brainchild's TOUR 2017 G?? 6月11日 仙台enn2nd

ブレチャ初ライブ行ってきました。
どうしたもんか、家から近すぎたので、余裕かまし過ぎました。
気が付いたら開演30分切ってるし笑
寧ろメンバーのが早くステージ袖に居たんじゃないのかって言う。
とりあえず開演数分前に無事着きましたが、場所も初めてのennさん。
予想以上にコンパクトで。
あれかな、なんかあのサイズ感知ってるなと思ったけど、あれだね、教室サイズ。
箱の中もなんと言うか、昔友達のバンドが出て見に行った感じの、若干のノスタルジーを誘うビジネス臭が余りないライブハウスって言いますか。
ともかくあれはドームやるバンドのギタリストがやるには、はっきり言って小さいわ(笑)
教室の一番後ろでもアリーナ最前列くらいじゃないのかな。
教卓に立つ先生レベルで良く見えましたよー。

以下内容はツアー中の為下記へ。



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emotional

…切り替えが難しい。

やっぱり短い!間が!
イエローモンキーが予想以上に、期待以上に、いや予測不可能だったから余計にかもしれないけど、LOTF脳に切り替えられない!

やっぱりなぁ…
分かってたけど、分かってなかった。
そりゃあ、ファン歴ざっと20年で15年ぶりのライブだったしなぁ。
などと思っていたら、やばい、LOTF今週末ではないか。

TBSチャンネルのLA密着。
大輔脳にする為に2回見ました。

しかし、シェリルさん他振付師の皆さん、ある意味鬼(笑)
ダンス初心者って言ってるのに、即振付即リフト!
何の準備も無しにやらせるとは、ギャンブラーだなぁ。
もちろんシェリルさんには勝算が見えての賭けだろうけれど。
高橋大輔ならやれる、と信じてるからだろうなぁ。3年越しのオファーだもんね。

しかし、やっぱりダメだダメだ連呼されてましたが、反比例して引き締まった良い表情になっていくのが印象的。

ここ2年の間見てきただけだが、彼を評するのに良く登場する「アスリートでありアーティスト」というフレーズについて、結局どちら側から見るかと言う視点の差なんだろうと思う。
フィギュアスケートと言う競技がアーティスト性を際立たせやすい競技だから、そう言った二面性のような捉えられ方をしやすいのだろう。
ただつまる所は「極めようとする志を持ち続ける」事と、「その為の努力を惜しまない」事に尽きるのかもしれないと思う。
やる事がアートであれアスレチックであれ、その2点について維持し続ける人を「アーティスト」と呼んだり、「アスリート」と呼んだりするだけな気がする。

大体どんなに分野においても、長く人を惹き付けている人達には同じような真理を感じる事が多いしなぁ。

しっかし、あれ、あの3D映像の撮影風景は、なんだろうか。
初見ではふきだしましたよ、思わず。
もちろん良い意味で。
あーれーはーズルいわ。
私が役者なら歯噛みして悔しがるよ、本当に。
アナタ、フィギュアスケーターで、今はダンスに初挑戦なさってるんですよね?
身体動かさずに表情と手の動きと顔の傾きだけで、あんな事になるって…
とついツッコミ入れたくなりました。

何が凄いって、あの音楽を聴いて表すってなった途端、全く無記名の感情そのものになれる事ですよ。
いつか見た誰かの、通り過ぎた自分の、憧れたあの人の、思い出したくもない記憶の、瞬間的な断片の感情をスルッとシフォンの生地みたいになびかせる。
あれは、な に ? (笑)

そんで終わった瞬間高橋大輔に即戻れるって(笑)
ハズカシーじゃないし。

私はソチ以降の2年間、アホのように動画を見まくり、なんなんだ、この現象は、一体ナニがどうなって起こるんだと、躍起になってアレコレ思ってきました。
彼の感受性の豊かさや鋭さと、スケート技術及びあの猫科の動物的な身体能力があわさっての現象なのかと思っていました。

…動かないでもよいのか!出来ちゃうのか!
もう、言葉が無い(笑)

まあ、でも考えてみれば、私が彼にグググっと吸引されたのも、あのソチビートルズ、スタンバイした時の澄み切った表情に魅せられたからでした。
指一本動かさなくても、説明も何も無しに。

しかし、ああして全てを封じられてもあそこまで出来ちゃうと、やっぱり彼は規格外の生まれながらの表現者なんだと分かる。わかりすぎる。
もちろん前々から思ってた事だけど、あんなレベルの表現者を点数に表すのは不可能だ、どうやっても(笑)


今週末、やっと動く大輔を見られる。
…長かったけど、15年に比べればあっという間だわ、うん。

リハーサルの動画などを見ても、心身ともに充実振りが伺えるので、楽しみにしている。
…東京は最近何が流行ってるのかな(笑)





THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 6/18〜19 宮城公演

どこから書けばよいのか、何から記せばよいのか分からない。

とにかく結局私はTHE YELLOW MONKEYという生命体に抗うことはできないと、15年経って更に思い知らされた。



※長文、乱文のため読みづらいかもしれませんが、自分用の感想文のためお許し下さい。  
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映画『バクマン。』を見る

映画『バクマン。』を観てきた。
当たらないと思って申し込んだ舞台挨拶が当たってしまった。
主演の佐藤健さん、神木隆之介さんを少しの間生で見させて頂いた。
でも、あれですね。俳優さんを生で見るのは舞台とか以外初めてだったと思うのだが、やっぱり演技している時を見たいなと思ってしまうね。
(まあその後すぐ映画は見たけどね)
いや、とっても綺麗な青年達だったけども。彼ら二人は綺麗な事が大事なお二人では無いし。
かわいかったのは、お客さんからの質問で当てられた大学生の女の子が、近づいてきた佐藤さんを見て、声にならない声で「(かっこ…いい…!)」って言ってたのがしっかりマイクに拾われてた事(笑)
佐藤さんはやはり目の印象がすごい残る。神木さんは肌がまあ白くて女の子の様にかわいくて。
生剣心、生ニノマエ堪能しました。




 
 
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一番新しい愛を信じるの

起きぬけにテレビを付けたら吉井和哉と眞鍋かをりさんの結婚報道が目に飛び込んできた。

寝ぼけた頭で…が、がんばるなぁ吉井さん…(笑)赤ちゃん成人するときろ、ろくじゅうはち…、と思った。
寝起きの一服しながら、男の人はいいなぁ、48でも一回り以上若いお嫁さんもらえるもんなぁ(経済力さえあれば)などと思う。

思えばSTARLIGHTのアルバムが出る位からいやに勢いがあって、それは移籍のせいかなぁなんて思ったけど、愛する人と新しい命にワクワクしていたからなんだな、と勝手に納得していた。

しかしながら熱いファン程ざわついていて(笑)
私自身かなり吉井マニアと言っても過言ではないし、普通の人にイエローモンキーと吉井について話したら、恐らくいや確実にドン引きされる位の知識はあるけども、事イエローモンキーの他のメンバーももちろん吉井和哉に置いても、私生活についてはほぼ関心が無い。
無いけど一部の過激なファンを除いたとしても、なんとなーくモヤッとするものがあるのもわかる気がする。

それは吉井和哉が結婚してしまった!人のものになった!とかそういう話では無くて、要はすごくざっくり言ってしまえば、新しい奥さんから受ける印象と吉井和哉の作り出して来た音楽の世界観がフィットしないと言うことかなぁと思う。

私は眞鍋かをりさんのことは好きでも嫌いでも無い、数多いる芸能人のお一人と言う感じしかない。
昼間はテレビは見られないからワイドショーなんかも知らんし、ただ何と無く吉井和哉とどうこうなる前から、何故か何と無く揉めてる人、みたいなイメージはあったけど(笑)

わかりやすいタレントさん像と言うか、美人で機転が利いて、笑いも取れる、ストレートに言うならば芸能人芸能人した感じと言うか。

ただそれは眞鍋さんのお仕事上での顔だろうから普段どんな方なのかは知る由もないし、特別知りたいとも思わない。

そして吉井和哉についても普段の顔は知る術が無いし、追いかけたいとも思わない。

私の中の吉井和哉は音楽が全てだ。
必然眞鍋さんについてもたまたまテレビで拝見したイメージしか私の中には無いので、その二つが質感も匂いも素材も違う織物みたいでしっくりこないな、と言う感じの違和感(とまでは行かないけど)と言う所かなぁ。

吉井和哉風に言うなれば同じ引き出しには居ない感じなんだよな(笑)

ファンと言うのは表立って行われる表現しか受け取れないから、吉井和哉の音楽を聞き込んできた人ほど違和感があるのかも知れないなと思う。

ただそれとお二人の私生活は全くの別物なので、二人が幸せならやいやい言わないで良いのになとは思うけど。
人気商売だからある程度は仕方ないかもしれないけどね。

私は吉井和哉の才能が好き放題爆発した音楽さえ提供して貰えれば、喜んで音源を買うし、行けるライブへは足を運ぶ。
現に今回のSTARLIGHT TOURは本当に絶好調で、曲が古かろうが新しかろうが自在に繰り出して、アーティストの全盛期なんて誰が決めるんだろうと思った位だ。
自由だった。びっくりする位。

そのエネルギーを与えたのは恐らく眞鍋さんとお腹の中の新しい命だと思う。
サイケデリックでパワフルで疾走感のあるまた新しい段階へ踏み込めたのは、未来への希望が実感出来たからじゃないのかな。
吉井和哉にとって良い伴侶なのだろうと思う。割にその時の状態が如実に表れるタイプだからなぁ(笑)

…確か数年前に孫が欲しいとか言ってたけど、自分で赤ちゃん作ってたら世話無いわ(笑)
本当におめでとうございます。


ただ一つだけ、このざわつきの原因の一つになったのはきちんと吉井和哉本人も発表しなかったからじゃないのかな。
色々事情はあるのだろうし、近親者の人達に理解してもらえたらそれで良いと考えてるのかもしれないけど。

吉井和哉はステージが主戦場であってテレビに出るけれど、いわゆる芸能人とも同じ枠では無いから、結婚しようが子供が生まれようが大切な人達とだけ分かち合えば良いと思ってるのかなぁと思うし、私も別に個人的にはそれで全然良いと思う、ファンとして。
でも眞鍋さんはずっとテレビを主な活躍の場所にしてきて、タレントさんとして世間に認知されてきた人だ。
彼女が一般の方なら今回のように吉井和哉本人が何も言わなければ済む訳だから、それで問題ないけれど。
眞鍋さんはいわゆる芸能界の中で生きてきたのだから、彼女の仕事の流儀に合わせて上げても良かったんじゃ無いのかな。
別に金屏風で会見しろとは言わないから(笑)…それはそれで見てみたいけど(ネタとして…嘘です冗談です)
連名のコメント位出してあげても良かったんじゃないのか、吉井和哉とは言え48才のおじさんにしたら年若い美人な嫁貰ったんだから。

まあこのまま奥さんとして引退されると言うのならいいけど。

しかし、…がんばるなぁ(笑)
お子さん達皆大きくなって、自立されるまで頑張ってね(笑)
微力ながら応援してます。
ろくじゅうはち…(笑)


日々徒然 1/13


YOSHII CINEMASを観に行った。

始めはもうすぐ発売するベストアルバムの特典にほぼ近い内容が入るというし、息子を連れて行くのも
気が引けたので、やめようかと思っていたのだが。
「血潮」がきた。かなりグッと。
それに.HEARTSツアーの映像も見られるというので、息子にすまぬが付き合ってくれ、と言って観に行ってきた。

しかし映画館で座って静かにライブ映像を見るっていうのは難しい所業。
実際ライブに行ってる時は、どちらかと言えば動きも声も騒がしい方ではない。
それでも体を揺らすことはあるし、つい揺らしてしまうし、多少の声は出す。
でも立てないわ、声出せないわって結構辛い。どうしたってリズム取るでしょ。
辛かった。けど、映画館の音響でライブを見るという生を見る事の次に贅沢なことだ。
ますますお金持ちになってホームシアターが欲しいと思う。5.1サラウンド?とかで。
夢がまた増えてしまった。

10年分の映像がまとまったLOSTの部分では、持っている映像も多かったし、知っている映像も多かった。
でもああして編集されたものを見ていると、ああ、なるほどなあと思った。
人の成長と言うと偉そうだが、変容と言ったほうがいいのか。
LOVINSONとして生まれた頃の清潔を通り越した潔癖の孤独。あれはあれで美しく儚くて素敵だった。
孤独に無理やり蓋をして世俗にまみれたフリを血まみれでしていた感じのTHANK YOUの頃。
血肉がつき混沌を背負ってある一つの形を手に入れた宇宙一周旅行の頃。実際気がつかなかったけど、
あの当時今よりがっしりしていた。この頃とブラックホールの頃体重かなり違うだろうなあ。
せっかく手に入れた形をまた捨てて、違うシーズンに入ったようなAPPLES2枚の近年。
この2枚のアルバムが土台となって、これからまた違う章を作っていくんだろう。

彼が女性に支持される理由は様々あるだろう。
なにせロックスターとしての資質からいっていろいろ揃いすぎている。
容姿も生い立ちも遺伝子も、あらゆる才能も性質も。
その一つだけ特化して好きな人もいるだろうし、何点か複合して好きな人もいるだろう。
でも何より私がいろいろ聞いていても吉井和哉に戻ってくるのは、そこに女の悲しみがあるからだ。
男性の吉井和哉が歌っているのに、私はいつも自分の心を吉井さんに預けて曲にして返してもらっているような
そんな気がする。
コラムやらブログやらを読んでいると表層的に現れるのは、普通の男性としての感性であるように思うので、
創作活動をされる際、吉井さんの中で働く何かが女だけが持っている悲しみを知っているのだろうか。
その遺伝子の中に。

ロックスターとして、ロックミュージシャンとしてかっこいい人ならたくさんいる。
かっこいい音楽を作る人も、魅了されるステージングをする人も、圧倒的な歌唱力を持つ人も、立ち姿そのものが
すでにロックでかっこいい人もいるだろう。
できるなら明るい気持ちを人と共有して生きていきたい。誰でもそう願うだろう。
それでも人は自分の悲しみを心を接続したかのように共有してくれる人が現れたとき、その人に対して深い信頼を
置くような気がする。
それが何らかの媒体を介していても。
私は吉井さんの曲に込められた彼の魂を信頼している。と思った。


しかし、吉井さんはともかく、生形さんをスクリーンで見られるってそうそうないだろう。
まあ、ほかのナポリタンズの皆さんもそうだけど。
かっこよかった。




日々徒然 10/11

吉井和哉と宮本浩次

同じ1966年生まれで生まれた場所も近い(両名とも東京北区)
そして両名から個人的に多大な影響を受けた。
前者はその言葉と感覚で、後者は圧倒的な声と意志の強さで。

どちらの音楽にも出会えて幸せだ。それは間違いなくそう思う。

ただここに来て、両者の違いが浮き彫りとなってきて少々感じることがあった。


吉井和哉のことを知ったのはTHE YELLOW MONKEYのSICKSの頃だ。
それから途中中断はあったものの、未だに彼の音楽を聴き続けている。
私は彼を音楽を通して信頼していた。
しかしながら、今現在それが揺らぎつつある。
THE YELLOW MONKEY関連のリーリースラッシュのせいだ。
3年前?になるのかな、結成20周年の頃メカラウロコDVDBOXが発売されて、
当時リアルタイムで見られない貴重な映像や、リマスタリングされたSICKSや、
はては現存しないバンドでありながらROCK'N ON JAPANの表紙で4名それぞれの
インタビューも掲載された。
ま、それも全部買ったんだけど。
純粋に欲しいと思ったし、純粋に楽しめた。
そのJAPANのインタビューで、一番再結成に遠い感覚で居たのは吉井和哉だった。
(アニーのインタビューが一番胸を打ったけど)
それも正しい判断だろうと納得できたし、違和感は無かった。

しかしどうだろうか。デビューシングルがまた同じ日に出たら面白いね、と言って
実現したという「ROMANTIST TASTE2012」。
売れ行きは好調のようだが、解せない。
え?なんで?という感じだった。まあ、でも予約せんでも買えるだろうと踏んだので、
特に注文もしなかったのだが。
「TRUE MIND”NAKED”」についても、え?なんで?と思った。
ファンとして、未公開とか完全版とか言われれば気になってはしまう。しまうし、まあ、
注文もしちゃったんだけど。
でもまた「ROMANTIST TASTE2012」の発売日に、「RED TAPE」と「紫の炎」までも完全版を
出すという情報を知った。
THE YELLOW MONKEYは大好きだ。その気持ちに嘘はない。
でもなんで?という違和感は拭えない。
正直もしファンじゃなかったら、ああ吉井和哉ねえ、イエモンの人でしょ、昔のDVDそんなに出すの?
あー、お金なくなったんだあ、という感想しか出ないと思う。
再結成について一番乗り気でなく、しかも一夜限りのとかならしないほうがいい、と言ってまでいるのに、
なぜここに来て、THE YELLOW MONKEY関連のリリースをそんなに出さなくてはいけないのか。
もっと言ってしまえば、吉井のソロになってからのDVDもことごとくBlue-ray化して発売したのも、
ちょっとなんで?と思ったし、何よりも441108.comで有料の会員サイトを立ち上げ(しかも年会費制)、
そこでしか見られない映像だのなんだのと出すという。
そんなのUstでいいじゃん、と思った。
PCの有料サイトはEMTGというところで運営するらしい。委託料だの管理費だの色々とあっての年会費なの
だろうが、なんだか・・・・的外れじゃないですか?と思った。
言い方は悪いが小金を稼ごうとしているようにしか見えない動向じゃないだろうか。
もちろんプロのミュージシャンだし、音源やDVDやライブにお金を払うことには何ら異論はない。
でも今回は(もちろん色々と新しく編集作業などの手間はかかっていようが)過去の映像たちの焼き直しに
アイドルバンドのPCサイトでもないのに、そこでしか見られないとかなんか。。。
今の吉井和哉としてやらなくちゃいけないことなんだろうか。

もしかしたらやむにやまれず、何らかの事情(BOWINMANの赤字がひどいとか)があっての事なのかもしれない。
でもそれらの事情は私には関係ないのである。私の悲しみや苦しみが彼らに毛筋ほども関係がないように。
公式に発表される情報でもって判断するしかない。
はたまたもしかすると、今年空いている12/28武道館で何かやるための布石なのかもしれない。
だとしても私は正直に喜べないだろう。
どことなく足元を見られているような感覚になった。それが勘違いであることを願う。
11/16何事もなければ私は吉井さんにまた会いにいくので、その時にきっとわかるだろう。



宮本浩次の難聴について、少なからず心を痛めたが、すぐに待っていられると思った。
色々と悩まれているだろうし、体調の辛い時もあるだろうと思うが、割と立ち直りが早いと
以前本人が言っていた言葉を信じて待つだけだ。
日比谷、大阪野音、新春公演の中止についても残念とは思わなかった。
25年近く酷使してきた耳と喉と、休めて欲しい。これからも、あの尋常ならざる声でもって圧倒されたいから。
しかしながら宮本浩次は自分の口から説明する場所が欲しいと、日比谷野音10/14公演の日に、自ら説明し
数曲歌う予定だという。
日比谷のチケットを取った人はそのまま有効になり、またその公演後払い戻しにも対応するという。
「野音で少しだけ歌わせてくれ」
この言葉だけでもその場に行けないけれども、私は宮本浩次を信じる。
会場やスタッフの経費、すべて持ち出しで行われるであろうことを考えると、宮本だけでなく周囲の関係者の方々
にもその心意気を感じて、大げさに言うなればまた人を信じてみようという気になる。
その求心力になっているのはでも、やはり宮本その人の男気と呼びたくなる意志じゃないだろうか。
たくさんの、本当にたくさんの曲を届けてくれたじゃないか。
心配したし驚いたけれど、でも本当に心の底から全快を祈ってるし、今までの曲たちと一緒に待ってるよと
届かないのは承知で言いたい。


吉井和哉と宮本浩次
二人共唯一無二のロックスターだ。
でもこの時期に二人の周囲に起きた出来事においては、宮本の方がカッコよかった。
ロックスターって、夢を売るんでしょ?永遠に。









10/1 日々徒然

もうだいぶ過ぎてしまったが、9/9にNothing's Carved In Stoneのライブに行った。

お盆の頃に発売された「Silver Sun」と言うアルバムを渋谷のタワーレコードで買ったからだ。
たまたま東京の姉のところに行っていて、久しぶりにゆっくりしたらいいと、義兄が気を使ってくれた。
20歳位の頃よく通っていた渋谷のタワーレコードへ行ってみた。
本音を言うとゆっくりしてこいと言われても、会いに行きたい人がいるわけでなく、むしろその日にあったSummer Sonicに行きたかったけれど、幕張まで行く時間もなく、もちろんチケットもなく途方に暮れていたのだ。

思い出したのがよく通っていた渋谷のタワーレコードとその隣にあったビルごとの本屋だった。
時の流れは無情なもので、本屋は消えてなくなっていた。
エスカレーターの脇のスペースにまでびっしりと本が並び、幅20cm以上もありそうな「ハム年鑑」なんて本もあったりして(食べるハムではなく、無線のことだろう)、何年でも住めそうだったのに。
少々がっかりしてタワーレコードでいろいろ試聴してみたのだ。

ナッシングスについては、吉井和哉経由で知った。ギターの生形さんが吉井和哉のサポートをしているからだ。
ELLEGARDENについては名前のみ知っていた。
BLUE APPLESのDVDで初めて生形さんのギターの音を聞いたわけだが、力強くて潔いと思った。
実のところ、吉井和哉の最近のライブに多少のマンネリ感をうっすらと感じていたのだが、生形さんが入ったことによって、やはり新しい強さと勢いが生まれたなーと感じた。
ジュリアン・コリエルは繊細な優しいギターを弾くけれど、有無を言わせぬ強さはあまりない。
もちろん悪いわけではないし、ほんわかした感じでいいのだけど、例えば前回のツアーでやったTHE YELLOW MONKEY時代でも毒気のある曲たちは難しいのじゃないかと思う。

解散したバンドの曲を、ソロになったヴォーカルがライブで演奏するとき、古くからのファンたちは少なからず抵抗を感じる。
ドラムのカウントの取り方が違う、ギターソロのアレンジや音そのもの、そして何より演奏隊が生み出すグルーヴの違いなど聞き込んだ曲たちとの小さな違いに難色を示してしまう。
それはヴォーカルの力量の問題ではなく、その曲たちが聴き続けた人たちの心の中で勝手に息づいているからだ。
今新たに演奏されているそれと、自分の中の楽曲との差に抵抗感を感じてしまうのだと思う。
だから例えば前回のツアーでやった「嘆くなり我が夜のファンタジー」がいい例だ。
BLUE APPLESのメンバーオフ会でカメラマンのMITCH池田氏がこの曲が大嫌いで、セットリストに組み込まれていた時点で吉井本人に文句を言ったという話があった。
正直言って私も嫌いだった。今もあまり聞かないし。
でも前回のツアーではよかった、印象が変わったとMITCH氏は感じたそうだ。
それについても同意見である。
おしなべてTHE YELLOW MONKEYの楽曲は湿度が高い。それが彼らの特徴であり昭和的な湿気感が音に漂っていて、音がどんなにかっこよくても生き物の持つ吐息に含まれる水分を失わない所がほかのバンドと何より違ったわけだが、「嘆くなり〜」の原曲についてはあまりにもその湿度感が高すぎて、鬱陶しいというか息苦しい挙句甘ったるい、甘ったるすぎる、という印象だった。
湿度感で言えば「熱帯夜」も同レベルだが、「熱帯夜」という割、あの曲の核の温度は低いように思う。なので不快感がそこまでないのと、歌詞の内容は甘めなのにあまり甘さを感じないのだ。
もちろん人により好みはそれぞれなので、行き過ぎた湿度と甘さがたまらない、という人もいるだろうけれど。

DVDで吉井はMITCHI氏のキャパシティーがひろくなったのかな、アレンジだって変えてないし、とおちゃらけていたけれども、私個人の感想としては生形さんのギターによる功績が大きいと思う。
もちろん吉井本人も年齢を重ねて、当時と比べて枯れた部分も出てきたと思うのだが、生形さんのケレン味のないギターの音と、潔い、あるいは誤解を恐れずに言えば男らしいギターの音色が、あの曲の不快なまでの湿度を振り払い、快適な湿度にしてくれたおかげで、湿度に阻まれて届かなかった歌の広さが出てきたように思う。

もしかするとあの湿度感と甘さが大好きだったファンには、また違う曲になってしまったと落胆する材料になってしまったのかもしれない。でも私のようなファンにとっては改めていい曲だったんだな、と感ずることができたいい機会だった。

ギターの人からバンドにハマるのは初めてだったが、非常にいいバンドだなと思った。
みんな申し分のないプロだ。自分自身の中で様々葛藤があるだろうし、でも一切それを感じさせない。
CDから感じるのは丁寧に織り込まれた多彩な色の布の中に熱量を閉じ込めた鉱石、のような感じだけれど、ライブを経験するととてもオープンなでも強い熱量をしっかりと最後まで放っていた。

生形さんもバンドの核だし、いろいろと忙しいこととは思うのだけどできればなるべく長く、吉井のサポートを続けて欲しい。まあ、吉井のオファーがないとあれだろうけど。
今年は決まっているみたいだし、安心だけど、正直生形さんじゃなくなったら吉井のライブへ行く気がかなり減ってしまう。しかし足りないものを補う嗅覚はさすが吉井和哉だな、と思う。
そういうところは天性の才能だよな、と感じる。

つまるところ、新しく好きなバンドができたことが嬉しいということだ。
音楽が無ければ街を歩けない。















日々徒然 7/21

休みの日は寝坊が定番なのだが、今日は少々早起きをして午前中に息子と映画に行く。
何ってことはない。ただ外出したかっただけだ。

お昼過ぎ、映画が終わってから電車に乗って帰宅。
早起きのせいで1時間ほど昼寝をする。

夕方、息子の合気道。
通常の土曜日。
うすら寒く変な天気。雷が鳴ったような気がしたが、雨は降らなかった。

夜、カレーを作る。勢いで、スコーンも焼いてみた。


この間、久しぶりに実家へ行った。
父しかいない実家。冷酷な娘なのだとは分かっているが、父だけしかいない家は私にとってもう実家ではない。
私の実家は死んだから。
父は母と過ごした40年弱をどう受け止めておるのか分からないが、結婚前の実家の兄弟たちに擦り寄り、またあちらでも取り込んでいる気配。
致し方ない。彼の擦り寄る場所はほかにない。私が受け入れないのだから。

何と言っても私たち姉妹は母を通してしか父と接してこなかったのだ。
たとえ一緒に住んでいたとしても寝る場所が同じ家の中と言うだけで、一対一の関係を作ってこなかった。
思春期に父を嫌う事もなかったし、洗濯物を別にしてくれと頼んだこともない。
嫌うほど顔をあわせなかったし、何せ母は自分の育った過程に置いて父親を嫌ってしまった、本音では愛していたのにまっすぐその愛情を表せなかったことを悔いていたので、娘たちに同じ行動を取らせたくないと常々こぼしていたので、休日すらあまり家におらなかった父を会う時間だけ好いているように繕うのは訳はなかった。
しかしその繕いの綻びが20年以上経ってから重くのしかかるとは想像だにせず。

姉妹の二人ともが母が嫌がることを恐れていた。
怒られるからとか不機嫌になるからとかではない。彼女は深く傷を受けるからだ。
心を痛めすぎ、自分を責めすぎる人だった。
だから私たち姉妹は方法や表し方は違ったけれど、母を傷つけたくない、守りたいと思っていた。
思いながら自らの人生の選択において、やはりどうしても譲れない時、母の心を痛めつけている事をそれぞれがそれぞれの胸に重くのしかかったと思う。

父が母を守らないことは知っていた。
仕事さえ存分にできれば他に何もいらなかったからだ。
彼も彼で粉骨砕身人生を捧げていた企業が、倒産する時は日本がつぶれるときだろうなどと冗談を言っていた企業が自分の目の前でもろくも崩れ去った時、どれだけ堅牢かと思っていたものの儚さに衝撃は受けたろう。
彼もあの時人生の大半を失ってしまったのかもしれない。
そのとき、きっと一つのチャンスだったのではないだろうか。
内なるものに目を向けて、何が大事かを問うべき時だったのではないだろうか。
しかしながら彼の魂にまでしみついた仕事をして自分がどれだけ有能か、周囲と何より自分自身に知らしめるための行為は抜けることはなく、ローギアでこなせば良いものをトップスピードでやっている(振りをしている)。

父だって知っているのだ。本当は家庭を放り出してまで今やるべき事ではなかったと。
でも彼は内側からの充足を知らない。知ろうとしない。
慣れ親しんだ「仕事」と言う名の神のために自分の身を捧げている。

まだ死んで約4か月なのに、母の服を捨てていいかと言われた。
そうすれば衣替えの必要なく、夏冬の服を一か所に置けるからと。
普段着なんて良いものはないし、取っといても誰が着るものでもないだろうと。
そうですね、確かに。そうですね。
私は40年近く連れ添った人を失ったことはありませんし、男性でもないので妻が亡くなったらむしろ家の中も一掃して、形跡を無くした方が気持ちの整理がつくとかそんな事があるのか知りませんけど。
でも私は33年間私なりに愛した母を失いました。
たくさん傷つけましたし、泣かせたでしょう。彼女の最後の10年間はほぼ病気に彩られていました。
苦しんでいた母をそばで見ました。あなたが言った誰も着られない普段着にどれほどの愛着があるかをあなたはご存知ですか。
脳梗塞の後布団の上で、こんな体になるならばあの時死ねばよかったと、みんなの迷惑にならずに済んだと泣きながら訴えた時、来ていた小豆色の長袖のTシャツや、入院中に来たパジャマ類は袖口がゴムがゆるいやつと言う難しい指定付きで選んできたものだったり、乳がんの手術の後は締め付けのあるものは着られないと敢えて腕周りの伸びた古いTシャツを着ていたことを知っていますか。
あなたがよく酔っ払うと豪語していた「都内の一等地に家が一軒建つくらい銀座で自腹で飲んだ」がために、母はお財布すら新調できず、数年前見かねて私がプレゼントしたバーバリーの財布。
受け取った時は母は喜んでくれ、さすがに最近お財布出すの恥ずかしかったの、と笑って言いました。
でも、その長財布の出番はあまり無かったみたいです。あなたは現金を家において置きませんでしたし。

それでも母があなたを選んだのです。
だからあなただけ責めても仕方ないでしょう。
でも、亡くなった直後からのあなたの行為は色んなものを抑え込んで、あなたに誠実につくした妻にふさわしかったでしょうか。
私はそうは思いません。
母の誠意と私たち姉妹の中にある母と両方を踏みにじられた気がしています。
一つ聞きたいのです。
あなたの中に思い出はあるのですか。
私たち姉妹はあなたたち夫婦から学ぶことは「夫婦はけっして理解しあえない」と言うことですか。
今も色々思い返しています。母の気持ちがあなたに届いたことがあったかを。
思い出せるのは失望してあきらめている彼女の顔です。
優しい笑顔の裏に抱えきれない寂しさを隠している顔です。
せめて一度だけでも、受け止めてあげてほしかった。


捨てられる前に服を取りに行こう。
私の思い出。





日々徒然 6/24

湿度は高め。気温は熱くもなく寒くもなく。

1年ぶりにエレファントカシマシのコンサートへ行く。
エレカシの場合、ライブとはなぜか言い難くコンサートと言いたくなる。
ご自身もよくコンサートって言うし。

ライブの場合、ホールツアーであれば問題がない。
席はあらかじめ確保されており、開演時間ぎりぎりに行っても支障はないからである。
しかしながらライブハウスとなると整理番号で入場するし、あまり最後に入場するとどこへ落ち着いて良いものやら判断が付きがたくなる。
おまけに入場してからの待ち時間が長い。
廊下に立たされる生徒ではないのだから、40分以上立ち尽くすと言うのも個人的には苦行だ。
基本一人でライブへ行くため話し相手がいるわけでもなし、iPodを聴こうにもSEと入り混じって気持ち悪いことこの上ない。
では本でも読もうと思うのだが、適正距離で読もうとすると前の人の背中にぶつかってしまうし、満員電車で新聞折りながら読むおじさんみたいな体になると、
もう内容が頭に入ってこないし。
そんなこんなで開演時間5分前になってもサウンドチェックが始まらない時など、イライラも極致に達しこのまま帰ったろうかな、などと思ったりしてしまう。
結局のところ、そんな状態でライブを迎えるので最初の一音ですべてが決まってしまう。
あ、待って良かった、ていうか忘れた位になれるか、こんなやったら帰ったら良かった、と思ってしまうか。

だからなるべくこの人なら外さないと信頼のおけるアーティストのライブにしか行かなくなってしまう。
無尽蔵に好きな様に好きな時にライブに行けるのであれば、気軽に足を運んでみるのもありだが、私の状況では年に1,2回で万々歳なので外したくない。

今回は1曲目の大地のシンフォニーの歌いだしで、ちゃんと鳥肌が立ったのでやはり信頼は裏切られなかった。

今回のツアーはまだ始まったばかりだし、他場所はどうなのかチェックもしていないので分からないが、極端にMCが無い。皆無に近い。
2時間ぶっ続けで歌っていたし演奏していた。
今の私の心情からするとそちらの方がよかった。
客が見えてないというのとは違うが、やりつくすという感じがした。持ってる球全部投げますみたいな。
また宮本さんのハンドマイクの歌が非常に少なかったと思う。
昼間さんが抜けたせいか、蔦谷さんがいないせいかそれは分からないが、ほぼギターを抱えていた。
個人的にハンドマイクで歌う宮本さんの動きが好きなので少々残念。

印象的だったのは珍奇男。
中盤音のカオスになるが、今回のはカオス感が半端ない。プロの耳ではないし、音響のせいかもしれない。
何とはなしに今回の音響が全般的にこもり気味だったように聞こえた。
心地の良いカオス感を少々飛び出し、それ以上行っちゃったら騒音ですやんとなるかならないかのぎりぎりのライン。
そしてアレンジを変えている訳では無いのにも拘らず、何だか新鮮?というか、正直言えばまとまり感に欠けていたようにも思う。

やはりツアー前半のせいか、冨永さんの事もあるのか、全然関係ない何かのせいか、私には知る由もないが焦っておられたような感じがした。
穴があったら入いりたいもそうだが、あの曲はあのテンポで一番いい味が出るのではないだろうか。
ライブではどのアーティストも皆テンポは速くなるが、そうするとあの淡々とした味わいが少々薄らぐ。
楽しかったんだけれども。
単純にアルバムの曲を詰め込みたかったからかもしれない。ワイディングロード以外は今確認したら、すべてやっておられたようだ。
あ、でもワインディングロードも聴いたかしら。よく覚えておりません。

我が祈りは悪魔メフィスト的であった。

しかしなぜだろう。
宮本さんに「ばーか」と言われると笑いたくなるのは。
嘲笑ではなくて、嬉しくなってしまうに近い。

個人的にはアンコールの方が楽しめた。
本編で悲しみの果てをやらかなったので、アンコールで歌ってくれた時はやはりうれしい。
悲しみの果てを聴かないとやはり帰れない。
ガストロンジャーはやはり無条件にあがる。真っ赤なライトに照らし出された白シャツを見るだけでやった、と言う気分になる。
間奏部分、蔦谷さんがいないのでサポートギタリストの藤井さんに声でセッションを仕掛け、素晴らしい技術で応対しておられた。かっこいい。
タコ踊りも見られたし、ファイティングマンでおしりぺんぺんも見られた。
ハンドマイクの歌が少ないので、ボタンは引きちぎられなかったが。

正直Zeppレベルのハコでは宮本さんならマイク必要ないのでは・・・?と思ってしまうよね。
今日も両サイドのスピーカーからと真ん中からマイクから漏れた声届きましたから。
46歳とは思えぬ声量です。素晴らしい。

相変わらず3次元で見ても2次元のような薄さでしたが、素晴らしかったです。
あと藤井さんのと石森さんのお二人で、宮本さんをガン見されている瞬間を見たときは面白かった。
何ともいえずこのお二人はたたずまいが似ている。
お顔立ちは違うのだけれども、輪郭の線が同じ太さと言うか。
藤井さんのアコギは非常に素敵な音でした。

ともあれ蒸し返すライブハウスを後にした時は、爆音に何かを流されて爽快であった。
身が軽くなったような気分で急ぎ帰宅した。
明日からまた仕事だ。










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