王者の帰還…!

  • 2018.07.01 Sunday
  • 18:21
いや、もうさっき知ってびっくりした。
びっくりし過ぎて変な声出ましたし。

その、ファン歴浅い私が言うのもアレなのですが、今年はオリンピックの後ゼロのキャスターも辞められて、アイスショーには出られておりますけども、ここ2、3年に比べて活動が緩やかだなあ、などと思っていて。
こちらもお猿のおじさん達との二足のワラジなもので、なかなか細かい動向などは追えずにいたので、全くの寝耳に水。

何となく、あぁもしかして、そろそろカンパニー的なものにがっつり取り組まれるのかしらん、そして数年後ジャーンと発表されたりするのかなあ、なんて思ってたりもした。

それが。
まさかの。
高橋大輔!! 現役復帰!!!!

なんかもう勝手に色々とまあ、私なんかが思っても詮無い事が浮かんだりもするけれども。
でも何より!大きな声で「ありがとう!!!!」と叫びたい!

ご本人はこれから、もしかしたら今までよりも過酷な選手生活になるかもしれないけれど、とにかく私は一体どんな演技を見せてくれるのかと今ワクワクしています。

何をどう言っても今は野暮でしかないね。
ものすごく芯の強い方だとは思っていたけど、私なんかが思う以上に彼はファイターだったんだな、と思った。
迷いを振り切られたのならば、存分に氷の上であの媚薬と言っても過言ではない、音楽との融合を見せて欲しい。
て言うか見せて下さい、お願いします!

本当に心からありがとうございます。
何を言わずともきっとご自身で実り多き再チャレンジになさると思いますが、幸多き道のりとなりますよう、陰ながら応援しております。

…あぁ、めっちゃ嬉しい…。



愛して欲しい

  • 2018.06.30 Saturday
  • 23:02
昔見た映画で、アメリカの映画だったけど、詳細は忘れてしまったが、長年同棲していた恋人同士で、女性の方があまり感情表現の長けた人ではなくクールなタイプで、不安を募らせた男性が本当に自分を愛してるのかあの手この手で引き出そうとする。
北風と太陽みたいなもので、そうすると女性の方は更に頑なになっていき、ベッドの中でさえ問い詰める彼氏にウンザリして、アイマスクと耳栓をして寝ようとする。
そうこうする内に彼女の心は別の人(女性)に移ってしまい、結局お別れしてしまう。
しかし新たな女性の恋人も件の彼氏と同じ様になっていき、彼女はまたアイマスクと耳栓をする羽目になるのだけど。

どうしても人は、自分が愛されているのかを確かめずにはいられないものらしい。

私はどちらかといえばアイマスク派なので、愛して愛してとアピールされると少々うんざりしてしまう。
愛してアピールには色んなものがあって、どストレートに表してくれればまだ良いものを、手を替え品を替えしてまるでアピールしてませんと言うタイプまで様々だ。

個人的に苦手なのは健気なタイプ。
自覚はなくて体や行動から滲み出るようなものだ。
それは外因的な環境から起こる事が多いと思う。なのでその人そのものに起因しているわけではないので、責める気は毛頭無いのだが、何かしらこちらの手落ちを責められているような気がして直視出来ない。
誰かがその人を心ゆくまで愛してあげて欲しいとは思う。
でも愛はその壺の底が分からない。底が抜けている場合すらある。
満ち足りるまで注げるか、穴を塞がなければならない場合もあろう。
どの道その人の、骨の髄まで付き合う覚悟がなかったら、おいそれとは関われない気もする。

そして取り分けウンザリするのは、アピールもせず、その自覚もなく、勝手に人の愛情を断りもせずふんだくっていく人達。
自分が人に愛されていると信じて疑わない人に多く見られる。
愛があることに慣れすぎて、まさか自分に愛が与えられないなどとは思っていないのだ。
もしくは私はこれだけやったから愛されるべきだ、というべき論の人もある。
何々なのだから私を受け入れるべきだ、と立場を利用する場合もある。

別に宗教家ぶるつもりはないが、皆が皆愛を与えてくれと喚き立てる人が多すぎる。
愛はそもそも与えられるものじゃないと、私は思う。
ギブアンドテイクみたいに分かりやすいものじゃない。

例えば同じ家に住んでいたりして、暮らしに纏わる雑事をお互いに分担したり、助け合ったりするのは、愛というより日常に必要な思いやりだ。
格別相手を愛しているからと言うわけではなく、単なる共同生活において必要な事である。
その思いやりすら持てないのはまず、もう一度暮らすという事を考えなくてはいけない。
(まあ、そう言う人は多いと思うけど)

でも愛には定義がない。
定義がないものだから、相手に求める事は不可能だ。
愛される、と言うのは万人に平等に与えられるものではない。
それだけ奇跡的な事なのだ。

私としてはもう少し世の中が愛する、と言うことに重心を置いてみたらどうかと思っている。
愛されたい、に重きを置くと人は際限がなくなる。愛ばかり貪り食うモンスターみたいになる。
でも愛するって意外と疲れるのだ。
そんなに際限なく愛を与えられる人は居ない。やっぱり人ですから。
もちろんそれが過剰になってはいけないが、愛されたいというのは放って置いても湧き出てくる食欲みたいなものなので、意識的に愛するにシフトした方が心のダイエットがうまくいくのじゃないのかな、などと。

与えても損になるものなど、この世には無い。
誰かの愛を貪り尽くす前に、愛する側の人が増えていくように、私は今日も愛する側の人であるようにと思う。

ゴミと生きる

  • 2018.06.30 Saturday
  • 18:01
毎日毎日暮らすだけで、片付けても片付けてもゴミは生まれる。
生きると言う事はゴミを産む事だと言っても過言ではない。
生ゴミ、紙ゴミ、プラスチック、果ては家電や家具など、消費社会において生まれる最大の資源はゴミだと思わざるを得ない。

今週、偏頭痛がひどくなり一日仕事を休んだ。
仕事はいい。私が休んでも代わりに働く人がいる。
でも家事は違う。
一日休んだだけで、ゴミが溜まる。洗濯物が溜まる。洗い物が溜まる。
たった一日で汚れが増える。

言っても私は決して綺麗好きですとは言えない。
いや、綺麗な部屋には住みたいのだけど、息子が小学生に上がったくらいからこっちが片付けるペースより、やつの汚しスキルの方が右肩上がりになってしまった。
たった2人しか住んでないのに、どなたも家には呼べない有様。
しかもここ数年は私の疲労度も年々上がり、なかなか大片付けに取り掛かるバイタリティが不足していて、全く悪循環である。

それでも生ゴミだけは溜めないように、洗い物だけは溜めないようにと気をつけてはいるが、たった一日なのに、なんでやろうとつい思う。

食べたり飲んだりする度に、ゴミは増える。
捨てても捨てても増えていく。
この社会の中で生きる、という事が少し虚しくなる瞬間。

でももう人間は野生には戻れないのであって。
なるたけゴミを出さないようにするしかないけれど、既存の社会構造で経済活動を続ける以上決して減る事は無いだろう。

パン屋さんで焼きたてのパンを自分の家から持参したバスケットに入れて帰ったり、肉屋さんや魚屋さんに持参したタッパーに詰めてもらったりしない限り、パック詰された商品を家に持ち帰るしかない。
でもそうするには色んなお店がやっている時間に買いに行けなくてはいけない。
皆が皆、朝から晩まで働いている世の中では到底無理だ。
深夜まで開いているスーパーや、コンビニはとても有り難いのも事実だし。

何のために生きているのかという所まで来てしまう。
もう少し自然に、生きる事は出来ないものか。
本当にここまで必要なのか。
卵のパックと肉のパックをゴミ袋に入れながら、抵抗できない流れの中で生きる事しか人にはできない時もあるのだよ、と自分に言い聞かせる。

間違えて生きているわけではない、と思いたいだけだけど。

悠久の時

  • 2018.06.23 Saturday
  • 23:18
映画『フジコ・ヘミングの時間』を観る。

この余りに数奇な人については今更多く語るまでも無い。
ただふと目にした映画の予告で、猫とピアノとアンティーク、私にとって心地良さそうなものしかなさそうだわ、と思って仕事帰りに足を伸ばして観に行った。

何より印象に残ったのは、ピアノの前でのフジコさんの存在感である。
あれだけ大きなフルサイズのグランドピアノの前に座って、ピアノ自体がもはや感じられないほどに、何か音を吸って増幅してでもいるかの様な感じがした。

勝手なイメージではあるけれど、一般的なピアニストの演奏の場合、ピアノという黒と白とで構成させれているシンプル且つ難解な問題に対し、どの様なアプローチで解答していくかと言うような、磨き込まれた解釈の美しさの様なものを感じる事が多い。
でもフジコさんの場合、あの年齢で現役のピアニストという事自体がまずもって異例だけれど、それ以上にピアノ自体への向き合い方が異質というか、独自すぎる様に見えた。
あれだけでかいグランドピアノを喰う、と言うか、決して暴力性を感じるわけでは無いのだけど、弾けば弾くほど増幅する彼女の存在感にピアノが飲み込まれていく様な感覚になった。

ラ・カンパネラはフジコさんの代名詞であるけれど、映画の中で昨日の私に一番心に入ってきたのはショパンの「別れの曲」だった。
あの超有名な曲だけれど、ショパンらしいとても美しく叙情的な旋律が、時折少々大げさな、ドラマチック過ぎる様に思えてそこまで好きな曲でも無かった。
でもフジコさんの別れの曲は、あの一番の山場の後の切ない旋律を、柔らかくサラリと弾いていらして、胸を引き裂かれそうな別れの後にのたうち回って号泣し、自分を憐れんで泣く様なイメージではなくて、淡々と生きながら働きながら、それと意識せず一筋涙を流す様な真実が感じられた。
沢山の別れを体験し、見聞きしてきた年月の裏打ちを垣間見た様な気持ちになった。

そしてやはり私の様なものがさすが、なんておこがましいけれど、世界各地のフジコさんの家がどれも素晴らしい。
絢爛豪華と言うのではなく、パリならパリの、京都なら京都の、東京いや下北沢なら下北沢の、サンタモニカならサンタモニカのその土地の空気をそれぞれ感じ取り、体現した様なインテリアで、こんなことを言うのは絶望してしまうけど、センスとはあるものないものがハッキリしているものだと改めて。

個人的にはサンタモニカのお家もとても好きだけれど、パリのお家がフジコさんには一番似合っていらっしゃるように思えた。

何か少し切ない程に、お母様への愛を深くいじらしいくらい持っていらして、何とも言えない。
一度お若い頃にピアニストとしての成功を断念せざるを得なかった頃、それから20年ピアノ教師として暮らしていらしたと言うが、そこから例えば別の人生を選ぼうとは思われなかったのか、少し聞いてみたい気持ちになった。
例えば誰かと結婚したってピアノ教師はできただろうし、子供を持つことも。
彼女のどこかでそういった普遍的なものの中に組み込まれる事を良しとしない気持ちの根幹に、お母様の存在があったのだとしたら。
だからこそ今のフジコさんがあるわけだけれど、私が思っても仕方のない事ながら、やはり運命の天秤と言うか、そうせざるを得ない道のりと言うか、単純な良し悪しだけでは語れないものを感じる。

フジコさんを見ていたら、人の中に本来流れていたはずの悠久の時間みたいなものをすごく感じた。
大きな大きな、人知を超えて存在したはずの悠久の時。
いつからかそんな時を抱えて生きる人が少なくなってきて、いずれどこにも居なくなってしまうのかもしれない。
私ももしかしたら既に手離しているのだろうか。気づいていないだけで。

悲しい事がない人生って言うのもどうかと思う センチメンタルなのもいいじゃない
この言葉は忘れないように生きていこうと思う。

大いなる失恋、とでも言おうか

  • 2018.06.20 Wednesday
  • 23:37
少しずつ落ち着きを取り戻しつつある。
でもまだ余韻は残ってるけど。

つい先日、長い年月憧れ続けた人に、正確にはそのお一人とお仲間にお会いする事が出来た。

時間にすればほんの5分くらいだろうか、何しろテンパり過ぎていて正確には分からない。

全くの幸運で会うことが出来たのだけれども、直後私が感じたのは人生で一番の羞恥心だった。
恥ずかしい、しかなかったのである。

もっと正確に言うと、お会いした瞬間から恥ずかしかった。
何度となく遠くから拝見しているのにも関わらず、いざ同じ地続きに至近距離で接した時から逃げ出したくてたまらなかった。

会えると言うことになった時、辞退しようかどうか迷った。
まさか本当になるとは思っておらず、瞬時に無理、と思ってしまったから。
しかしながら、もうこれから先二度とない機会である事に違いなく、とにかく行ってみようと決めてみた。
決めてはみたが、甘かった。
そりゃ勿論緊張するであろう事は容易に想像できたし、実際そうなるだろうと思っていた。
思っていたけど、やって来た緊張は私の予想をはるかに上回るとてつもないド緊張だった。
そして、人は経験したことのない緊張に見舞われると精神的に繕ってるものが全部取っ払われるんだな、と知りました。
下から出てきたのは、大人になってすっかり忘れていた『人見知り』。
知らない人達ばっかり(当たり前だけど)の中、もう一つ忘れていた事がありました。
私は背の高い男性が少々苦手、素直に言えばちょっと怖いのです。
目の前に現れた憧れの方とそのお仲間の皆様は全員180センチ前後の大柄な男性。
声が上から降って来るのに、より緊張の針がMAX側へと振り切れました。

何度か顔を上げてはみたが、直視する事も出来ず、とにかく殆ど下を向いていたと思う。
一刻も早く帰りたい、消えたい、と思っていた。
そうしたら最後に伝えたいことを言えと言われて、そもそも今帰りたいしかない私の頭は大混乱、でもわざわざここまで来るくらいのファンなのに、いえ特にとも言えず、絞り出したのは…「大好きです」………

これがまあその、うら若き乙女ならば可愛い話や〜と思います。
しかし私はいい年のおばさん。
子供は高校生。
つまりは経産婦。痛い思いもしました。
そりゃ、大したことない人生ですけども、それなりにはあったし、自分なりには懸命に生きてきたつもりです。
少しは大人としての核、みたいなものが出来てきたのではないかな、などと思っていました。
それなのに。
今この目の前の出来事に言葉一つロクに出ない。
緊張してるからと言っても、もう少し何とかなると思っていたのに。
初対面の方に、向こうからしたら見ず知らずのおばさんからの突然の告白。
少しばかり自分へ持っていた信頼のようなものが、足元から音を立てて崩れました。
目の前が真っ暗です。

私の人生経験なんて、全く役に立たなかった。
年齢的にそれは結構辛かった。
20年近く憧れていた人に会えた喜びより、まるで見せかけだけの張りぼての様な人生だったのかもしれないと思ってしまった事がショックだった。
誰だって自分の人生はそこそこマシだと思いたいものでしょう。

情けなくて恥ずかしくて、帰宅後私は胃痙攣を起こし、翌日からは精神的ストレスからと思われる口角炎を発症。
ここまで書くと少し面白くなってきましたけど、でも未だに恥ずかしさは残っている。

ので、私は少しやめてみる事にした。
その人に纏わるものに触れるのを。
全くその方にもお仲間の皆さんにも落ち度は無いのだけど、チラとその端にでも触れるとあの強烈な羞恥がぶり返してきて、ちょっと日常に支障を来すので。
関連するものも全て箱に詰め、目に見えない所へとしまった。
しばしのお別れです、まあ、勝手に。
今でも憧れているし、好きな気持ちは少しも変わりないのだけど、この羞恥を何とかして乗り越えない限り、もう一度素直に受け止める事が出来そうにないので。
私は私の体からはどうしても抜け出せない。
自分で自分を恥ずかしいと思う事は辛い。

結局私は、緊張によって剥かれた私の実態に何の自信も無かったのだろう。
だから恥ずかしかったのだと、今は思っている。
私は私を心底好きだと言えないから、恥ずかしかったのだと思う。
だから私は自分を本当に好きだと言える様になっていきたい。
その為に今回、大いなる失恋とでも言いたい経験をして、良かったと思う。

まっすぐな喜びを感じられなくて本当に残念だったけど、でも衝撃的な経験でした。
気持ち悪いおばさんで申し訳なかったですが、本当にありがとうございます。
またいつかあなた方のもたらしてくれる物を、真から楽しめる日を夢見て頑張ります。

今なお不思議なその顔

  • 2018.05.14 Monday
  • 22:21
憂鬱な月曜日を終えて、ちょっとした薬を求めて薬局へ向かう途中。
イヤホン越しにも聞こえてくる泣き声。
見ると向い側から何かを盛んに訴えて泣き喚きながら歩く男の子、とそのお母さん。
時折お母さんの手を引っ張って懸命に何かを泣きながら懇願しているが、お母さんすげなく手を解き、無言で無理だと伝えている。
なおも泣き続ける幼児の声に、何となく「浄化」と言う気持ちになる。
ああして手放しで悲しい心を解き放てる時の短さと、その素直な嘆きのかわいさがとてもきれいな物に思えた。
あんなにわんさかと豪快に泣けるとは、何と清々しい事だろう。

今度発売される吉井和哉ソロ15周年記念アルバム「SOUNDTRACK〜Beginning&The End〜」。
そのアートワークが今日公開された。



ポーンと放られたこの写真を見た時、ああやっぱり私はこの人に未だ惹かれているのだなあ、と思った。
顔の良し悪しではなくて、この人と似た顔を私は知らないのだ。
かわいそうなほどのオリジナリティだと思う。何にもそぐわないと言うことは。
イエローモンキーのヴォーカリストとしての顔とはまた違う。
華やかさをさらっと剥いで、個、としか言いようのない何か、のような。

ついジーッと画面を見ていたら、脇から息子がやって来て、同じく画面を覗き込んだ。
「本当にさぁ、吉井さんの顔って不思議だよね。」
とポロっと言ったら、うん、と言って息子は、
「何かが多過ぎて何かが足りないみたいな顔だね。」
と言った。
くそう、と思った。
20年も見続けて来た母よりも、まるで的確な表現をしやがって、むかつく。
まあ、そう言うものかもしれないですね。
岡目八目とはよく言ったものですなぁ。

ソロのファーストアルバムを出した頃だったか、ジャコ・パストリアスの肖像と言うアルバムみたいにしたかった、とか言っていたような気がする。
曲達が集まって、一個のジャコ・パストリアスと言う風変わりな男が浮かび上がっているみたいだと。
そんなアルバムになればと思ったと。

この写真を見た時、その様な気持ちになった。
この風変わりな男の中身は、やはり音楽の中にあるのだろう。

今100分de名著を見ながら書いているけれど、神谷美恵子さんと石牟礼道子さんがダブって仕方ない。
私の様な人間がおこがましいとは思いながら、このお二人の視点と言うものに死ぬるまでの間で少しでも近付けたらと思う。


守るべきもの

  • 2018.04.29 Sunday
  • 20:09
最近起きた某タレントさんの事件について。

こう言った性的な問題が絡んだ事件になると必ず湧いてくる、被害者側の自己責任問題がある。

とかく女性の方に男性を惑わせる様な、誘惑する様なもしくは隙を見せる様な事実がなかったかどうか、世間は鵜の目鷹の目で重箱の隅をつつく様に粗探しをする。

理由はどうあれ、強制わいせつは殺人や強盗と同じ、立派な犯罪だ。
ましてや未成年の女子高生を自宅に呼びつけて犯行に及んだ某タレントさんについては、同情の余地もない。
酩酊していたかどうかなどは言い訳にはならない。

しかしながらキスくらいで騒ぐな、そもそも出向いた被害者が悪い、などと論点をずらす意見も驚くほど多い。 中にはハニートラップに嵌められた、と言う詭弁すら存在する。
もし仮にそれが真実だとして、46歳にもなった男が女子高生の仕掛けたハニートラップに引っかかるようなら、お粗末極まりない。

またキスくらいで、などと言う輩は一体その本人はご自分が16才の時点でどれほどの恋愛経験があったのか、と思う。
16歳の女の子のほとんどはもしキスの経験があったとしても、同学年や同世代のボーイフレンドとのキスしかないだろう。
そしてそれは芸能界の大先輩の、彼女から見ればれっきとしたおじさんに無理やり行われるそれとは全く違うものである。
お互いの好意の元に行われるものと、全くの自分本位な歪んだ欲望を突然ぶつけられるのとでは外見的な事象は似ていたとしても、本質的には180度違う。

この件において被害者側の落ち度を探そうとするのは、常識的に考えて無理がある。

そして常々こう言った悲しい事柄が起こる都度、被害を受けた側に自己防衛や自己責任を主張する意見を目にするが、その度に私は思う。
そう言う意見をふりかざす人達は男性には理性と言うものは存在せず、状況さえ整えば誰でも襲う、ある種動物より低レベルな存在なのだ、と言いたいのだろうかと。

もちろんそう言う人はごく一握りだと思う。
しかしあまりにも被害者の自己責任論を展開していくと、結果的に男性と言うものはいつでも誰でもどこででも、猿やチンパンジーですら存在する生殖のルールすら守れない、と言うことになる。
それでいいんですかね、男性は、そして自己責任を主張する一部の女性は。

個人的に一番許せないのは、わいせつ行為は言わずもがなだが、彼がまず高校生向けの番組で人生の先達としての役割を担い、被害者の女子高生に接していたと言う事実があり、本来ならば彼は庇護し導かねばならぬ大人であったこと。
そしていくら離婚していると言ってもお子さんがいらっしゃるとの事。
父親でありながら、自分の子供と言っていい年齢の女の子を性的な対象としてみていた事は、お子さんにとってどれだけのダメージを加えるか。

46歳だよ。
おそらく中身は10代だったのだろうね。
だから女子高生を恋愛対象に見る事が出来たんでしょうね。

同じ親として、性別は違えど同世代の子を持つ親として、今回の件は腹立たしくまた呆れ返った。
若い人を守り育てなければならない立場にありながら、その若い人からの信頼を裏切った事をきちんと受け止めて欲しいと思う。


誰かのマイナーコード

  • 2018.04.22 Sunday
  • 23:22
STAY ALIVEツアーが始まってしまったー。

ツアーが始まるとついつい情報追っかけてしまって、無闇にどこでも行きたくなってしまう、と言うあるあるになってますよ。

遠征だけは今回しない、しないと呪文を唱えて生きてます。
まあ、とりあえずブレチャの前に渡會さんのライブがあるから、それで少し落ち着くだろうと踏んでいる。
まあアラバキあったんだけど、フェスは年的につらい(笑)
大人しく待とう、6月まで。

radicoのお陰で各地方ラジオをこの土日でチェックしてたのだけど。
なんだろう、年々渡會さんとエマさんのしっくり感が増してるなあと(笑)
後なんて言うか7期も3年目だし、そろそろ出会いの話はよくないかDJさん方、ってそれは私がファンだからですね、すみません。

割とこう、DJさんってもちろんある程度キャラクターが無いとダメなのかもしれませんが、ちゃんと聞き手もしくはインタビュアーになれる方と、どうにもキャラが気になっちゃう人とがいるなあと。
まあ不思議なアプローチでなかなか引き出せないリアクションが出たりする事もありますけどね。

普段そんなにラジオを聞かないから余計に気になっちゃうのかもしれませんね。

何番組か聞いていて面白いなあと思ったのは、渡會さんが(7期メンバーが)エマさんにとって最新の面白いおもちゃでいたい、みたいな事を仰っていて。
イエローモンキーはあのメンバーでの関係性で鳴らすものなので、僕らはどんな風にでも遊べるおもちゃのような存在でありたい、と。

エマさんもなんだかとても嬉しそうに「うまいこというねえ」って言っていたけど、中々に素敵な表現だし、そして、なんて言うのか、軽やかな腹の括り方だなあと思った。

エマさんにとっていつでも興味を持たれるだけの自分でいようと思っているし、それが出来る自信があるのだろうな、と感じた。
ラジオもそうだし、雑誌のインタビューなんかもチェック出来たものに限っても、エマさんの渡會さんに対する賛辞はもう手放しと言っていいと思う。
この番組でも「(期待が)裏切られたことはない」って言っていたし。

今のブレチャは本当不思議な魅力があるなあと思う。
音自体はバンドなんだけど、バンドほど閉じてなくて、音楽だけでの面白さかって言うと全然そんなこともなくて。
イメージとしては何かの流れのような物の上でくるくる回る光の輪が自由に跳ね回っているような、でもそれは別物と言うわけではなくて、時々その流れに添って綺麗な飛沫を飛ばすような感じ。
こんな時画家だったらなあと思うよ(笑)

自由が正しく機能しているんだろうな、と感じて、そんな場所が他にももっと増えたら良いね。


STAY ALIVE

  • 2018.04.20 Friday
  • 00:17
あらまあ、2ヶ月も書いてなかったのね。
かなクリの桜に涙して以来かー。
いや本当今回の決算はキツかったなぁ…。
まだ疲労の余波が取れません。なのに太った、というオチ。
疲れると料理がつらくてー…ついお弁当やら外食が増えちゃって。
全国のお勤め人に本当お疲れ様と言いたい春です。
桜なんて見る前に散ったがな。

ようやく決算が終わって、這々の体で生きていた頃に発売されました、brainchild'sフルアルバム「STAY ALIVE」。
メジャーデビューまでしちゃってね〜。
おめでとうございます。

聴くまではどうなんやろ、あの菊地Pのファンシーかつエアリーな自由度がメジャーな世界で損なわれないのかしら、なんて一抹の危惧があったわけですが、杞憂でございましたね。
むしろダッパーワーラー企画(笑)なんて展開もあったりして、ゆるふわの規模がデカくなったような気すらします。

先行配信の「Better day to Get away」のMVに少しメジャーみを感じましたが、あれ、これナッシングスのアラクロっぽいな、とか一瞬あれ、ワンオク?とか思ったりして、疾走感のあるロックナンバーならこんな感じっていうセオリーあるんすかね、的な。
いや別に文句は言ってません。
分裂するエマさんは面白かったです(笑)

7期として3枚目になるからですかね、今まで以上に曲のレンジと言うのか、一曲ごとの世界が違って。
あの「HUSTLER」の持つ融合感とか熱って言うのはやっぱり初めての出会いがもたらす緊張感によるものだったのだろうし、スリリングで魅力的だったのだけども。
2枚目の「PILOT」はその名の通りちょっと浮遊感とか俯瞰がもたらすある種の冷静さや清々しさ、みたいなものがあって。
そして満を持しての今回のフルアルバム。
曲達が、なんと言うの?ページ捲ったら別の国のお話のような感覚を受けて。
モノクロの世界から世界自然紀行的な雄大さから、レトロな夏の浜辺から鮮やかな電飾の終わらない夜みたいな。

それぞれの曲を軸にそれぞれ別のアルバムが出来そうな、でもバラバラと言うわけでもなく、それはやっぱり曲がエマさんで色付けするのが渡會さんて所で生まれてくる多彩さなんだろうなあと思ったりした。

いやね、でもこのブレチャを聴く人の大半て大概がイエローモンキーから入ってるわけですよね。
もちろんエマさんだけが好きだったり、7期のメンバーそれぞれのファンの方々も沢山いらっしゃるでしょうけれども。
まあ大体イエローモンキー経由のブレチャ勢が大半だと思うんですけど、そう言う人間にとって「Rain Stain」はヤバいですね。
ぶっちゃけ吉井和哉が骨の髄まで染み渡ってる人間には大好物ですよね。

なんか漂う不幸感ていうか(笑)
ちょっとSweet candy rainが彷彿とするですよ。
結末はハッピーエンドではないだろうけれど、だからこそ対比して際立つ美しさみたいなのが、ツボにグイグイときます。
久しぶりに映画みたいな歌が聴けて本当ありがとうと言いたいし、ここで言います、ありがとう。

しかしほんとエマさんタフ…。
あんな柳のような体をしておきながら、ほんとタフだ…。
ふと初回限定盤の特典映像を見ていたら、もしかして一番解散から再結成までの時間で独自の道を構築したのはエマさんだったのかもしれないなあ、と思った。

brainchild'sってどこか着地点があるわけでもなく、またエマさん、と言うか菊地Pか、がそれを求めている感じもしなくて。
答えのない所が答え、みたいなちょっと禅問答的な感じがしなくもない。
でも私にはそれが何と具体的に言える訳では無いけれど、何かしらの核のようなものは感じる。
そしてその核は案外固い手触りの、説得力のある感じがする。

制作現場を覗ける訳でもない、お届けされるものをただ待っているだけのファンなので、エマさんの曲と渡會さんの歌詞や歌が相性が良いのか、渡會さんがエマさんサイドにめっちゃ努力して寄っているのか、どっちでもないのか分からないけれど、とにかく7期メンバーとエマさんの曲達の融合がとても好きだ。

力強さと潔さ、繊細さとユーモアのバランスが素晴らしいアルバムだな、と書きながら今そう思ってた事に気がつきました。
なにかを書く事の良さってこう言う所にありますよねぇ。

しかし仙台までライブ長いな、と思いましたけど、2ヶ月後だからきっとすぐ来ちゃうんでしょう(笑)

「STAY ALIVE」と聞いて「STILL ALIVE」を思い出した、事もとりあえず書き留めておく。



秘すれば花

  • 2018.02.05 Monday
  • 23:08
ここ数年の芸能人や有名人の不倫報道について、憤るほど関心も無し、どうでも良い。
ふと付けたテレビで流れたら、ポチッととBSにチャンネルを変えたりする程度には興味無い。

けれども今朝まだ起ききらぬままに朝のテレビをつけながら、支度をしていたら小泉今日子さんの声明、とでも呼べば良いのか。
見たいわけでもなかったが、ぼんやりとした頭で聞いていたのだが。

まあ、そのほーん、みたいな感想しか出ないけど。
なんつーかその、これ、誰に対して一番意味のある宣言だったのかって思ったりして。
キョンキョンが豊原氏を好きでもなんでも構わないし、所謂不倫関係にあろうとも私は一切関係ないし、その辺どうでも良いけど。
守ろうとしたご家族が寧ろ無いことにされてしまって、その事について胸を痛めておられたのかもしれないが。

言葉は悪いけど、私が妻側ならこれ腹わた煮えくりかえるやろ、と思う。
勝手に人の旦那に手を出して、バレたらご家族を守って、て。
しかも結果離婚した事にされてしまって(その事はキョンキョンのせいでは無いだろうけど)。
まあもちろん一番悪いのは豊原氏だけど、なんかこの文面だと豊原氏のご家族が突然何の準備も無しに引っ張りだされてしまったように見える。

それでもまだ、例えば豊原氏の奥様が離婚協議に応じないとかで、最終手段として協議の場に引きずり出すために、とかならまだ分からんでも無いけど。
まあかなり卑怯な手ではあるけれど、そうまでしても豊原氏を我が物にしたいと言うほどの情熱があるとも思える。

けれど実際のキョンキョンは結婚する気は無いと言う。
でも公私ともに同士です、って…うーん。
じゃあなんでわざわざ今になってご家族情報を全国に知らせたの?と思わざるを得ない。
だって今だってきっと、豊原氏のご家族の周辺では暗黙の了解的に広まって居るに違いない。
お子様がいるなら奥様はPTAやらお子様の習い事やらで、保護者の方々やご近所の方々と関わらないではいられないはずで。
そんな中であんな宣言されたら、もう守るどころの話じゃ無いですやん。

本当にバツイチ同士の恋愛ならば、結婚はしなくても良いよね〜、いい距離感保ちたいよね〜っていうのは全然ありだと思う。
でもわざわざ人の旦那に手を出しておいて、結婚したくはありません、でも私の恋人ではあります、て言うのは…。

お詫びの言葉も無い、とおっしゃっているけれど、どうも裏腹な感じを受ける。
もし何か複雑な(って既に十分複雑だが)事情があって、真意を全て述べることが出来ないのなら、豊原氏のご家族に言及する必要はなかったのでは無いだろうか。
小泉今日子、と言う存在に好感を抱いていただけに、なんだか腑に落ちない感じを受けた。

まるでイリブに熱を上げたシャネルみたいな。

とにかく何とも後味のよろしく無い、出来たら知らせて欲しくない、心の内であった。
秘すればこそ、意味のあるものもあるはずだ。

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