に手を持っていくと言う仕草は多いように思う。
まあシグナルとして分かりやすい表現なのかなと思うが、大体の場合記号的な役割を果たすだけで終わる。
でも高橋大輔の場合、すごくうまいなーと思うのは、自身の手で自身の顔を撫でているだけなのに、それがあたかも愛しくて仕方ない人に頬を触れられた様に見えて、しかもその感覚をこちらにも覚えさせる事だ。
彼の感情にこちらを巻き込んでくるのだ。
だから思わずドキッとしてしまう。

愛しい人に頬を触れられて電気が走る様な心持ち。
…何十年前の事ですかなぁ…。
まあ今更弛んだ頬を触られても虚しいし、触られて嬉しい人も居ないのでいいんだけどっ。

何でかと言うとこれも恐らくだけど、他の人の場合単純に自分の顔に手を持っていくと言う動作なのに対し、高橋大輔はちゃんと顔ごと手を迎えにいく感じなのだ。
気持ち顔を傾けて手に沿わせる様な仕草になり、目線も気持ち下げ気味で手に注意を向けている感じがする。
ちゃんと好きな人に触られた時の人の動きを競技プログラム中(!)に再現している。

LOTFのグリーンバックなんかもうそれの最たるものと言うか。
その場で聴いた音楽であそこまで引き寄せられると、まあやっぱり降参するしか無い。

あんなに感情を的確にしかも熱狂や高揚、時には痛みすら伴って人に伝えられる。
フィギュアと言うか、高橋大輔のパフォーマンスはちょっと時々危険だなと思う。
音楽なんかはもう少し輪郭が曖昧なので、中心の熱や真意は伝わるけどその周辺は光が縁取るみたいに少しぼんやりする。
弾き語りで無い以上、パフォーマンスそのものにある程度の人数が関わるからかもしれない。
でも高橋大輔の場合音楽と彼だけなので感情が濃密なまま、こちら側に届く。
あんなに誰かの感情を濃密に受け取ることは日常において、親子だろうが恋人だろうがちょっと経験が無い。
しかも私なんて生はLOTFの1回だけで、映像から受け取ってるだけなのに。

氷上の高橋大輔を楽しみな反面、後に引けなくなったらどうしようかなと言う思いもあったり。
でもそれくらい強烈な体験であって欲しい思いもあったり。
ま、結局は氷艶が楽しみなだけですけどね。
…その前に、息子よ、頼むから公立受かってね。

ふうふ の重み

今シーズンのドラマはまず何と言ってもバイプレイヤーズ。
テレ東映らんし、と拗ねていたら一週遅れ?くらいでこっちでも放送してくれました。
ほんと嬉しい(泣)
どちらを向いても好きなおじさんしかいません、ありがとうありがとう。
木曜の深夜なので、録画して金曜日仕事が終わったらウキウキして見ている。
終わっちゃったら逃げ恥ロスどころじゃないかも…。

そしてもう一本楽しみにしているのがカルテット。
今日の回は全編切なかった。
真紀さんの方は何も悪くない。
でも夫さん(クドカン)も悪いって訳じゃないけど、弱い。
弱さは時に罪になる。

真紀さんは初めゼロ地点から夫さんとの交際が始まっていて。
でも夫さんは初めから真紀さんに高めのハードルを設定していて。
そういう人だと思っていた所からどんどん真紀さんが違う人だと分かってしまって。
でも全然悪妻じゃないし、かわいいし、良い嫁なんだけど。
求めていた真紀ちゃん像を初めに好きになっていた夫さんには、毎日が「いや違うから」って言う否定の日々で。

でも面と向かって「別れてくれ」って言わないズルさ、弱さ。
逃げられた方がまるで悪いみたいに。
最後必死にバイオリンを守ったのはせめてもの罪滅ぼしなのか、それとも自分が好きだった「真紀ちゃん」の象徴を無くしたくなかっただけなのか。
どっちにも見える所がとてもうまいなぁと思う。

真紀さん本人の語りより本当の唐揚げレモンのシーンはものすごくキツかった。
あれは聞いてしまったら私は荷物まとめてしまう方だなぁ(笑)
隣に寝ている人が、信用出来なくなって眠りが浅くなる時。
ああ、もう誰の隣でも寝たくないと思った。
それならば鍵をかけた部屋で一人寝た方がよっぽど熟睡できるもの。

夫婦、と言うたった二文字が示すもの。
いつだったか、通勤の途中で見かけたご夫婦がいた。
50代後半から60歳前後のご夫婦だった。
私はとにかく朝の通勤は急ぐことにしている。遅れていようが余裕があろうが関係なく急ぐ。
そうしないと元来無精者だから、仕事になんて行きたくないので、足が止まりそうになるからだ。
いつもは見かけないそのご夫婦。
ご主人の方はスーツにジャンパーでこれから出勤と言う出で立ちだったが、奥様の方は普段着にコートと言う感じで、何かしら用事があってたまたま朝一緒にお出かけになったのかも、と言う雰囲気だった。
割とゆったりとした歩調で進まれていたので、例のごとく私はシャカシャカとお二人の横を通り過ぎようとした。
その時ふと、お二人の会話が耳に入ってきた。
ご主人の方が奥様に空の方を指差しながら、ほらあそこが、とか何とかおっしゃっていて、それを見て奥様もあらほんとだ、とか、そう言うたわいない会話をされていた。
その瞬間私は自分でもびっくりしたけれど、泣きそうになってしまった。
お二人の会話の中に、今まで過ごしてこられたであろう時間が全て詰まっているように感じたのだ。
会話のテンポや声の大きさや、何よりそのお二人の波長と言うものが、喜怒哀楽の全ての時間に向き合い、時にぶつかり時に慰め、時に愛し合い、いがみ合いも。
ほんの数秒だったけれど、まるでお二人の寝室を覗いてしまったかのような気持ちになり、そしてこの世に二つと無い周波数を互いに通わせているという事に、心がグラグラッと動いてしまった。
それはとても甘やかで神聖なものを見たような気持ちになった。
そして私には今生で手に入らないものであろう事も分かった。
その日私は鼻を赤くし、若干目を潤ませながら会社に辿り着いたのだった。
全ての結ばれた人達が、皆そうなれる訳ではない。
結婚した時点で「好き」だったとしても、その「好き」がどんなものに変化していくかは当人の努力だけで解決するものでもないように思う。
結局先の事は分からず、転がる石は止められず、結婚した時点で「好き」なのだから正解も誤りも無いのじゃないだろうか。

でもね唐揚げにレモンやめてくれ、くらいは言えよ、と思う。
そしてそれを初回冒頭のシーンに持ってきていた脚本すごく好き。
唐揚げにレモンは不可逆。
私達の生きる時間もまた不可逆。


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