Never let me go

  • 2017.10.16 Monday
  • 00:36
随分と間が空いてしまったが、今年のノーベル文学賞がカズオ・イシグロ氏と聞いて、瞬時の戸惑いの後嬉しかった。
毎年メディアが騒ぐ某有名作家の方は、正直ご本人がどのように思われているのかは知る由も無いが、恐らく傾向から言っても難しいのでは、と思う。

割とイシグロ氏とその作家の方は比べて語られる事があるけれど、個人的には物を書くアプローチがかなり違う気がしていて、私の中では同じ箱には入れていない。
どちらがどう、と述べるのはあまりにも厚顔無恥であるので控えるが、私の感覚的にはイシグロ氏の書く物語の方がしっくりくる。
なので余り正統派な文学作品や作家に与えられる事が少ない気のする同賞だったけど、昨年のちょっとしたゴタつきのせいかしら笑、今回はどこからもヤイヤイ言われなそうな感じのする人選だったのではなかろうか。

イシグロ氏にノーベル賞があろうがなかろうが、彼の素晴らしさを讃える項目がまた一つ増えたと言うに過ぎない感はある。
しかし世界に何十万、何百万だろうか数多いるカズオ・イシグロ氏のファンの端くれとして嬉しい事には変わりない。

一番初めに読んだのは日の名残りだったけれど、やはり鮮烈な感覚を得たのはNever let me go、「私を離さないで」。
どの作品もそうだけど、イシグロ氏の筆致は抑制されたトーンで進められる。
エクスクラメーションマークの無いような、冷静でいて、どこか軽やかな残酷さがある。
「私を離さないで」では特にその描写が淡々としていて、恐らくは設定自体が異質というか仮想世界(とも言い切れないが)であるが故だと思うが、感傷の部分はほぼ読者任せであり、映画化される前から頭の中で、その繊細な鉛筆画の様な描写によって映像が刻み込まれてしまっていた。
(余談ながら、近年日本でドラマ化された方も拝見したが、エピソードや展開にオリジナルが加えられており、それはそれで良かったけれど、オマージュ作品的な感はあった。)

読んでいる間は私もその文体通りの冷静さと観察者としての目線を保っていた。
読み終わってからも、「私を離さないで」の世界から抜け出せず、ぼんやりとタバコを吸ったのだけど。
私なら彼ら(クローン)の様な制度を利用してまで生きたいとは思えないなぁと、一つ煙をはいたのだけど、そこでふとそれじゃあ息子ならどうだろう?と思って、そう思ったと同時にむせび泣いた。
瀕死の病に倒れた息子を助ける最終手段が彼らなら、私はそれをNOと言えるだろうか?
分からなかった。今も分からない。
息子とおんなじ遺伝子を持ったクローンが居たとして、拒否出来るほど私は清廉だろうかと。
愚かなり、と思った。
なんて人間とは愚かで哀しい生きものなんだろうかと思いながら、この伏線を小説の初めからイシグロ氏に張られていたのだろうと思って、やっぱりすごいと思って、複数の思いが同時に込み上げると人はやっぱり泣くか笑うかなのだと思う。

これと同じ体験をしたのが、川上弘美さんの「水声」だった。
端的に言ってしまえば一つの家族のお話なのだけれども、母と娘、母と息子、父と子供達、遺伝上の父と子供達とか多角的な方向からの愛情やらなんやらが絡み合っていて、複雑すぎて不思議な形とバランスで成り立っている様な物語だ。

主人公の女性は実の弟を愛するのだけれど、川上弘美さんが書くので全然ドロドロ感はないんだけど、無い所が業が深い感じがして、少し辛い。
でも業なんてものは日常に紛れてしまえばそんなものだろう。

最終的に二人で暮らすようになる訳だけれど、最後の方で、
「いつもわたしと陵は裁かれている。わたしたちを知るすべての人々に。けれど、真にわたしたちを裁いてくれる者など、ほんとうはどこにも存在しない。」
(『水声』より抜粋)
この文章を読んだ時、「私を離さないで」を読んだ時と同じく嗚咽をもらした。

川上弘美さんもイシグロ氏と同じく、派手な感情描写は無い。
一つのちょっとワケありな家族の顛末を淡々と、何事にも振り分けず進めている。
本質的にイシグロ氏によって張られた伏線と、川上弘美さんによって押されたボタンは同じ所を指している気がするのだ。

人は弱く哀しい生きものである、と言うこと。
でもそれを忘れると人ですら無くなってしまうと言うこと。

自分のむせび泣きのせいで両者の作家さんには何の意図もないのだけれど、私の中で「私を離さないで」と「水声」は姉と妹の様なつながりのあるものになってしまった。

出来るなら私は最期まで、人でいたい。


何もないあなたと 何もないわたし

  • 2017.10.15 Sunday
  • 16:12
「オトトキ」のタイトルが発表された時は、なんだかんだとモヤモヤしたけれど、結局楽しみになっている今日この頃。
釜山国際映画祭のレッドカーペットも、もうちょっとギラギラしたロックスター感出してくんのかと思ったら、4人とも、ていうか吉井さんとヒーセかな笑、なんか柔らかくて嬉しそうで可愛かったな笑。
菊地ブラザーズは割とピシッとしてたけど。
まあもうあれなんですよね、割と昨年の祝祭ツアーを老体とお財布に鞭打って少ないながらも追いかけたせいか、割と私の中でのイエローモンキーに対する後悔というか、熾火みたいな思いがバーンと弾けて花火になったみたいな所があって。
だからスッキリもういいよ、って事ではなくて、ある種吉井さんの言葉を借りれば成仏したような気もしてて。
イエローモンキーだけじゃなくて、あの頃の時代とか若かった自分とか、一切合切含めて昇華したような感覚が、ある。

なんかすごくきれいなんですよね、今の4人から出る空気感が。
あのNAIを作った時、SICKSのレコーディングをしていた時のいい空気を閉じ込めたような曲とかなんとか、そんな事を吉井さんのが言っていたけど、NAIから感じるものと今の空気感が似ているなあ、なんて思ったりする。

盤石な感じではないんだけどね笑
むしろ本当に儚くて、モノクロのフィルム映画みたいな切ない感じなんだけど。
音はあんなに力強いのに。

つまるところ前からそうだけど、でも更にもう色々極まってみんな生きててくれりゃあ良い、みたいなとこまで来てしまって。
こんな曲ヤダとかあんな曲が良いとか、パーマまたかけたんかとか、なんで英二だけ名前飛ばされたんだとか、アルバムなるべく早めにとか、どーでも良いけどエマさんはやっぱ働きすぎだとか、でもエマウブウエノとかどんだけ吉川さん私と趣味合うんとか、思ったりはしてもでももう生きてて4人でなんか楽しそうにしてはる、と言う事実だけでもう全てだと思うし、それを時々公開してくれる、しかもハイクオリティなライブ付きで。
(なんか違う)
もう個人的にはそれで良いなあと。
期待と言う名の押し付けを、愛という名の元に行う事をしなくてよいってなんて素晴らしい。

本当素晴らしい再会にしてくれたイエローモンキーのメンバーとTYMSプロジェクトの皆さんに感謝します。
また「オトトキ」見て文句言ったらごめんなさい。


オールドガールは泣いて走る

  • 2017.10.03 Tuesday
  • 22:02
渡會さんの新譜「After Fork in the Road」、無事フラゲ完了、後拝聴。

このフラゲって習慣は一体なんなのだろう。
子供を産む前までは特になかった様な気がするんだけども。
ようやく音楽を聴く時間を取れるようになったのが幼稚園に入ってからだったから、その数年の間に浸透したんでしょうなあ。
もうフラゲ日が発売日でいいやん、て思っちゃうんだけどね。なんか業界のご事情でもあるんでしょうかね。知らんけど。

ところで今3周目なのだけども、これはもう。
全 編 切 な い。
1曲ごとに切ないの色がひらひらと変わるんだけども、でもとにかく切 な い。
どうしてくれよう。本当にもう。
特に5曲目の「Old School」、6曲目の「Weather Report」の流れが。
オールドもオールドなオールドガールはもし今10代の身体に戻れたなら、裸足で涙を零しながら走り出したいくらいだ。
「Old School」は懐かしさとかわいさと切なさが入り混じって、じわりと涙が出そうにはなるんだけど、どこか笑顔でいたくなるような。
だけどもこの「Weather Report」は。
夏のライブでアコースティックで聴いた時と芯の所は同じ感覚を覚えたんだけれど、感性という器官があるならば強く握られたように痛みに近いくらいの切なさがある。
久しぶりに固まったまま頭から終わりまで曲を聴いた気がする。
あんまり切ないんで、誰かに取りすがって子供のように泣きたくなる程だ。
なんだよ、もう。
通勤時のお供にしようと思ってたのに。これじゃ切なすぎて朝から泣きそうになるし。

多分「Weather Report」は今現代を生きる人の真実の、すごく真ん中の、核の部分に迫りすぎてるように思う。
歌詞もあるけど、それよりもとにかく初めのアコースティックギターの音色から既に空気感が違う。
二人の個が暖め合う幸福とその儚さとか、伝えられる世界の手に負えない混沌さとか、それを個に還元する事の覆せない不可能とか、生きているだけで千々に切れそうな感覚とか。
久しぶりだ。こんなことを歌わないでくれと思うのは。
とても良い意味で。

いや、全編本当に良い曲ばっかりだけれど、この「Weather Report」だけでも1,600円(税別)の価値が、いやもっともっとある。

前から感じてはいたけれど、渡會将士というボーカリストは歌が上手いのはもちろんなんだけど、声の演技力とでも言えば良いのか、声単体で伝えてくる感情の量や色が多量で多彩だ。
たくさんの色が目の前を通り過ぎるみたいに。

前回の「マスターオブライフ」はタイトル通り日常の中で鳴るのに非常に相応しく、聴くものの生活を優しく彩った。
対象に対して適度な距離をとった歌が多かったと言うか。
でも今作はもっと視点が内側というか、渡會さんの視点をこちらも一緒に見ているような感じ。
赤裸々とは違う、でもそこにある物が正しい大きさで見えるような、思い込みで小さく見えたりバカに大きく見えたりしない感じ。

あー、あかん。
今また「Weather Report」。暫く家でしか聴けないわぁ。また泣きそうになってるし。(いや、実際泣いてる。)
こんなに生きるという事を切なく、美しく歌わないでくれよ。

でも、ありがとう。

…ずっと思ってたんだけど。
渡會さんて、歌詞でよくcall my nameとか俺の名を呼んでみろとか、名前を呼ぶ声でとかあるけど、名前を呼ばれる事にやたらとこだわりがあるんだなあと。
自分が自分である事を他者から呼ばれる事で感じたいのか。なんなのか。
ま、わからないけど。

これやばいわ…もう一回生で、今度はトリオ編成だし、音源に近いよね…。
ライブハウスの暗闇ならまだしも、仙台の会場あのラウンジだしなぁ…。
泣かないように気をつけなければ…。

ほんと、人の才能ってすごいな、と思えた、めっきり秋めいてきた仙台で、一人思う。
ありがとう、良い夜になりました。


あくまでも噂なの

  • 2017.10.01 Sunday
  • 01:02
先日放送されたとんねるずの特番で、往年の名キャラクターである保毛尾田保毛男が登場した。

私もその番組を見ていて思わず懐かしー、と頬を緩ませた者の一人である。
しかしながら、翌日?当日からかな、LGBT団体の方々から差別的だとクレームが入ったとの事だった。
うーん、と首を傾げざるを得ない。

私は人のセクシャリティに対して何ら興味はない。
と言うより、セクシャリティ以外の事でもその人個人の、パーソナルな領域の事について他人がとやかく言う権利など、そもそも無いと思っている。
しかるにその人のセクシャリティがどうであろうと私の関知する所では無いので、良いも悪いもあるものではない。
みんな好きに、好きなものを好きになったら良い。

勿論そう言う人間ばかりではないので、実際LGBTの方々が受けたと感じた差別的な体験や傷については申し訳ないが想像の域を出ない。
だからこそ今回の保毛尾田保毛男についても、瞬間的に嫌悪感を抱いた人がいるのも理解は出来る。

私はいわゆるアラフォーと呼ばれる世代で、とんねるずの最盛期であろうと思われる90年代に散々彼らの番組やコントに触れてきた世代だ。
勿論保毛田保毛男もリアルタイムで見ていた。
初めは教室に良くある風景(だったかな?)の中で出てきた教師役で、ウケが良かったのだろう、その後保毛男メインのコントがシリーズで続いたと記憶している。

保毛尾田保毛男が差別的だとは私は感じた事がない。
当時小学生で性に対してほぼフラットであった私が見ていて、同性愛の人って気持ち悪いなあとか、変だなあとかは感じていなかった。
なぜなら保毛尾田保毛男は石橋貴明氏が演じてキャラクターの中でも、良識を備えたジェントルマンであったからだ。
むしろあのコントの中でアブノーマルだったのは姉役の故・岸田今日子さんの方で、良識的な保毛男が一方的に翻弄されるという図式だったと記憶している。
(手元に資料があるわけではないのでね、あくまでも記憶ですけど。)

大きな体の石橋貴明氏が小柄で華奢な岸田今日子さんに、あの怜悧で魅惑的な声によって攻められるという構図が面白かったのだと思う。
コント55号の博士が助手にやり込められる図式と似たものではなかろうか。

ともかくわたしが見ていて、同性愛者の方を嘲笑の的にしていると感じたことは無かったのは確かだ。
保毛男さん良い人、と思って見ていた。
そら、名前はアレだけど、コントだもの。
第一とんねるずというコンビ自体が、まずもって大衆に迎合して受けてきた人達ではないのだ。
今で言うカンニング竹山さんみたいなキレ芸ではなくて、若かりし頃の石橋貴明氏は本当に怖かったし。
若い頃のとんねるずは瞬間湯沸かし器どころか瞬間ダイナマイトみたいな石橋貴明氏の側で、人の良さそうな笑顔を浮かべながらもっと酷いことをする木梨憲武氏、というイメージだった。
確かに破壊的ではあった。
でも卑怯じゃなかった。だから面白かったのだ。

石橋貴明氏は保毛男を、同性愛というものを貶めようと思うなら、もっと酷いキャラクターにしたと思う。
より性的に、より露悪的に作る事も出来たと思うが、先にも書いたように保毛男は良識的でジェントルマンでお姉さん思いのとても良い人だ。
どうしてそれを差別的だと言うのか、私にはちょっと分からない。

そもそも人のセクシャリティって危ういものじゃないかな、と私は思っていて。
10代後半の頃は割と悩んだりした。
本当に私は男の人が好きなのかな、とか。
割とノーマルな人の中にも居ると思いますよ。
女の子の肉体に興味があるわけではないけど、話していて相互理解が本当に働くのはやっぱり同性だしなあ、とか。
でもどこかで男性とそうありたいと思ってしまうけど、それはやっぱりあり得ないのかとか、考えたりして。
ぶっちゃけ今も答えは分からないですけど。
同性に対して恋心に近い憧れを抱いたりするのは、男性でも女性でもある事だと思うし。
少なからずメンタルでは両性愛の人とかは潜在顕在問わず割と居ると思っている。

でもあのLGBTの方のセクシャリティって凄く複雑な分類があって、勉強不足で申し訳ないけどちょっと当事者でないと覚えきれない所もあって。
そして何となくですけど、そう言う枠の中にご自分達で自身を押し込めてる様な印象もちょっとある。
初めは違うのかもしれないけど、セクシャリティに分類がありすぎるのもなんかおかしな気もして。

基本的には人の心って揺らぐものだから。
私だって基本的にはノーマルだけど、もしかして出会う人の中で唯一その女性だけは身も心も欲しいと思う事もあるかもしれなくて。
でもそれは同性の中でたった一人の事例なのに、それはバイだとか言われちゃう訳じゃないですか。
そんな分類細かく必要なのかなって。

もっと言っちゃうと人の心の傷やトラウマってもう無数に星の数ほど存在するわけですよね。
もしかしたら100人中99人が良いものとして認識しているものを、残りのたった一人にしたら物凄いトラウマな事だったりする可能性もあるわけで。
だから我慢しろって事ではなくて、ある程度自分で避けたりする事も必要な事ではないかと。
だって当事者以外の99人にとっては良きものなわけですから、お互いがお互いの幸福や傷に押し付け合うのではなくて、労わりあうって言うんですかね?思いやりの方がうまく行く気がしますけど。

今回の保毛男さんについては嫌だと感じた人が抗議をしたのでしょうが、私はそれって個人的感覚でしかないのじゃないかと思います。
だってあの番組内で保毛男さんが差別的な表現をしたとは思えないので。
まあ、名前って言われるとすみませんって感じですけど、もうその名前すら別に単なる個人名みたいな認識なので。

むしろあれですよ、石橋貴明氏のやったキャラクターの中なら宜保タカ子の方がよっぽどえげつな…
なんせ実在の人物ですからね、宜保さん。ええ。

私は石橋貴明氏ってパブリックイメージだとこう、荒くれ者と言うか、粗暴なイメージが強いのかもしれませんが、本来かなり繊細な方だとお見受けします。
良識的で優しい保毛男さんは、もしかすると石橋貴明氏の普段見せない核の部分に近いのじゃないかな、などと今回の騒動を受けて思いました。
多分抗議が来る事も想定してたんじゃないですかね、番組側も。

何となく時代が変わったとか言ってる人が多くるみたいだけど、変わったのではなくてそれが差別なのかそうでないのか見分ける能力が無くなった人が増えたのではないかと。
そんな気にもなったりした。
本当の差別はこう言う事ではないと思う。
もっとぬるくてもっと緩やかで、そしてもっと汚いやり方でやって来るのが本当の差別だと思う。


After Fork in the Road

  • 2017.09.25 Monday
  • 00:50
Fork in the Road=分岐点

昔から何かの分岐点に立たされた時、Aを選ぶかBを選ぶかで、大きく幸不幸が分かれるような古典や作品が多くある。
でも40年弱生きてきて、人生そう簡単なもんでもないよなぁ、と思う。
個人的な主義として、後悔はしないのではなく、しないようにするもんだと思っている。
後悔している、と言って良いのはもう絶対に取り戻せない物に対してのみ使いたいなあと。
ま、そうは言っても簡単なことでは無いけれど。

渡會さんのミニアルバム、After Fork in the Roadの曲がラジオで解禁になると知って、radicoさんで聞いてみました。
技術の進歩ってすごいわー。
昔なら聞けない地域のfmまで聞けちゃうんだもんねー。
などとラジカセのアンテナをどこに立てたらNack5の音良くなるかな、なんてやってた青春時代を思い出したり。
なつかすい…。

かかったのは表題曲の「After Fork in the Road」。
清々しくてキラキラしてて、風が気持ち良いけれど、ちょっとさみしい。
キラキラしてるのは海って感じで、そんなこと一度もやったことないけど、オープンカーで人気の少ない海岸線を走りながら聞いちゃったら、ものすっごい気持ち良さそうなそんな曲だった。

いわゆるハッピー感とは違う、充足感と言うのに近いのだろうか。
誰かに宛てた私信みたいな、最近こっちはまあまあ元気でやってるけど、そっちはどう?って言われてるような、海辺の街から届いた手紙みたいな。
うーん、こっちはどうかな。疲労感と常に同居してる感じ?仕方ないけどね、生きるってそう言う所もあるでしょ?
なかなか長い事こんな感じだからさ、でもこうやって手紙もらえて嬉しいよ、ありがとう、とでもお返事したくなるようなね。

ふと、この曲を聞いた時、バンドのフロントマンがソロになった時感じる、なんて言うんだろう、リアリティ?うーん、違うな、なんかヒーローがマスク取って素顔晒した感…かな笑
うまく言えないけどさ、あの、YOSHI LOVINSONを初めて聴いた時を思い出して。

私は初め吉井さんのソロを聞いた時、あ、やっと会えたな、みたいな気持ちになったんだけど。
あのTHE YELLOW MONKEYと言う巨大なバンドの中で薄々感じていたものが、ダビデ像みたいに剥き出しになって見えたなぁ、みたいに。
曲の中に本人の全てが現れている訳ではないだろうし、別に詩の意味をまんまその人たちと思っているなんて、そんな悲しい事はもちろんしないけど、曲達のイメージが重なって一つの顔になるような、そんな自画像が見えたような気になったんである。

渡會さんの場合はリアルタイムでFoZZtoneを知ってた訳ではないけれど、何も纏わない素の、一人の人としての思いがすーっとまっすぐ伸びる感じで、とても受け取りやすい。
ある種バンドという要塞の中で見えなかった部分が、ソロになると如実に見える人と、バンドのカラーそのまんまやんって人と居ますけどね。
やはりソロになるならバンドと違うとこ見せてくれよと、私は思ってしまう方だけど。
ただ、そう思っておきながら、吉井和哉のソロでイエローモンキー復活前の1、2年はちょっと聞きづらいなぁと、正直思ったりもした。
なんつーか、どんどんと吉井和哉と言う個人の輪郭がくっきりしてきて、し過ぎて、アーティストとして対峙する時の距離感が難しくなっちゃって。
すいませんね、ワガママで。
その性別や環境に左右されない感受性ってあると思うんですけど、なんかそうじゃない所が濃くなってきた…?ような気がしたんですよねー。

After Fork in the Roadを聞いた時に、その同じような私信感を感じたんだけど、そこには気持ちいい開放感と時間の流れを感じただけで、違和感とかは無かった。
うーん、書きながら思ったけれど、やっぱりそのミュージシャンをいつ知ったか、どのように見てるかによるんですかね〜。

吉井和哉やイエローモンキーは私の10代からの憧れであり、やっぱりロックスターだけれど、渡會さんは近年になって知って、世代も近いし、同時代を生きる才能あるミュージシャンだと言う認識だからだろうか。
うーん、でも、なんか違う気もする。
しばらく頭の片隅に置いておこう。

ともあれ良い曲がまた発売されるのは嬉しい事だ。
そんなことを楽しみに何とか生きてる。
あと100年もしないうちに、人類は滅亡に向かうとホーキング博士は言う。
そうなのかもしれない。
だから火星への移住計画をって言っているようだけど、本当にそれで良いのかね。
本当にもう間に合わないのかね。
余りに無責任な気もするんだけどね、それ。
多分私は火星へは行かれないし、行く気もないけど。
火星には何にもないらしい、水がないらしいし、ビールしかないって言うから。私は飲めないからさ、やっぱり火星には行かないわ笑


音楽は魔法か否か

  • 2017.09.14 Thursday
  • 22:08
なんだかベイキャンプと言うフェスで揉め事があったようで。

まあ、なんと言うか、ほーん、みたいな感想しか出ないんだけども。
当事者の大森靖子さんと言うシンガーの事も、Yogee New Wave?さんだったかな、も存じ上げなかったからね、火事場見物みたいな感じになっちゃいますけどね。

「音楽は魔法ではない」って歌い上げた直後に、「音楽は魔法だよ」って言われたらまあカチーンと来るのは分かるよね笑
でもなんつーか、別に揉めるなとかケンカすんなとかは思わないし、むしろステージに上がっちゃってやりあっちゃっても良かったんじゃなーい、などと思うけどさ。
SNSなんかで責めるよりその場で言い合った方がね、野球の乱闘みたいでまた趣があったりなかったり。(どっち)

事態の収拾は何だかYogeeなんたらさんの方が頭を下げたみたいだけど。
別に謝るこたないと個人的には思うんだけどね。
彼らが本当に音楽は魔法だと思っているなら。
まあきっと早く沈静化させるように周囲の人達からも言われただろうし。
でもそんくらいで頭下げるなら初めから言うなし、と思わないでもない。

事の顛末自体はそんなに興味は無いんだけど、音楽は魔法か否かと言う答えの出ない、又は無数に存在するような疑義を呈したのは面白いなと思った。

私個人としては、それはその当事者が音楽と言うものを自分の内側にどれだけ引き込んでいるか、と言う点にかかるような気がする。 大森さんの「音楽は魔法ではない」という言葉は、音楽と言うものと自意識が密接に絡み合い、境目が分からなくなっているからこそ出て来る言葉だと思う。
自分の存在は魔法ではないしね、現実だし、痛みを伴うしね。
きっと真実に迫るだろう、でも端的に言えば重い。
その痛みや重さで救われる人も居れば、気が滅入る人もいるだろう。

対して「音楽は魔法だ」と言ったYogeeなんたらさんは、恐らく好きなもの、素敵なものとして音楽を愛し、持ち運び、広めているんだろう。
大森さんよりも音楽を客観視している、と言えば良いか。
距離感て大事ですよね、なんでも。
近づき過ぎると息苦しい時とかあるしね、心地よい範囲ってあるしね。
でもそれだと他の何かと似ちゃうんだよね。

ミュージシャンの言う音楽は魔法か否かと、聴衆のそれはまた意味合いが違ってくるだろう。
私としては「音楽は魔法、になる時もある」が一番しっくりくるが。
時折、初めてその曲を聴いて、好きだとか感情が動く前に、涙が勝手に出る事があったりする。
会ったことも話したこともない、どこかの誰かと言うのに近い人が作って、CDにして、何ヶ月も経ってから届いたその曲で、知らない街の知らない誰かが予期せぬ涙を流したら、それって魔法って言っても良いと、私は思うんだけども。

板前さんだって、大工さんだって、バスの運転手さんだって、もっと言えば働いてる大人の人みんな、立場を変えて見れば魔法使ってるみたいじゃないか。
むしろ大人は子供にとっての魔法使いでありたいじゃないか。

音楽は魔法だよってそんなに悪い言葉ではないと思うよ。
それだけの覚悟をもってここに立つよって意識ならさ。

…まあフェスってこう言う危険性も孕んでますよね。
食べ合わせの悪いものを一緒のお皿に乗せちゃった、みたいなね。

後やっぱ、喧嘩は面と向かってした方が良いよね。

輪郭、というもの

  • 2017.08.15 Tuesday
  • 06:12
朝も早くから酔狂ではあるが、今私は「私」と言うものを取り戻す作業を始めている。

私は極めて他者優先的に生きてきた、様に思う。
それもあからさまに自己犠牲を振る舞うのではなく、ごく自然にそうなる様に他者も自分をも騙しながら生きてきた気がする。

母を失った時諸々感ずる事もあったが、後からボディーブローの様に効いてきたのは母の中での私の存在の希薄さであった。
遺品の中から出てきた、日記ともつかない覚書のようなもの。
母の意識は祖父と父(の幻影、とでも呼ぶべきか、甚だ本来の姿とはかけ離れたものだったが)へ向けられており、私への記述はほぼ無かった。

少なくとも私が10代後半から母が没するまでの間、母から見れば足りなかったのかもしれないが、身近な人間の中でその愛憎を受け止め続けたのは私だと思っていた。
でもそうではなかったのだ。
母にとって私の忠誠はあって然るべきものであったのだろう。
空気のようなもの、とでも言えば良いか。
私にはそれが後から結構効いてきた。

息子についてもそうだ。
なぜ人は愛されると、それを当たり前だと思うのだろうか。
私はいつも不思議である。
なぜその愛が永久に自分に注がれると思えるのか、そこが根本的に分からない。
それともありのままで愛される事を知っている人はそう陥りやすいのだろうか。
それでも息子は息子なので、その出現に一番責務があるのは私であり、それを社会的に全うする覚悟は勿論ある。
しかしながら、あまりにも尊大な態度を取られると、親とは言え人間である。
どんなに馬鹿にされようと無償の愛を注ぎますよとは思えないし、個人的にはする必要はないと思う。
つまりはそうした親の愛を拒絶出来るまでには育ったと言う事なのだから。

とにかく私は20年以上振りに「個」としての自分をもう一度手にしなくては、ここから先生きる道が見えてこないと思っている。

と、言う事でお盆休みの間、とにかく自分の好きなことだけしてみた。(結局そんなとこからしか始められないのが悲しいが)
延々ツムツムをしてみたり、習い事を始めてみたり、寝たい時に寝たり、読みたい本を読んだりとか、書いてみるとただの休日みたいだけれども、他者の心を気にせずに何かすると言うのは久方ぶりなので、何ともこうふわっとした気分になる。

今回読んだのは、藤本ひとみさんの「マリー・アントワネットの娘」と、松尾スズキさんの「東京の夫婦」。
全く繋がりのない内容な筈なのに、不思議な所でリンクしていた。

マリー・アントワネットの娘とは即ちマリー・テレーズの事であるけれど、母のアントワネットに比して致し方ないけれども記述やエピソードが少ないので、パッと手に取った。
松尾スズキさんの方は雑誌の連載をまとめたもので、再婚をきっかけに東京で暮らす夫婦についてのエッセイだ。

取り上げる内容も全く異なるのに、二冊とも子供について言及する箇所があった。
松尾スズキさんは自分は子供は持たない、持ってはいけないタイプの人間であるという信念のもと、前妻さんとの間にもお子さんは無く、二度目の奥様(20歳年下!!)にも予めその旨を伝え、納得の上入籍をされたとのこと。
実際の所私だって子供を持って良い人間だったかどうかなど、皆目分からない。
寧ろどのようであれば、その資格があるのかなど突き詰めれば誰にも分からないと思う。
親ではあるけれど、私は元来子供は苦手だし。今ではつい反射的に赤ん坊を見ればデレてしまうけれど、幼稚園に入るくらいになったらもうアレだ。
個性がハッキリし出す頃には、うわーこの子ニガテーみたいなのはもうある。
つまり親になったからとて、そんなに変わるものでも無いと思う。
松尾さんが嫌なのは子供そのものではなくて、親になると言う事なんではなかろうか。
まあ、つまりは何か得体の知れないものを背負うと言うか。
勝手な推測でごめんなさい、松尾さん。

そして藤本ひとみさんの方は、マリー・テレーズの生い立ちを語る中で、ご自身がお二人の娘さんの母親であること、その性格や性質には環境や育て方もあるけれど、遺伝と言うものを感じずにはいられない、と言うことが書かれていた。
これには私も頷くところがあって。
うちの息子は生まれてから記憶のないうちにしか自分の父親に会っていない。
別に禁止してる訳でもなんでもないのだが、会いに来ないので。あはは。
なのにも関わらず、似てくるのである。
顔ならまだしも性質までもが。
勿論育て方云々もあるとは思うのだが、まるっきり違う環境に育った元夫と息子が、同じ様な性質を見せる事に驚く。
また遺伝子と言うもの強さをまざまざと見せつけられている様な気がしてならない。

また藤本さんは別項で、子供が有った方が良いか否かについても述べている。
どちらでも良し、と。
お子さん達が居たから豊かになった部分もあるけれど、居たからこそ失われたり傷ついた部分もあり、結果イーブンだ、と言う様な事を書かれている。
そうだよなあ、と思う。
子供がいたから分かること。
子供がいないから出来ること。
コインの表裏みたいなものなのかもしれないなと思う。
どっちだから幸せ、ではなく、どっちの道にも幸不幸が転がっていて、それを味わって生きる他無いんだろう。

松尾さんのエッセイには他にも色々なエピソードがあるが、まあこんなにも男性というものは揺れているものなのか、と言うか笑
高校生男子と変わりないな、とつい思ってしまって。
20歳お若い奥様の溌剌さと逞しさに比べ、松尾さんのセンシティブさが際立つ。
勿論お仕事ではここで敢えて書く必要の無いほどの才能と実績をお持ちなのだけど。
…改めて男の人って変わんないだな、って思っちゃったりしました。

マリー・アントワネットの娘を書かれた頃の藤本ひとみさんが49才。
東京の夫婦の書き始めの松尾スズキさんが51才。
ほぼ同年齢で書かれた本でありながら、藤本ひとみさんの確固たる実存感と、松尾スズキさんの水彩画の様な儚さ。

比べてどちらがどうと言う事ではなく、初めてと言う訳では無いけれど、男女の輪郭の違いと言うものについて、なんとなく感じ入ったのだった。


良いも悪いもないけれど

  • 2017.08.10 Thursday
  • 01:19
うーん、ま、なんつーか。良いんだけどさ。うーん。


THE YELLOW MONKEY、11月にドキュメンタリー映画『オトトキ』公開。キャッチコピーは「4Pしようぜ。」


…なんかこう…微妙な…。
いや、まず、なんだろうな、えーと、どこ向け?誰をターゲットにこのコピーなんだろうかと。
私もそこそこヘビーなファンだと思ってるし、エロいからヤダとかそんな話ではないし、そんなの嫌ならまずイエローモンキーのファンやってられないしね。
だからその、ぶっちゃけダサいよね。
でももしかしてそのダサさも狙ってんのかなとか、本編観たらそれがダサいでは無くて膝ポンなのかなとかさ、思ったりはするよ。
でもそれってやっぱある程度ズブズブのファンだからじゃないすか。
フツーの一般の方はいきなり4P、しかもおっちゃん4人でって引くじゃないですか?
その音楽において、という事だと分かっていても多分キモって思う人も多いと思うんですよね。
ん?て事はアレなのかな、やっぱりちょっと引かせたいのかな、とかね。深読みもしますけど。

上映の劇場の数や公開日も一日と言う事からして、一般の人へ見せたいと言うよりも、基本的にはファン向け(まあバンドに纏わるドキュメンタリーなど基本ファンしか興味も無いだろうけど)なのだろうし、イエローモンキーと言うバンドがどういうバンドか予め知っている人を念頭に置いてるのかもしれないけど。

でもそれだとしたらちょっとズレてる気がするんですよねえ。
パンドラのコピーもビジュアルもドンズバだったから余計に感じてしまうのかもしれないが。

あと4Pは置いとくとして、オトトキと言うタイトルも…うーん…。
単純に考えて「音」と「時」を連想させるけど、まさかそのまんまって事は…(怖)
フツーに、と言うか特報でやってたShow must go onで良かったやん、タイトル。てかそうなると思ってたわ。
それで何よりなんか、こうやってファンがうーんうーんってやってダサくない?とか言ってるのを、吉井さんがしてやったりとか思ってて、公開されたらなるほどー!とか思っちゃったら悔しいよな、とか笑。
でもオトトキは…ちょっと…笑
多分公開されてもちょっと…って思うと思う。
何か意味があるのかな?と思わせるには半端なフックだよなぁ…。
もういっそのことタイトルをヒエログリフとか象形文字とかにすれば良かったんじゃ、などと思ったりして。うはは。

まあ4人がこれで良いんじゃないのーと了承したのか、まるっと丸投げなのか私には知る由もないけども、このタイトルとかコピー見てたら、あーこの人らは日本のスタンダードになる気は無いんやなーと思った。
もっとこう、格好のつく感じで持っていかないんだ、みたいな笑
絶対色々言われるだろな、と言うことも織り込み済みでの事なんだろうなと思う。

…でもちょっとダサいよ笑
でもダサいのに最終的にかっこいいなと思わされる、と思うし、そう願う笑。

昨年末のメカラウロコで言ってたエマさんの言葉がふと。
今年以降の活動でどう見せていくかが大事、みたいな事。
それが4Pかどうかは知らないが笑、なんと無くそう言う事もあるのかなあと。

90年代にメインストリームに異端を持ち込んで、そのクオリティとセールスとを両立させた人達だから。
表裏とか境界線の上とか、そんな感じの所を歩いてほしいな、とか勝手に思うよ。

風の歌を聴けよ

  • 2017.07.17 Monday
  • 23:23
最近ものすっごく遅まきながら、brainchild's の存在意義を一人噛み締めている。
やっぱりエマさん、菊地英昭と言う人の大きさと言うか。プレイヤーとしては言うに及ばずだけれど、そのもっと深い所での懐の大きさって言うのかな。
イエローモンキーだと、どうしてもそれぞれが巨頭感があるのでほんわかした部分だけが目立つけれども、ブレチャでのエマさんの采配や選択を見るに、年下のミュージシャンがみんなしてデレる意味が分かると言うか。

そして意図的なのか偶然なのかは知らないが、帰路に立ったミュージシャンに対してふと手を差し伸べる様なオファーをしているような気がする。

確かKeitaくんは音楽やめようかな、だっかやめて会社勤めをし始めたかなんかの時にエマさんがオファーしたとかだったような。
7期のワッチくんはバンドを休止して一人でアメリカに行ってる最中にその連絡が来たとか。
オファーからしてドラマチックやないですか。

レコーディングの感じとか見てても、みんな絶対緊張するし、なんか言われたら絶対ハイって言わざるを得ない環境なのに、あの独特のふんわり感でいつの間にかみんな笑ってて。
人のポテンシャルを引き出すのがこんなに上手い人だとは、思ってなかったですよね。
なんか前期イエローモンキーの時はもっと自由人なイメージがあったから。

7期のブレチャを昨年聞いた時、ボーカルのワッチくんに度肝を抜かれた。
一聴した時は今時珍しい程癖のあるボーカリストだなぁと思った。
歌い回しも言葉遊びもかなり熟練したもので、下手をすると好き嫌いが大きく分かれる様な歌い方だと思ったが、非常にスレスレのラインでそこを回避していて、しかも声質が素敵なので、そこまで計算に入れてのあの歌い方ならすっごい人やんと思っていた。

申し訳ない事にワッチくんの休止中のバンドFoZZtoneについては、雑誌とかで名前を見かけた様な…と言う位の知識しかなく、ブレチャで聞くまで全く前情報が無かったのでビックリした。
ビックリしたし、渡會将士と言う人をもっと早く知りたかったなあと言う思いと同時に、こんな才能が一部でしか取り沙汰されないと言う日本の音楽業界は改めてク◯だなぁと思った。
ま、そんな事言ったらいつの世の中でもク◯じゃない時期なんてほぼ無いんだけれども。
だけれども、それにしても酷いと思う。

ざっとFoZZtoneの事を調べてみて、なるほど、と思う。
そして色々あったワッチくんに取って、憧れのエマさんからのオファーと言うチャンスと吉井さんからの最大の賛辞は多少なりとも傷を癒す効果はあったのではないだろうか。
いいよなぁ、私も吉井さんから褒められたい。(なにで)

ソロアルバムのマスターオブライフを聞いてまたビックリだ。
この人の引出し多すぎなーと思う。
そして微妙にあれ?私より年下よね?と思う様な、かつての名曲へのオマージュがあったり。
割と身近な、本当にあった出来事を歌詞にしている様だけれども、これは中々に難しいのであって。
おかしみと哀しみとを両立させ、時々ギュっとなる様な真実をそこに混ぜ込む。
タイトル曲の「マスターオブライフ」で、
『人の気遣いや声にならない痛みキャッチしてしまう』
明るい鼻唄みたいなノリなのに、サラッとそんな事歌うんで、おばさんビックリ。
そして「新千歳空想」の千歳を生きるならと言う発想は新鮮だった。
絶対やだもん。
千歳生きるって拷問じゃん。
きっとワッチくんはまだ自身の老化を感じていないに違いない笑
まあ万能細胞と歌ってるから、(元気に)千歳を生きるなら、なんだろうけどね。
後FoZZtoneの曲(全部聞いた訳じゃないが)に割とmoneyや金と言う単語が多くて、彼ら世代のミュージシャン達の窮状が透けて見えた。
宗清さんの「3枚(アルバムが)売れなきゃアウトです。」がしみて来た。それに比べてお前は…と言われた吉井さん笑
音楽ゆとり世代by吉井(さんスタッフ)であればFoZZtoneの状況も変わったのかもなあ…などと由無し事を思う。
それとバンドでもソロでも割と夢で会いたいとか、私が夢に出ますようにとかがあって、どんだけ夢で彼女に会いたいねんと。
分からなくないですけどね、なんか。
夢で会うとその人のイメージだけ抽出されるような感じがしてね。

そんなこんなでまた聞かなくてはいけないミュージシャンが増えたですよ。
ソロのライブもあるとの事で行ってみようとチケットを予約しました。
ええ、無駄にアグレッシブなのがおばさんなんです。

FoZZtoneのNO WAY NOWAY。
公式チャンネルに上がってるGO WAY GO WAYと繋がったMVを見た時、あれ、これなんか…と思ったらちょっとエレカシのコールアンドレスポンスのMVに似てるんだなー。
コールアンドレスポンスのが不吉だけど。
曲自体はガストロンジャーに似てるなと思ったけど。
意識して作ったんだろか。
ちょっと洗練されたガストロンジャーみたいな笑
何となくではあるが、確かにワッチくんの中にはミヤジの匂いもちょっとする。
どうでも良いけど、NO WAY NO WAYのMVで曲調が変わって何だか可愛いピクニックみたいなのから元の曲調に切り替わる時のワッチくんの顔良いですよね。
ああいう何しでかすんだか分からないような顔の人、減っちゃいましたよね〜。
でもまあ私あの、アール・デコの時代ってあんま好きじゃないんですよ。
画一化した感じが工業臭がすごいって言うか。
アールヌーヴォーの時代の方が好きで。
結局そう言う事なのかとは思います。
時代に合わなくても知るかと。好きなもんは好きだし、嫌なもんは嫌だ。


好きな音楽を鳴らしてくれる人達が居ることに感謝しよう。

Love On The Floor 2017 6月18日 昼公演

  • 2017.06.18 Sunday
  • 23:40
あまのじゃくなのって生涯治らないんだろうか。
いつもそうなんだけど、楽しみにしてる事の前程行きたくないような気がしてしまう。
もしかして何かで行けなかったりして、と思うといっその事行けない様にしてしまえと思うのか、自分でもよく分からないけれど。
ギリギリまで行きたい様な行きたくない様な、モゾモゾした心持ちになってしまっていつも困る。
…案の定今日も新幹線の発車3分前にホームに到着。
いつかはじめから出発までずっと楽しみにして出かけて見たいなあ…(笑)

いつも殆ど足を踏み入れる事の無いキラキラしたビル。
11階からの眺めは現実感が無い。もっと高い東京タワーからの眺めの方が現実感がある。街のせいかな。
1年ぶりのシアターオーブ。今日は去年よりは少しステージに近い。
ただ舞台そのものが大きく見えたのは距離のせいだけじゃないはずだ。
以下、公演内容に触れるためご注意下さい。


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