感情の育て方

なんと子供が持ち帰ったインフルにかかってしまった。
記憶が正しければ20年位引いてなかったのに。
子供がかかって来ても、側で看病しようとここ10何年と言うものかかった事がなかったので、油断しまくって居た…。
イナビルと漢方薬を貰って、少し落ち着いたけども、来年からは粛々と予防注射をします…。


とまあ、熱に浮かされながらも見たい。
何を。
大輔を。AOIを。
お裾分けして下さる方々の恩恵に預かりたい。
ゲホゲホしながら見せていただきました。
届かないとは知りながら、UPして下さった方々本当にありがとうございます。
お陰様でインフルの治療薬となりました。
2017.2.5 夜公演

ありがたい事に殆どの公演の映像を順々に見ることが出来たので、回を増す毎に変化して行く様子が手に取るように分かった。
そして何より皆さん撮影が上手い(笑)
本当に素晴らしいです。重ねてありがとうございます。

前回初参加のAOIでのコラボ、ネリーさんとのTurn off the Light。
あの時はあの時で度肝を抜かれたのだけれど、今回のジェームズ・モリソンとのコラボは初回からある程度の完成形みたいなしっくり感があって。
前回はノリで攻めるタイプの曲だったけれども、今回のはもうストーリーありきと言うか、設定があってのプログラムで。
まあ、だからなんて言うか最初から、あ、これ好きだなって言うやつだった(笑)

キャラバンは正直どうなんだろう?と初めは思ったけれど、今回のAOIのテーマ自体がNYと言うことで納得。
と言うかもうコラボ曲との表裏ですよね、これ。
大概良い曲ってCWに多いのと同じやつですよね。

回を追って見てすごいな、と思ったのは感情の育ち方だ。
初回の方は悲哀や切なさはあるのだけど、そもそもの所作の優雅さや美しさがあるので、なんだかあのホームレスの人きれいだわ、みたいな印象があった。
て言うかまあそれで勿論十分なんですけどね、ショーなんだし。
エッセンスとしてそう言った悲哀を持ち込めれば良い訳で。
でもどんどんと進む毎に、決して所作が荒くなったとかそう言う訳ではないのに、自分の中の隠しきれない後悔や焦燥や憤りを体が制御出来ないような荒ぶり、しかしながらそれを解消するだけの力が無いことへの無力感と諦念と言うか。
先にお借りした動画、チューリッヒ最終公演ではちょっとそれが切羽詰まる位の勢いで出て来ていて、どきっとする。
数日間でこのプログラムの感情がグイグイとその深度を増して、洗練と泥臭さが同居する様な、そんな対比を一つの体で行なっている事。
最終的に…すごい、しかないって言うね(笑)

そして、2月4日の公演 の夜?なのかな?
これ、私は初見で単なるバージョン違いとして受け止めてしまったが、それ位ナチュラルだったのに、ジェームズ・モリソンさん歌詞間違いしちゃったのですね。
そう知ってて見返すと、間違った所でほんの一瞬だけ躊躇が見られると言えば見られるが、コンマ何秒ですぐに対応してバタフライを入れたり、また戻った歌に合わせたり。
やっぱりこの人は柔らかく見えて意地があるなぁと。
誰にも恥をかかせず、客には気付かせず。かっこよすぎやしないですか、ちょっと。

後Person I should have beenのイントロの所、ステージ上のクラウンが鏡を運んで来て、ホームレスの高橋大輔が登場すると同時に鏡の中に去ると言う演出もオサレですねー。
ああ言う演出をサラッとやる所が素敵ですね。押し付けがましくなくて。

…私は役者ではないので、感情の育て方と言うのは良く分からない。
もちろんそう見えるテクニックというものも存在するだろう。
でも私は高橋大輔の演技、特にああして感情がむき出しになるタイプのプログラムだとそれが「そう見えるテクニック」に寄って引き起こされているとは、どうにも思い難い。
特に今回のコラボは「スケート」と言う括りを見ながらにして忘れる時があった。
ジャンプが入ったりすると、あ、そっかと思う程に。
フィギュアスケートでもダンスでも演劇でも無い、でも確かな身体芸術ではあって。
あの今高橋大輔がやっている「あれ」は後世に引き継げるものなんだろうか?

…それはそうとポゴリラヤちゃんが可愛い…
息子の嫁に欲しい…無理だけど…

高橋大輔 Lacrimosa〜Mothertongue〜 2015XOI

ああ、やっぱりこの人には具象より抽象が良く似合う。
もっともっと見たい、あと30分でも見ていられる、と言うより引き込まれていられる。


2015 XOI


細胞分裂。反復し増殖する。永遠に繰り返されるその連なり。そして飽和の時。

濁流に翻弄されるような、不条理に抗うような。
根源的な原始の怒り、叫び、戸惑い。

このプログラムは始まりも無ければ終わりもない。
正解も無い。
見ている間、様々なイメージやキーワードが浮かんでは消える。
胎動、焦燥、不安、導き、ベラスケスの 磔刑像、混沌、映画「THE CELL」の意識下の場面とその衣装。
受ける印象として美しさや荘厳よりも、押さえ込んだ憤りや荒ぶる魂、行き場のないエネルギーがビックバンさながら爆発するような、まあ、つまり圧倒してくる。
所作は指の先まで神経が行き届いているのに。

抽象、と言うのは物事の一端を捉えその部分を膨らまし、一見元になる物と掛け離れているように見えるが、その実本質を、核の部分を表す方法。
目に見えない物を描く時、どんな表現でも抽象的になりがちだ。
けれども本当の意味で抽象化できている物は非常に少ない。
それは少なからず何らかの方法で行うその表現者が、抽象から受けるイメージを無意識に具象化して表現しがちだからだ。
どうしても自分の主観を織り込んでしまう。
気持ち悪いと感じたり、不可解だと感じたらその様に。
でもその時点でその表現は抽象的とは言えなくなる。
人に伝える時点で具象化してしまっているから。

私は高橋大輔が抽象が似合うと思うのは、その本人による具象化を一切行わない所だ。
(正直滅多にいない。)
これはご本人の性質が大きいと思う。
先入観と言うものを持たない、拒絶しない、受け入れるという資質。
加えてそのイメージを体現できる身体と技術、そして並外れた美意識。
これを兼ね備えて居ること自体が、大袈裟でなく奇跡だし、何度も言ってる様に色んな物を持ちすぎなんだよなぁ…。

正直この時期にショーがあっても地方民だし、人手のいない職場では日程が厳し過ぎるし、息子ほっとく訳にもいかないし、色々ある訳でつい今回も諦めちゃったよね。
それでラクリモーサ見てのたうちまわると言う。
次こそ何とかして行きたいなぁ…:(T-T):

シェイリーン・ボーンさんの振付は、正直高橋大輔以外のスケーターの方々の演技は少数しか見ていないので何ともだけれど、高橋大輔に今まで振付した競技用プログラムはアホ程見ている。
そして今回のラクリモーサを見ていたら、素直な感想として振付師の方々も競技プログラムの中ではその才能を最大に発揮することは出来ていないのだな、と思った。
ショーとして楽しませるプログラムももちろん素敵だが、パフォーマンスアートとしてのプログラムももっともっとあっても良いのにと。

来年からはスケートをしていくと言ってくれていたから、そういう事を彼に期待しても良いのかな、などと思った。




blues for klook:再考

高橋大輔のプログラムで何が一番好きか?というアンケートがWFSの特集号であった時、色々と逡巡した挙句結局一つに絞りきれなかった。
音楽や本に触れる時もそうだが、その日の気分や心の状態によってしっくりとくるものは違う。
高橋大輔のプログラムはそれぞれに見せる表情が多面的なので、音楽を聞き分けるように見たいものが毎日違う事が多い。

しかしながら再生回数の多さで言ったら、私の場合blues for klookが断トツである。
in the garden of soulsも好きだけれど、blues for klookはその独自性、完成度において非常に特異なプログラムであると感じる。

シーズン当初はボルト抜き手術のせいもあったのか、音楽と添いきれない場面も見られたが、2011年NHK杯以降は回を重ねる毎にその深度が増していった。

2011 NHK杯

ブルースの面白さにハマり出した20代の若手ミュージシャン、とでも言おうか。
初々しさが残り、爽やかな印象。
コレオステップの前のカッコつける振付が正面から撮られていて貴重(笑)


2011GPF

様々なテクニックを覚え自在に音を操れるようになった30代のような感じ。
音楽に振り回される心配はもう無く、どこをどう弾けば、どう叩けばグルーヴが生まれるのか反射的に知っている様な。
安定感までは行かないし、かと言って動揺や不安は感じないが、セッションの様なスリリングさがある。
手直し前の振付で一番好きなパフォーマンスだ。
あのラスト少し前の手でかき分けるような(あは〜んみたいな)所、好きなんだけどなぁ。


2012 世界選手権

百戦錬磨のベテランプレーヤー、脂の乗りきった40代。
どんなアドリブを仕掛けても惚れ惚れするテクニックで応酬してくれそうだ。
もう何も考えなくても良い。驚き歓喜すれば良い。単純に酔いしれさえすれば良いパフォーマンスなど早々お目にかかれるものでは無い。
この演技は間違いなくそれだ。
最後のステップは音が人の形を成している。音楽が踊っている。


NHK杯から世界選手権まで半年位だろうか。
その短期間でぐんぐん深みが増して、実年齢すら凌駕するほどの円熟味を出していく。
どこからそれが来ているのかと言えば、音楽からでしかないのだろう。
音に合わせる人はたくさん居るし、リズム感の良い人も居る。
自分が音楽から何を感じたかを表現する人も居る。
でも高橋大輔の場合、音になるんである。
正解なんてあるはずも無いのに、彼のムーブメントは「音が形を持ったなら、こんな風に動くだろう」とすんなりと理解出来、また音が形になるという普通起こらない現象に見る者は瞬時に歓喜してしまうんである。
中毒症状を起こす人が多いのも頷ける(笑)

この現象が非常に分かりやすいのがblues for klookであると思っている。
クラシック音楽や映画音楽には分かりやすいイメージがあるので、先入観を完璧に取り払う事は難しいし、また振付の際にもむしろそのイメージを利用するのだろうと思う。
ただこのびよ〜んと言うギターの不可思議な音から始まるblues for klookは好きな人は好きだろうが、楽しいのか悲しいのか苦しいのかだらし無いのか、音楽だけ聞いていると若干分かりづらい。
そもそも私もそんなにブルースやジャズは聞かないが、音楽はライブで聴く事も多いし、演奏家の動きやアドリブの掛け合い、そうしたビジュアルや振動も含めてのライブだからこそ感じる物もあるわけで。
だから高橋大輔のムーブメントで気づかされるのだ。
この曲は探り合いの様な所から徐々にお互いのリズムや熱を感じ、グルーヴがあった所からぐいぐいと高まって、花火の様に音が弾け、そしてゆったりとまた現実へ帰る、その過程を感じる曲なんだと。

それなのに、最後までしっくり来なかったとか言うんですよね、ご本人は(笑)
まあ演技の精度と言うよりも心理的な物なんでしょうが。
その辺がどうにも理解しがたいと言うか、面白い感性だなぁと思う。

どうしてそこまで「音になれる」のか。
もちろん鍛練を重ねた技術に寄る所も大きいだろうし、数えきれない程の練習を積むからとも言えるだろうけど。
長光先生が初めて見た時既に「体から音楽が聴こえるみたい」と評されているのだから、それだけでは無いだろう。
生まれ持った感受性と言う事なんだろう。
彼の耳を借りて、一度音楽を聴いてみたいものだ。
私の聴いている音とは違うものが聴こえるかも知れない。



高橋大輔 2014 FaOI I'm kissing you

やられた。
テレビでみた時の感想。


演技


ブエノスアイレスの四季の時も思ったのだか、高橋大輔と言う人は何かを喪失した痛みの表現がとても、いや、とてつもなく上手い。
失った物の大きさ、大切さ。それをこの手に二度と触れることの出来ない歯痒さや苦痛。
自分がいかに魅力的かを、アピールする色気というのもあるが、彼の出す色気はそういった個性を前面に押し出す物ではない。
生きて来た中で、誰もが持っている傷のようなものを時には撫でるように、時には掴むように刺激する。
見ている者は自分すら常日頃意識していない傷の存在を認識し、氷を舞う男の傷心と痛みで繋がる。
(高橋大輔の熱烈なファンの方達にある程度の年齢に達した女性が多いのは頷ける。
余程の事がなければ、人生の挫折や痛みや後悔は、それなりの年月を経なければ味わうことが出来ない。
彼の放つ痛みの粒子に対するアンテナを持つまでに至るには経験が必要なんだと感じている。若しくは感受性そのものが鋭い事だ。)

そこまで心の中に侵入されてしまったら、もう身を預けるしかない。
音楽も本も映画も、人を捕らえて離さないものは皆そうだ。
繋がった、と思った瞬間にはもう墜ちている。
その歌が、言葉が、映像が途切れる瞬間まで、限定的にその魅力的な者達に占領されるのだ。
このプログラムはまさにそれだろう。

し・か・し、あの最後の投げキッスはー。
顔も、指も何ですか、あれはー!!
通常投げキッスと言うものは、離れた人へご挨拶代わりにあっさりするものであって、あんなに万感の思いを込めて、プルプルして届くかどうか分からない不安みたいな、そんなものではありません!
全く…思わず口押さえたじゃないか。テレビ見てただけなのに。

あの表情と指先にやられて、大変申し訳無いのだが、その後のコラボレーションの所あまり覚えて無いんだよなぁ…


高橋大輔 2014 ソチオリンピック ビートルズメドレー

私はただ泣いた。


演技+キスクラ


バンクーバーから4年ぶりに見た高橋大輔だった。
ショートプログラムは録画してなくて、見ていなかった。
それでもフリーだけでも録画したのは、バンクーバーの時の道でグッと来たことを覚えていたからだ。

その前の年末位から、いやホントはもっと前からメンタル的に最悪だった。
最悪なまま抜け出せない、抜け出そうとしない自分に嫌気がさしまくっていた。
宮本浩次風に言うなれば生活に負けていた。しかもフルボッコ。
立ち上がる気力なんて全然無く、ただ毎日の暮らしに両頬を殴られて、やり返すこともせず打たれっぱなしだった。
生きる屍こんにちは、だったのだ。

録画したものの水曜日だか木曜日だったので、時間のある週末でいいや、とすぐ見ることもしなかった。
金曜日の深夜かな、独りで見たのだ。
惨敗のスケートアメリカも衝撃のNHK杯も、血染めの全日本もさっぱり知らず、何の気もなく道のような演技が見られればいいな、と見はじめた。

冒頭の顔を見て、ショックを受けた。なんだこの表情は。
きれい過ぎたのだ。顔の作りの話ではない。人のする表情として、一切の汚れがなく、澄み切っていた。
その澄み具合が度を越していた。私の頭の中は一体何があったの?ハテナだらけになり、少なからず動揺した。
多分初めて見たと思う。奢りも弱さも無邪気も無い、美しさを。

あまりの美しさにぼーっとなった。ただ画面の中を流れていく高橋大輔を見つめるだけだった。
ジャンプの失敗など、風の前の塵に同じだった。気にもならなかった。
連続ジャンプが終わり、トリプルフリップからのコンパルソリー。
笑顔で滑って居るのを見たら、ダメだった。
なんでか分からない。だって私はその時点で、この4年間の彼の物語を何一つ知らなかった。
それなのにむせび泣いた。涙はあふれ、嗚咽が止まらなかった。

コレオステップで風のようにキラキラした暖かい何かを振りまいて、疾走していく姿にまた泣き、ラストの何とも言えない笑顔でさらに泣いた。

始めから終わりまで衝撃を受けっぱなしだった。
何でこんなに泣くのか、自分でも分からなかった。ただ感動した、と言うのともちょっと違った。
なんかわからなかったけど、凄いものを見たんだ、とは感じた。

それから一日に一回見てた。なぜか同じ日にリピートはしなかった。
毎日見てるうち、気がついたのだ。
彼が振りまいていたキラキラした物。画面を通しても確実に伝わった物。
あれが何で有るか私には説明出来ないが、きっとあれに癒されたのだ。
生活に負け、殴られっぱなしで、疲労を拭えず、またそこに逃げ道を作り、そんな自分が嫌なのに抜け出すだけの力が足らない、そんなクソみたいな私の人生を、許してくれているように思えたのだと。

その後色々調べて、ローリー・ニコル氏の記事を読んだ時、あぁそうだったのか、と納得した。
彼は愛を届けてくれていたんだね。
満身創痍で悲痛な覚悟で臨んだ4年に1度の舞台で、高橋大輔と言う人は他の人に愛を届ける為に滑ったんだね。
きっと彼は今までどんな時でも自分を応援してくれたファンの方達の為に、愛と感謝を伝えたのであろうが、4年前に見たきりの私まで、お相伴に預かってしまった。
そしてシャワーみたいに降ってきたあのキラキラに、深いところで癒された。
感謝するほかすることがないではないか。

プログラム自体の良し悪しはもういいです。
このプログラムを見たから、高橋大輔と言う人の形容しがたいほどの才能にも気がつく事が出来、数々の美しいプログラムを見ることが出来た。
ほんの少し何かがズレれば一生気がつかずに終わったろう。

ローリー・ニコル氏は全てにおいて品のある感じになるんですね。
いや、他のプログラムが下世話と言うわけではなく、何と言うか柔らかくて伸びやかで、派手では無いけど美しいフォルム、と言うか。
そのいつもより派手さが無かった所が、あの澄み切っていた高橋大輔には非常に良く合っていた。
ちょっと神々しい位に。


2013スケートアメリカ 練習

本番の時より良いのでは…(笑)
身のこなしのキレと美しさが良くわかる。練習風景だけでも美しいなあ。
私は宮本浩次のがなり声だけのCDを売ってても即決で買うが、高橋大輔の練習だけのDVDでも買ってしまうかもしれない。




高橋大輔 2013 NHK杯 バイオリンのためのソナチネ

この曲については、本当にウンザリするようなエピソードがついてしまった。
しかしあのお騒がせな人、高橋大輔と対面までしてると言うのだから、何て言うメンタル(笑)
実のところ私はこの人について何も知らなかった。
NHKで特集されたと言うのも知らなかったし、たまたまCD買いに行った時に特設コーナーみたいな所で目立つポップが在ったけれど。
例の名前がデカデカと書いてあり、「さむらかわちのかみ?そんな武将居たっけ?誰かの子孫とか?」と思って通り過ぎただけだ。
あのビジュアルも受け付けなかったけど。
まあ、全くとばっちりとはこの事ですねぇ…


演技


別に才能云々は言えた立場では無いのだけど、曲がなー…、編集のせいもあるのかなぁ、印象的なようでいてぼんやりしてるんだよなぁ。
だから高橋大輔が踊っていなければ、曲に魅力が無い、というか。
私はこの全プログラム感想を始めてみて自分で分かってきたのだが、曲単体で十分に魅力的なものと高橋大輔が融合して、聞くだけでは気付く事の出来なかったものを彼が何倍にもして見せてくれる、と言う現象が好きらしい。
(ビートルズメドレーを除く)
なので凡庸な曲ではその量が少ないと言うか。もともと曲に入ってないものは取りだしようが無いものね。

ただ動きそのものと足元の滑らかさについては、もう美しいとしか言いようがないです。
トリプルアクセルのあとスピン、リンク中央からコンビネーションジャンプへ向かうまでのつなぎの振り付けのところ。
他の動画でも時々思ったが、ステップの最中とかに軽く飛び上がって離氷している、時間にしてコンマ何秒の世界だとは思うのだが、まるでスローモーションになっているかの様に見えるのだ。
音の余韻に併せて重力までコントロールしているように。
あれは一体どういった技術なんだ。

高橋大輔について調べていて、何かのインタビューにモロゾフコーチがジュベールの指導もする理由について尋ねられていて、「ブライアンや大輔は闘い続けることに疲れてきた年齢。」「選手生活の終わりが近い彼等の力になりたい」「ブライアンはまだ取り組むべき事がある。大輔はジャンプだけだ。」とざっくりこのような事をおっしゃって居たのだけど、このNHK杯の演技を見ると、本当その通りだな、と思った。
ちょっとジュベールさんの扱いかわいそうだけど(笑)

この試合はかなりの気合いを入れて勝ちに来たんでしたね。
なので技術的な事を最大限に注意して最後まで気を抜かなかったのだろう。
彼特有のemotionはあまり感じないけれど、スポーツとしてのフィギュアスケートならこれ以上望むべくはない。
むしろこんな感じで今までもやっていたら、今でも十分輝かしい戦績がもっと華々しいものになったのかも知れないが。
ただそれで高橋大輔と言う選手が今のように愛されたかは分からないけど。

凡庸な曲を本当に美しくしましたね。




高橋大輔 2013 AOI アナザーオリオン

正直なところ私はこの歌手の方が苦手。
そりゃ小さい頃から悪ガキで…いや、知ってるし、アイドルバンド?として非常に人気があった頃も知っている。
基本この声質が苦手なのだ。湿度が高く、ねっとりと、とでも言いたくなる様な。
まあ、それが好きという方もいらっしゃるだろうが。
なのであまり気乗りせずに見たのだが…


演技


何ですか、これは。ドラマでも見たかのような感覚。(映画のよう、にならないのはこの歌の持つ大衆性に寄るものだろう。)
あれ、この歌ってこんなにも切なかったでしょうか、と思ってしまった。
しかもトイレで鼻歌まで口ずさんでしまった。
ありえない!この人の歌を口ずさむ日が来ようとは!
自称ロック好きとして衝撃だった。

いわゆる当てぶりが多い。下手したら、恥ずかしさが際立っていたたまれなくなりそうだ。
まあ、高橋大輔クオリティなのでそれは心配無いか。
ベタな歌をベタな振り付けで滑った。真っ向勝負だね。
まあ一人勝ちした感じですが。

もちろん素敵ではありますが…高橋大輔の才能なら音源で十分だからなぁ。
コラボ、しなくてもいいんだけどなあ…




高橋大輔 2012 COI ブエノスアイレスの春

なんてタンゴの似合う人なんだろう。
濃厚だけど、くどくはない。身体のキレが素晴らしいからだろう。
躍動する命のタンゴだ。


演技


2シーズン前のフリープログラム、ブエノスアイレスの四季。
あれは本当に耽美で、素晴らしかった。
しかしこのエキシビションは耽美的ではないが、入れ替わるように情熱が弾けている。
四季のタンゴが愛する女の幻影を狂おしく求める男の孤独だとすれば、この春のタンゴは今そこに存在する女を決して逃さない、逃したくないとこれでもかと言うくらい、愛をほとばしらせている。

ともすれば女に鬱陶しがられるほど強い思い。
純粋な恋慕なのか、独占欲か、欲情か、またはそのすべてか。
オールオアナッシングな恋だ。

特筆すべきはあれだけ色気満載の濃い振り付けを踊っても、いやらしさが滲み出ない所だ。
身のこなしが格段に美しいせいもあるだろう。
それでもあの、何かを必死に追い求めるように踊る高橋大輔の姿に、純粋過ぎる何かを見るからではないか。
邪念の一切入らない、健気過ぎる欲求、というか…

色気といやらしさではなく、色気と切なさを強く感じるのである。

一体高橋大輔と言う人は、身体の中にどんな装置を持っているのだ。
音楽成分解析増幅装置、とでも言うか。
踊るだけではないのだ。音楽の中で閉じ込められていたものを解放して、世に届けられる唯一の人かもしれない。



高橋大輔 2013 世界選手権 月光

まるで修道士の様な潔癖さ。
悲しいほどまでに清らかな美しさ。
Luv letterの浮き世離れした優しさと寂しさがないまぜになったような美ともまた違って、何かしら痛みを伴うような澄んだ美しさ。


演技+キスクラ

身体的なフォルムを含めて全くの芸術だ。
一音足りとも自分の身体から離していない。長光先生のよくおっしゃる身体から曲が聞こえると言う表現、ステップ前のコンビネーションスピンなどまさに!
回転数とピアノのトリルがピッタリと一致している。
そしてあのステップは…もう言葉が無い。

普通あんなにも激しく細かいステップを踏んだら、もっと無機質に煩く、曲芸的になってしまうと思うのだが。
ギターの速弾きなんかもそうだが、速く弾かれたからと言って感動するわけではない。
もちろん何であんな指速く動かせんの?すごーい!とは思うけど、それでその曲が好きになるかと言えばそうではない。
あくまでその曲想なら早いアルペジオでなければダメだ、と言うなら別だが。
あれだけスピードにのり、もう素人目には何をどうしてるのか解らないほど複雑にステップを踏んで居るのに、上体が指の先までしなやかに美しい。
洗練され、研ぎ澄まされた動き。ため息しか出ない。

プログラム全体を通して腕の動きがとても美しい。
シットスピンの態勢を変えるときすら、ふわっと余韻を残している。

惜しむらくは滑る期間の短かった事である。
もう少し長くこの月光と寄り添う時間あれば、また深化した月光が見られたのかもしれない。


高橋大輔 2012 GPF 道化師

ロックンロールメドレーよりは全然良いのだけど、まあ、これも好みの問題か…
好きじゃ無いなあ…
これが全日本で国内大会の参考得点とは言え、パーソナルベストを出したプログラムか…
The yellow monkeyで一番売れたシングルが球根てくらい意外だな(笑)
球根の方は大好きだけどね。

演技+キスクラ

2012−2013シーズンは何だかしっちゃかめっちゃかな印象だな。
プログラムが個人的にショートもフリーも正直言って、あまりセンスが良く無い。
道化師と言うオペラは見たことないが、調べた所に寄れば旅芸人の座長が若い女優の妻を、団員の二枚目役者に寝取られて嫉妬→失望の中本番→劇中劇の設定と自分の境遇が似過ぎていて混乱→舞台上で妻を殺害、大雑把に語ればこのようなストーリーらしい。

他のグランプリシリーズや、シーズン後半に比べこのGPFは落ち着いた印象が見られる。
かといってそれまでの曲のように、音の中にちりばめられた何かを拾って膨らまして届けると言う高橋大輔にしか出来ない事はやれていない。
この道化師では曲と高橋大輔の間に乖離が見られる。
恐らくはオペラのアリアを使ったことに問題が有るだろう。
いや、普通の選手なら問題ないと思う。一般的に音楽を聞く場合音からの雰囲気を聞く。この道化師で言えばオープニングから管楽器の不穏な音色、明るいイメージを多少持てるのはサーキュラーステップの部分のみ、あとは悲しい綺麗な弦楽器の音色、コレオステップでは力強いが重たい音。
それらのざっくり分ければ「陰」と「陽」のイメージに、道化師のストーリーを併せて、この部分では喪失の悲しみを、この部分では爆発させた怒りを、と表現するポイントを決め、振り付けを付けて行くのだろう。
だからアリアでも何の問題も無い。

ただ高橋大輔の場合、ブルースの時にも書いたが、曲から信じられないほど、パッキングされた空気、感情、色、そのほか言葉で表せないものを拾って増幅して見せる。
だからこそアリアでは難しい。声の入っていないアリアは魂込め忘れた人形の様な者だ。
外見こそ整えられていても実が無いのである。
アリアの楽器の音はあくまでも伴奏であり、主役は歌手。感情を入れ、観客に届けるのは歌手の役目なのだから。

恐らくこれが高橋大輔と言う選手が曲を選んでしまう要因かと思う。
体裁だけ整えた音楽、実の無い曲ではあのパッションが上手く発揮されない気がする。

まあ偉そうな事を述べたが、私は彼に寄り添って応援しているわけでは無いので許して頂こう。
あくまで高橋大輔と言う人の出すsomething specialは一体何なのか、もちろん全部は解らないだろうが、解析してみたいと言う気持ちのみで書いている。
彼がフィギュアスケーターとして超一流な事については最大限敬意を払っているつもりではある。


初披露だったジャパンオープンの演技。
あの演技が一番良かったと感じた。なめらかで悲しいけれど、どこか優しくて。
技術的には高難度で練習する必要がたくさんあったのだろうが、曲の解釈と言うか音楽から感じ取れる物は、シーズン当初で終わってしまってのかもしれない。
だってもう残っていなかった、曲自体に。




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