輪郭、というもの

  • 2017.08.15 Tuesday
  • 06:12
朝も早くから酔狂ではあるが、今私は「私」と言うものを取り戻す作業を始めている。

私は極めて他者優先的に生きてきた、様に思う。
それもあからさまに自己犠牲を振る舞うのではなく、ごく自然にそうなる様に他者も自分をも騙しながら生きてきた気がする。

母を失った時諸々感ずる事もあったが、後からボディーブローの様に効いてきたのは母の中での私の存在の希薄さであった。
遺品の中から出てきた、日記ともつかない覚書のようなもの。
母の意識は祖父と父(の幻影、とでも呼ぶべきか、甚だ本来の姿とはかけ離れたものだったが)へ向けられており、私への記述はほぼ無かった。

少なくとも私が10代後半から母が没するまでの間、母から見れば足りなかったのかもしれないが、身近な人間の中でその愛憎を受け止め続けたのは私だと思っていた。
でもそうではなかったのだ。
母にとって私の忠誠はあって然るべきものであったのだろう。
空気のようなもの、とでも言えば良いか。
私にはそれが後から結構効いてきた。

息子についてもそうだ。
なぜ人は愛されると、それを当たり前だと思うのだろうか。
私はいつも不思議である。
なぜその愛が永久に自分に注がれると思えるのか、そこが根本的に分からない。
それともありのままで愛される事を知っている人はそう陥りやすいのだろうか。
それでも息子は息子なので、その出現に一番責務があるのは私であり、それを社会的に全うする覚悟は勿論ある。
しかしながら、あまりにも尊大な態度を取られると、親とは言え人間である。
どんなに馬鹿にされようと無償の愛を注ぎますよとは思えないし、個人的にはする必要はないと思う。
つまりはそうした親の愛を拒絶出来るまでには育ったと言う事なのだから。

とにかく私は20年以上振りに「個」としての自分をもう一度手にしなくては、ここから先生きる道が見えてこないと思っている。

と、言う事でお盆休みの間、とにかく自分の好きなことだけしてみた。(結局そんなとこからしか始められないのが悲しいが)
延々ツムツムをしてみたり、習い事を始めてみたり、寝たい時に寝たり、読みたい本を読んだりとか、書いてみるとただの休日みたいだけれども、他者の心を気にせずに何かすると言うのは久方ぶりなので、何ともこうふわっとした気分になる。

今回読んだのは、藤本ひとみさんの「マリー・アントワネットの娘」と、松尾スズキさんの「東京の夫婦」。
全く繋がりのない内容な筈なのに、不思議な所でリンクしていた。

マリー・アントワネットの娘とは即ちマリー・テレーズの事であるけれど、母のアントワネットに比して致し方ないけれども記述やエピソードが少ないので、パッと手に取った。
松尾スズキさんの方は雑誌の連載をまとめたもので、再婚をきっかけに東京で暮らす夫婦についてのエッセイだ。

取り上げる内容も全く異なるのに、二冊とも子供について言及する箇所があった。
松尾スズキさんは自分は子供は持たない、持ってはいけないタイプの人間であるという信念のもと、前妻さんとの間にもお子さんは無く、二度目の奥様(20歳年下!!)にも予めその旨を伝え、納得の上入籍をされたとのこと。
実際の所私だって子供を持って良い人間だったかどうかなど、皆目分からない。
寧ろどのようであれば、その資格があるのかなど突き詰めれば誰にも分からないと思う。
親ではあるけれど、私は元来子供は苦手だし。今ではつい反射的に赤ん坊を見ればデレてしまうけれど、幼稚園に入るくらいになったらもうアレだ。
個性がハッキリし出す頃には、うわーこの子ニガテーみたいなのはもうある。
つまり親になったからとて、そんなに変わるものでも無いと思う。
松尾さんが嫌なのは子供そのものではなくて、親になると言う事なんではなかろうか。
まあ、つまりは何か得体の知れないものを背負うと言うか。
勝手な推測でごめんなさい、松尾さん。

そして藤本ひとみさんの方は、マリー・テレーズの生い立ちを語る中で、ご自身がお二人の娘さんの母親であること、その性格や性質には環境や育て方もあるけれど、遺伝と言うものを感じずにはいられない、と言うことが書かれていた。
これには私も頷くところがあって。
うちの息子は生まれてから記憶のないうちにしか自分の父親に会っていない。
別に禁止してる訳でもなんでもないのだが、会いに来ないので。あはは。
なのにも関わらず、似てくるのである。
顔ならまだしも性質までもが。
勿論育て方云々もあるとは思うのだが、まるっきり違う環境に育った元夫と息子が、同じ様な性質を見せる事に驚く。
また遺伝子と言うもの強さをまざまざと見せつけられている様な気がしてならない。

また藤本さんは別項で、子供が有った方が良いか否かについても述べている。
どちらでも良し、と。
お子さん達が居たから豊かになった部分もあるけれど、居たからこそ失われたり傷ついた部分もあり、結果イーブンだ、と言う様な事を書かれている。
そうだよなあ、と思う。
子供がいたから分かること。
子供がいないから出来ること。
コインの表裏みたいなものなのかもしれないなと思う。
どっちだから幸せ、ではなく、どっちの道にも幸不幸が転がっていて、それを味わって生きる他無いんだろう。

松尾さんのエッセイには他にも色々なエピソードがあるが、まあこんなにも男性というものは揺れているものなのか、と言うか笑
高校生男子と変わりないな、とつい思ってしまって。
20歳お若い奥様の溌剌さと逞しさに比べ、松尾さんのセンシティブさが際立つ。
勿論お仕事ではここで敢えて書く必要の無いほどの才能と実績をお持ちなのだけど。
…改めて男の人って変わんないだな、って思っちゃったりしました。

マリー・アントワネットの娘を書かれた頃の藤本ひとみさんが49才。
東京の夫婦の書き始めの松尾スズキさんが51才。
ほぼ同年齢で書かれた本でありながら、藤本ひとみさんの確固たる実存感と、松尾スズキさんの水彩画の様な儚さ。

比べてどちらがどうと言う事ではなく、初めてと言う訳では無いけれど、男女の輪郭の違いと言うものについて、なんとなく感じ入ったのだった。


良いも悪いもないけれど

  • 2017.08.10 Thursday
  • 01:19
うーん、ま、なんつーか。良いんだけどさ。うーん。


THE YELLOW MONKEY、11月にドキュメンタリー映画『オトトキ』公開。キャッチコピーは「4Pしようぜ。」


…なんかこう…微妙な…。
いや、まず、なんだろうな、えーと、どこ向け?誰をターゲットにこのコピーなんだろうかと。
私もそこそこヘビーなファンだと思ってるし、エロいからヤダとかそんな話ではないし、そんなの嫌ならまずイエローモンキーのファンやってられないしね。
だからその、ぶっちゃけダサいよね。
でももしかしてそのダサさも狙ってんのかなとか、本編観たらそれがダサいでは無くて膝ポンなのかなとかさ、思ったりはするよ。
でもそれってやっぱある程度ズブズブのファンだからじゃないすか。
フツーの一般の方はいきなり4P、しかもおっちゃん4人でって引くじゃないですか?
その音楽において、という事だと分かっていても多分キモって思う人も多いと思うんですよね。
ん?て事はアレなのかな、やっぱりちょっと引かせたいのかな、とかね。深読みもしますけど。

上映の劇場の数や公開日も一日と言う事からして、一般の人へ見せたいと言うよりも、基本的にはファン向け(まあバンドに纏わるドキュメンタリーなど基本ファンしか興味も無いだろうけど)なのだろうし、イエローモンキーと言うバンドがどういうバンドか予め知っている人を念頭に置いてるのかもしれないけど。

でもそれだとしたらちょっとズレてる気がするんですよねえ。
パンドラのコピーもビジュアルもドンズバだったから余計に感じてしまうのかもしれないが。

あと4Pは置いとくとして、オトトキと言うタイトルも…うーん…。
単純に考えて「音」と「時」を連想させるけど、まさかそのまんまって事は…(怖)
フツーに、と言うか特報でやってたShow must go onで良かったやん、タイトル。てかそうなると思ってたわ。
それで何よりなんか、こうやってファンがうーんうーんってやってダサくない?とか言ってるのを、吉井さんがしてやったりとか思ってて、公開されたらなるほどー!とか思っちゃったら悔しいよな、とか笑。
でもオトトキは…ちょっと…笑
多分公開されてもちょっと…って思うと思う。
何か意味があるのかな?と思わせるには半端なフックだよなぁ…。
もういっそのことタイトルをヒエログリフとか象形文字とかにすれば良かったんじゃ、などと思ったりして。うはは。

まあ4人がこれで良いんじゃないのーと了承したのか、まるっと丸投げなのか私には知る由もないけども、このタイトルとかコピー見てたら、あーこの人らは日本のスタンダードになる気は無いんやなーと思った。
もっとこう、格好のつく感じで持っていかないんだ、みたいな笑
絶対色々言われるだろな、と言うことも織り込み済みでの事なんだろうなと思う。

…でもちょっとダサいよ笑
でもダサいのに最終的にかっこいいなと思わされる、と思うし、そう願う笑。

昨年末のメカラウロコで言ってたエマさんの言葉がふと。
今年以降の活動でどう見せていくかが大事、みたいな事。
それが4Pかどうかは知らないが笑、なんと無くそう言う事もあるのかなあと。

90年代にメインストリームに異端を持ち込んで、そのクオリティとセールスとを両立させた人達だから。
表裏とか境界線の上とか、そんな感じの所を歩いてほしいな、とか勝手に思うよ。

風の歌を聴けよ

  • 2017.07.17 Monday
  • 23:23
最近ものすっごく遅まきながら、brainchild's の存在意義を一人噛み締めている。
やっぱりエマさん、菊地英昭と言う人の大きさと言うか。プレイヤーとしては言うに及ばずだけれど、そのもっと深い所での懐の大きさって言うのかな。
イエローモンキーだと、どうしてもそれぞれが巨頭感があるのでほんわかした部分だけが目立つけれども、ブレチャでのエマさんの采配や選択を見るに、年下のミュージシャンがみんなしてデレる意味が分かると言うか。

そして意図的なのか偶然なのかは知らないが、帰路に立ったミュージシャンに対してふと手を差し伸べる様なオファーをしているような気がする。

確かKeitaくんは音楽やめようかな、だっかやめて会社勤めをし始めたかなんかの時にエマさんがオファーしたとかだったような。
7期のワッチくんはバンドを休止して一人でアメリカに行ってる最中にその連絡が来たとか。
オファーからしてドラマチックやないですか。

レコーディングの感じとか見てても、みんな絶対緊張するし、なんか言われたら絶対ハイって言わざるを得ない環境なのに、あの独特のふんわり感でいつの間にかみんな笑ってて。
人のポテンシャルを引き出すのがこんなに上手い人だとは、思ってなかったですよね。
なんか前期イエローモンキーの時はもっと自由人なイメージがあったから。

7期のブレチャを昨年聞いた時、ボーカルのワッチくんに度肝を抜かれた。
一聴した時は今時珍しい程癖のあるボーカリストだなぁと思った。
歌い回しも言葉遊びもかなり熟練したもので、下手をすると好き嫌いが大きく分かれる様な歌い方だと思ったが、非常にスレスレのラインでそこを回避していて、しかも声質が素敵なので、そこまで計算に入れてのあの歌い方ならすっごい人やんと思っていた。

申し訳ない事にワッチくんの休止中のバンドFoZZtoneについては、雑誌とかで名前を見かけた様な…と言う位の知識しかなく、ブレチャで聞くまで全く前情報が無かったのでビックリした。
ビックリしたし、渡會将士と言う人をもっと早く知りたかったなあと言う思いと同時に、こんな才能が一部でしか取り沙汰されないと言う日本の音楽業界は改めてク◯だなぁと思った。
ま、そんな事言ったらいつの世の中でもク◯じゃない時期なんてほぼ無いんだけれども。
だけれども、それにしても酷いと思う。

ざっとFoZZtoneの事を調べてみて、なるほど、と思う。
そして色々あったワッチくんに取って、憧れのエマさんからのオファーと言うチャンスと吉井さんからの最大の賛辞は多少なりとも傷を癒す効果はあったのではないだろうか。
いいよなぁ、私も吉井さんから褒められたい。(なにで)

ソロアルバムのマスターオブライフを聞いてまたビックリだ。
この人の引出し多すぎなーと思う。
そして微妙にあれ?私より年下よね?と思う様な、かつての名曲へのオマージュがあったり。
割と身近な、本当にあった出来事を歌詞にしている様だけれども、これは中々に難しいのであって。
おかしみと哀しみとを両立させ、時々ギュっとなる様な真実をそこに混ぜ込む。
タイトル曲の「マスターオブライフ」で、
『人の気遣いや声にならない痛みキャッチしてしまう』
明るい鼻唄みたいなノリなのに、サラッとそんな事歌うんで、おばさんビックリ。
そして「新千歳空想」の千歳を生きるならと言う発想は新鮮だった。
絶対やだもん。
千歳生きるって拷問じゃん。
きっとワッチくんはまだ自身の老化を感じていないに違いない笑
まあ万能細胞と歌ってるから、(元気に)千歳を生きるなら、なんだろうけどね。
後FoZZtoneの曲(全部聞いた訳じゃないが)に割とmoneyや金と言う単語が多くて、彼ら世代のミュージシャン達の窮状が透けて見えた。
宗清さんの「3枚(アルバムが)売れなきゃアウトです。」がしみて来た。それに比べてお前は…と言われた吉井さん笑
音楽ゆとり世代by吉井(さんスタッフ)であればFoZZtoneの状況も変わったのかもなあ…などと由無し事を思う。
それとバンドでもソロでも割と夢で会いたいとか、私が夢に出ますようにとかがあって、どんだけ夢で彼女に会いたいねんと。
分からなくないですけどね、なんか。
夢で会うとその人のイメージだけ抽出されるような感じがしてね。

そんなこんなでまた聞かなくてはいけないミュージシャンが増えたですよ。
ソロのライブもあるとの事で行ってみようとチケットを予約しました。
ええ、無駄にアグレッシブなのがおばさんなんです。

FoZZtoneのNO WAY NOWAY。
公式チャンネルに上がってるGO WAY GO WAYと繋がったMVを見た時、あれ、これなんか…と思ったらちょっとエレカシのコールアンドレスポンスのMVに似てるんだなー。
コールアンドレスポンスのが不吉だけど。
曲自体はガストロンジャーに似てるなと思ったけど。
意識して作ったんだろか。
ちょっと洗練されたガストロンジャーみたいな笑
何となくではあるが、確かにワッチくんの中にはミヤジの匂いもちょっとする。
どうでも良いけど、NO WAY NO WAYのMVで曲調が変わって何だか可愛いピクニックみたいなのから元の曲調に切り替わる時のワッチくんの顔良いですよね。
ああいう何しでかすんだか分からないような顔の人、減っちゃいましたよね〜。
でもまあ私あの、アール・デコの時代ってあんま好きじゃないんですよ。
画一化した感じが工業臭がすごいって言うか。
アールヌーヴォーの時代の方が好きで。
結局そう言う事なのかとは思います。
時代に合わなくても知るかと。好きなもんは好きだし、嫌なもんは嫌だ。


好きな音楽を鳴らしてくれる人達が居ることに感謝しよう。

Love On The Floor 2017 6月18日 昼公演

  • 2017.06.18 Sunday
  • 23:40
あまのじゃくなのって生涯治らないんだろうか。
いつもそうなんだけど、楽しみにしてる事の前程行きたくないような気がしてしまう。
もしかして何かで行けなかったりして、と思うといっその事行けない様にしてしまえと思うのか、自分でもよく分からないけれど。
ギリギリまで行きたい様な行きたくない様な、モゾモゾした心持ちになってしまっていつも困る。
…案の定今日も新幹線の発車3分前にホームに到着。
いつかはじめから出発までずっと楽しみにして出かけて見たいなあ…(笑)

いつも殆ど足を踏み入れる事の無いキラキラしたビル。
11階からの眺めは現実感が無い。もっと高い東京タワーからの眺めの方が現実感がある。街のせいかな。
1年ぶりのシアターオーブ。今日は去年よりは少しステージに近い。
ただ舞台そのものが大きく見えたのは距離のせいだけじゃないはずだ。
以下、公演内容に触れるためご注意下さい。


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凪の海、午前2時

  • 2017.06.15 Thursday
  • 00:12
最近気持ちが凪いでいる。
漂流した船は凪の海になると幾日も固定されたように動かなくなると言うが、まさにそんな感じ。
穏やかだと言えなくも無いが、このまま倦んでしまいそうだと思ってしまうのが、私の良くない所だ。

LOTF2017 in LA見ましてございます。
なーるほどー、と言うかリバーシブルな感じなのかな、今年は。
初っ端からエクスペリメンテーション(長い)が来て、去年より更に実験色が濃いし。
新しい女性ダンサーのシャーメインさんが、LOTFのアメリカツアーでは神様ポジションをやられるのかな?と何となく。
ムッキムキの男性ダンサーズに密着され、転がされ、抱きかかえられ、放り投げられるのを見て、やっぱり高橋大輔はあのサイズで良いんだなと勝手に納得していた。
(個人的に身体表現において、身長165〜170センチの人が一番適していると物凄く勝手に思ってます。)

あの振り付けって真ん中にいるのが女性でも成り立つよなと思って。
むしろそっちの方が一般的にはしっくりくるのだろうけど、何でか彼は女性と絡んでもいわゆるエロスはあんまり感じないんだけど、男性と絡む方がよりスリリングな色気を感じる、のは私だけではないはず。
恐らくは「男」とか「女」とかの端的なシグナルが似合わないせいかと思う。
Vasの時にも思ったけれど、ヘルマフロディトスと言うか、性別の無いもの、どちらとも取れるものとしての振舞いが、えらく官能的なのである。
だから恐らく女性と絡むと「男」として対比される為、彼の本来持つたおやかな色気が女性側に吸収される様なイメージがある。
対して男性と絡むと、あの英語ではフレアと言われる華の様なものが引き立つと言うか。
べつにあの特別そういう傾向のものが好きと言う事も無く、特に抵抗もない派だけれども、そう言うの抜きにしても男性との絡みの方が単純に魅力的だと思ってしまう。
…ご本人は大変ジェントルマンなんだろうけども、女性でもあの華自体滅多にあるものじゃ無いからなあ…くっそ、と思って来た女性もいるだろうなぁ(笑)

しっかし振り付け覚えるの早すぎやん!!
雨に唄えばとかは去年の見てたにしても早すぎー!(でも傘の扱いがー!)
なんかどっかで一人でコソ練して来たんじゃないのかって思ってしまう位早い。
その同時期に氷艶の練習しまくってて、阿国ちゃんダンスも習得しちゃってて、身体どうなってるんですか。
なんかどっかにメモリーカードでも差し込んでんじゃないのかと。
パフォーマンスに関する情報処理の量及びクオリティがおかしいです。明らかに。
これミュージシャンとかなら、ある程度ね、自分のバンドやりながらサポートとかね、忙しいけどあり得るけど。
体の酷使の仕方が…て思いましたが、きっと現役時代はもっとやっていたんだろうなあ。それでこそのあのスタミナや、追いこみ方だと思う。

二度目に渡米した6月の時の映像で、最後の方にシェリルさんメインのフラメンコの練習風景があった。
向かい合い鏡の様な振り付けの所で、何かしらシェリルさんからの指示を受けていて彼女の動きを見つめているのだけど。
あの目。
ライラックワインの時のジェフリー・バトル氏を見つめていた時を思い出した。
あの時は鋭さがありながら冷静を通り越し、どこか冷淡とも言える様な瞳だった。
でも今回のシェリルさんの動きを見る高橋大輔の瞳は、鋭さもあるがそれよりも強く熱い。愛する人を見る、優しく溶ける様な熱さじゃなくて、もっとジリジリと肌が焦げるのじゃないかと言う様な容赦ない熱さだ。
慣れ親しんだスケートの振り付けでは開かなかったものが開いたのかな、と思った。

新しい物への取り組み方を見ていると、やはり彼はアスリートなんだなと感じた。
物事の捉え方はアーティスト的だが、ガッと入った時の集中の仕方やギアの入れ方が、アーティストのそれとはやはり異なる所があるな、と思った。
会見でのグローリーの映像を見ると、既に振り付けされた直後からの変貌が見えて。この人の言う「練習した」はどの位やったら「練習した」と言えるのか、怠け者の私的には皆目見当がつかん。

そう言えばあのー、ポーンと投げられる前にやる振付で、シャーメインさんが縮んで→アーチ→もう一回縮んでって言った時、腰痛持ちの私は即座に無理っすって言ったよね。
あんな事したらギックリ腰アゲインよ、本当に。縮んで→アーチの時点でギャー!だわ。やる予定も無いし、誰も投げてくれないし、飛んでもガタイの良いダンサーさんも待ってないのでね、大人しく見るだけにします。


ヘヴィネス又は何かの深さ

  • 2017.06.10 Saturday
  • 01:22
金曜の、一週間の疲れた夜にA-studioありがとうー。
癒しの金曜日だわー。てか来週エレカシと知って更に上がったわー!ありがとうー(2回目)
一方的につっこまれてましたが(笑)、まあきっとつるべ氏は歌子先生に寄り添ってしまったのかしら。
ご自分もお弟子さんがおられるだろうし、導く者同士の悩みというか、葛藤という所で共感なさったのかもしれないねえ。
確かにあんな危機的状況で家出されたら血の気引くよなあ。
実の子ではないからこそ尚更。
もちろん過酷すぎるリハビリの日々から、一旦逃げようと思った彼を責めることは誰にも出来ないけど。
オリンピックまでと言う時間的なプレッシャーも相当あっただろうし。

しかし何より乳て。
あのポスター見た時思わないでも無かったけど、乳て!
そして人前で触る事は無いって!
それ当たり前!やってたら痴漢!もしくはそう言う嗜好の人達!
ステージで乳揉みたくて揉めなかった人は知ってるけど!
ナチュラルな爆弾発言で笑ったわー。
是非これからも誰にも見られない所でお触り下さいませ。

後お友達の泥酔して暴れた彼が、ラガーマンのお友達を引きずった話も普通に驚いた。
何となく珍しい体育会系エピと言うか。
泥酔した時は前頭葉が麻痺するから、本音が出やすいと言うけれども(わたしゃ全くの下戸なので経験がないけれど)、彼の本質はそういう熱い部分と言うか、いわゆるアニキ的(末っ子だけど)な部分があるんですかねー。
まあそら男兄弟4人ですもんね。
フィギュアの世界で育ったし、感受性の豊かさもあって直接的な強さや激しさは出さないけれど。

つるべ氏の「たくさんの人に愛されてきたから彼の演技には愛がある」の言葉にはイイね!100万回だけど、私は高橋大輔は相当な負けず嫌いだと思うけれども。
フィギュアが負けず嫌いなだけでは魅力が無いと言うのはその通りだと思う。
ただ高橋大輔を見ていると、この人は皆が求める勝ちを得たいのでは無くて、自分の中の勝ちのハードルを越えたいのだろうなと感じる。
その部分に置いてはかなりの負けず嫌いなのではないかと思っている。

私は高橋大輔を表現の場で以外、テレビ出演などで見る時、基本的に好感しか感じない。
時々ちょっとめんどくさ…と思う事もあったりなかったりするけれど、それもまあ好感の範囲内。
不穏、とまで行かなくとも何かの欠損とかバランスを崩した処というものを感じる事は無い。

以前に見た猿之助さんと佐藤健君の対談番組で、猿之助さんは佐藤健君の事を天才だと思ってるけれど闇の部分を感じない、と言っていた。
猿之助さんが今まで天才だと感じた人達には何かしら心の中に大きく欠落した所があって、それを埋めたいが故の反動が原動力になっているような人達だったと。
佐藤健君は自分は特にそういうものは無いと言っていて、猿之助さんも普段の佐藤君を見ても本当に普通の青年でいい子だし、と。
新しいタイプの天才なんだろうな、とも。

私はこの番組を見た時、何だか凄く腑に落ちたのだった。
私は大体猿之助さんと同世代で、猿之助さんのような伝統芸能の中でお育ちになった方とは全く違う、フツーの人生だったけれど、同世代の人間が享受する大衆的な文化と言う点ではきっとそこまでの齟齬はないと思う。
大体20世紀の天才達は大いなる欠損か、前時代的な資産による尋常ではない過剰の中で生まれていた気がする。
憧れた人達が憧れたものを辿ると、必ず底に深くて暗い闇があったし、闇を見てきた人の目は近寄りがたく、でもそれと同じくらい惹きつけられるものだった。

でも今の若い天才達は違う。
その芸に置いては如何なくその才を発揮するが、人生においては過剰に埋めたいまでの欠落はあまり無いように思う。
若い天才を沢山知ってるわけでは無いけれど、旧世代的な闇の匂いがすると私が勝手に思っているのは森山未來君くらいだろうか。
高橋大輔にしても、もちろん後天的な大怪我そしてそこからの肉体的精神的な不調、それを抱えながらの競技生活というものは人格形成に大きく影響は及ぼしただろうけれども、もっと底の土台には闇は無いように思える。

闇なんて無い方が良い。
とっても重いし、くたびれる。 闇を抱えて生きたら妖怪人間になっちゃうし。
でも私、妖怪人間ベム好きだったんだよなぁ。
ついどこか埋めきれない何かを持っている人の、どこかがいびつなままの魅力が足りないなあなんて勝手な事を思うのだ。
誰かに不幸になって欲しい訳ではなくて、多分何となくだけれども、風潮として分かりやすく綺麗なものが求められるから、出てこられないのじゃないかなと思っているのだけれども。

光ばかりを浴びてはいられないではないか。
闇の中に生きるのは悪しきものとは限らないのだし。
面白い深海生物とかもいたりね。
百億もの感情を持つ生き物ならば、影の濃淡も味わいたいと思う。


買っちゃった…

  • 2017.05.28 Sunday
  • 23:53
今年は年度当初から予定外の出費があった。
予定外というかある意味想定内だったけれども、私立の学校とかまじあり得ないんだけど、みたいな出費があったので。
まー、今年はイエローモンキーも秋のドキュメンタリー映画と年末のドームくらいだし、氷艶は出費の前にチケットを買ってたし、行きたいけど今年のLOTFは諦めよう、と思っていたよね。
氷艶までは。

大輔スキーの自覚はあるけど、何て言うんだろうな、やっぱり実際足を運ぶと本場の大輔スキーの皆様の熱量には到底及ばない、いや寧ろ大輔スキーを名乗って良いのかと逡巡してしまうしね。
心のベストテン第1位か、と言われると、黄色いおじさん達が…。もちろん比べられないジャンルではあるんだけど。

LOTFは去年行ったけど、オンアイスは初めてで、収容人数のせいか音の反響もあるのか分からないけれど、高橋義経さんが颯爽と登場するシーンでのあの大歓声が。
すみません、一瞬ビクっとしました(笑)
なんと言うか、これがアレなのか、みたいな、初めての体験みたいな。
ライブとか舞台とか、まあ伝統芸能は分からないけど、それなりに行ってたつもりだけれども、今まで聞いたことの無い種類の熱狂と言うか。
やっぱりフィギュアがスポーツで大輔スキーの皆さんも今まで応援とか声援とかの意味合いもあったからなのか、歓声自体が力強くて。

まあ、だからその氷艶見て、後LOTFはTBSチャンネルさんのお世話になろうと思ってましたよね、ええ。

わかってる。
LOTFに行っても阿国さんは居ない。
居ないのにアレ、なんだろ。
ポチったよね、LOTF。
みたいですね、なぜか。

いや、氷艶楽しんだし、満足だったし。
贅沢もできぬ身の上だしね?
いや、だからその元を辿ればLOTF2017の密着映像とかね、見てしまった時から、アレ?なんか去年と動き全然違くないですか?陸ダンスの上達度と言うか自由度が格段に上がってないですか?とか思ってた所から始まってるけども。
なーんか去年のLOTFですこーし感じてた固さみたいなもの?
恐らくは陸上での身体の動かし方への慣れって言うか(って言っても常人の遥か及ばないレベルのトコでだけど)
その固さが感じなくて、オンアイスの時みたいな柔らかな軌道がある気がしてて。
それでもまだ、まあ経済上の問題としてね、今年は氷艶氷艶。
何たって私は未熟者大輔スキー。
何もかも追っかける訳にはいかないし、と思って居たのに。
阿国さんが…。

あれを見せられたらさぁ〜…。
あー絶対今年はLOTFもっと凄いじゃんて思っちゃうよね。
着流しで踊ってあの躍動感だしね。
思わずうぉって声出ちゃったしね。
…一週間悩みましたが、買いましたLOTF。
くっそ、何かに負けた気がする。
うん、己の弱さだな。
で、でも泊まらないから!ひ、日帰りだから!(誰に対して)

氷艶でも感じたけども、何かこうどんどんと輪郭が濃くなってて。
脆さみたいなものが、その表現にはあるけれどご本人からは感じづらくなってきている様な気がする。
前はご自分の表現モンスターぶりに全く無自覚であった様にお見受けしたけれど、多ジャンルの方々と相互作用を働かせる間に、ある程度意図してモンスターを解放してる所もあるのかな、などと。
それは所謂魅せるプロとしての覚悟と言う所なのかもしれないが。

なんかそう言う熱、と言うか強さみたいな物を阿国さんの舞から感じた。
見たいんだろう?じゃあ見せてやるよ by熊川哲也 に近いものと言うか。

買っちゃった事の言い訳を誰に対してしたんだか、よく分からないけれど、とにかく来月までは生きねば。
そして今度こそ気持ち悪くならずに東京に着かねば。
あ、年末のドームもあるんだった。
じゃあとりあえず、今年は生きねば。

明と暗の両輪

  • 2017.05.24 Wednesday
  • 22:17
うーん、氷艶を観てからと言うもの物思いが止まらない。
エンターテイメントとアートというものについて。

氷艶は本当に鮮やかで艶やかな衝撃だった。
衝撃と言っても投げつけられるような乱暴な物ではなくて、もっと身体に当たった瞬間弾け飛ぶ様な光の様な余韻が終始あのリンクから放たれていたような感じ。

あー、なるほどーと思った。
これがエンターテイメント、それも一流のやつだと。
私が今まで好き好んで見てきたライブや舞台って、いわゆる煌びやかな物よりも日常の扉を開け間違えたら迷い込んだみたいなものが多かったので。
(イエローモンキーは見た目はデコラティブだけれど、内的ノンフィクション性の方が個人的には重要なので)
いわば架空の世界や非日常の世界であっても、どこか自分と切り離せない部分を感じてきたと言ってもいい。
(あくまでその創造物、物語や映像や曲やパフォーマンスに対して抱くものであり、その担い手に対して思うのではないが)

ああ、こんな柔らかな衝撃もあるのかと。
まるでいつも男とケンカでしか愛を伝えあえなかったのに、突然他の男から慈しみと言う愛を与えられて戸惑っている女の様です。
ま、金払って自分で与えられに行ったんだけども。はは。

何て言うんだろうな、全てが「明」と言うか、プラスの磁場だらけと言うか。
それはその演目そのものと言うよりも氷艶と言うプロジェクトに関わった人達、その熱意、その努力がきちんと正しい方へ向いていて、誰もがそれを疑わずに進んだからかもしれない。
それは多分世界初の試みである氷艶を絶対に成功させたいと言う、プロフェッショナルな静かな意地もあっただろうし、やりながら携わる人達も凄いものになると言う確信があったからかもしれない。
要は幸せな空気が、あの代々木の体育館に満ちていた。
演じる側と見る側との間にもそんな幸せのやり取りがあった様に思う。
本当に手放しで素晴らしいエンターテイメントだったと、心から思う。

…だからこれは私の至極勝手な夢であって、氷艶とは一切関係が無い事なのだけれど。
私は高橋大輔にもう少し、いやぶっちゃけ正直に言えばもっともっとindividualな世界を、パフォーマンスで見せて欲しいと思ってしまっている。
義経はかっこよかったよ、とっても。
高橋大輔と言う人はそうしたエンターテイメントのパフォーマーとして申し分無く素晴らしいけれど、同時に独自過ぎる路線を行けるアーティストでもあるから。少なからず私はそう信じているので。
(今回も阿国の舞はその力量を遺憾なく発揮して下さって、あれだけで行って良かったと思ったけど)

氷艶の様な超一流のエンターテイメントも素敵だ。
もう一度見たいと本当に思っている。 でも胸を突かれる様な、えぐられる様な物も見せて欲しいんですよ。変態なので。
ストーリーが暗いとかそう言う意味では無くてね、彼ならば何かスケートをスケート以外の物に、ダンスをダンス以上の何かに出来るんですよ、てかもうしてるし。
その変化を私の視力と高橋大輔の気力体力が保つ所まで見てみたい…と言う変態の勝手な願望ですが…。

あ、浅ましいなあ、私は(笑)
でも期待してしまうんだよなぁ…。

国生み成さん 〜氷艶2017「破沙羅」〜

  • 2017.05.22 Monday
  • 02:10
行って来ました、氷艶。
5月20日の夜公演。
辿り着くまでが…厳しかった(泣)
何と言うかまあ、体調がアレでアレでして。その上前々日から何だか肩から手首にかけて腱鞘炎の様な症状が出たりして。
貼り薬、塗り薬、ビタミン剤等々駆使して、ようやく痛みが引いたかと思ったらアレで。
また痛み止めを飲んだり、金曜は仕事を終えて帰宅後、睡眠を多めに取ったりしたのだが。
初めてでした、新幹線の多目的ルームなるものを使用したのは。
新幹線に乗るや否や、途端に体調がおかしくなってしまって。座っているのすら苦痛。隣の座席が空いていたので、横になってしまおうかとも思ったけれど、何せやまびこ。
停車駅が多いので、逡巡している間にどんどんと気分が悪くなってしまった。
宇都宮を出た辺りで、車内販売のお姉さんが通りがかったので、隣の座席を使いたいと申し出ると、多目的ルームの事を教えて下さった。
可動式の座席が2つ備え付けてあって、1つの背もたれの部分を動かすと簡易ベッドが出来上がるので、東京駅までそこで唸っておりました。ははは。

しかしあそこで横になれなかったら、私は途中で代々木体育館へ行くのは無理だったかも。
1時間足らずではあったけど、そこで横になれたのが効いて何とか辿り着けました。半ば意地です。

大方の情報は出回っているでしょうが、楽日が残っておりますので、感想などは下へ記したいと思います。
※以下公演内容へ触れます。

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さよなら黎明期

  • 2017.04.24 Monday
  • 23:21
自分が年齢を重ねて、感覚が鈍麻したように感じてしまう。
脳が疲弊していて心を感じる余裕が無いのか、それとも目にしているものが以前より希薄なものになってしまったのか。
何についてとは言わず、全般的にそんな傾向が強くなってしまった気がする。
良いものは必ずあるのだけど、私が若かった頃はもう少し容易く手に取り、目に出来た様に思うけど、単純に自分に割ける時間がないからなのかな(笑)
割と遠くへ足を運び、時間を使わなければ良いものに出会うことが難しく感じている。

要は薄っぺらいのだ。
口に入れても瞬間的に人工的な強い甘味を感じたら、すぐに溶けてなくなるような、一向に腹の膨れない食べ物の様なものが増えてしまった。

先週末の国別対抗戦を見ていて、更にそんな感じになった。
まあ、私も老けたし、若い子の表現に感銘を受けなくても致し方あるまいとも思った。
でもふと思う。
10年位前、フィギュアの人気が高まった時トップを争っていた選手達も、今の選手達とほぼ同じ様な年齢ではなかったか。
もちろん私も10年分若かったけれど、既に親にもなっていたし表現における好悪の感覚は今と殆ど変わりはなかったと思う。
テレビで見るだけの私でも、国内海外問わず当時の選手達は、何と言うべきか、各々の理想がそれぞれ違う感じで、それは優劣の話ではなくて、パーソナリティやアイデンティティに近いもの、自分の道をそれぞれが追い求めている感じと言うか。
ま、端的に言えば個性的で覚えやすかった。
体の動かし方一つとっても似た所が無いと言うか。
だから特にフィギュアのファンと言うわけで無くても、海外の選手ですら覚えているのだと思う。

これに賭けている、と言う様なギリギリの真剣さの様なもの誰からと言わず感じていたのだけど、今の選手達からはそう言う強さが感じ辛い。
それは真面目に練習をしていないとか、そういう態度の話では無くて、フィギュアスケートと自分の存在は不可分であると言うような根幹につながるもののように思える。

ほんの7年前まで男子シングルにおいてアジア人がチャンピオンになった事が無いと言う国だったのに、今や世界一フィギュアが好きな国になった訳で。
それは結局あの当時の選手達が、個人差はあったかもしれないが、どこかで自分が開拓していくと言う責任感があったからなのかなと思った。
プレッシャーもかけられていただろうし。

別に今の選手が呑気にやっていると言いたいのでは無く、黎明期から発展していく当時の選手達の熱さが懐かしいなあと思っただけだ。
テレビから、しかも忘れてない時だけ見てた人間でも、いやだからこそかもしれない、隆盛していく彼らの姿は若々しく凛々しく美しかったなあと思う。
…結局歳を取ったって事ですなぁー。

まあ基盤が出来た後ってどうしてもある種の余裕って言うんですかね、瓦礫だらけの道を避けたり整備したりしながら歩くのと、ある程度舗装された道を進むのとでは違いますしね。
だからマンネリしてきたら敢えて壊すって言う手もあったりするんですけどね。
まあ、大きな組織じゃ無理ですよね、あはは。

良い時代を見せてもらってたんだなあ、と思った。
私は何でも黎明期に弱いんだよなぁ…
あの独特の熱さと言うか、高揚と言うか。
だから古代エジプトとか縄文時代とかに弱いんだよなぁ…
火の鳥も黎明期が一番好きなんだよなぁ…

何の話か分からなくなってきた。
明日も早いからもう寝よう。

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