矛盾しない矛盾

きれいは汚い
近いは遠い
熱いは冷たい

贅沢者だな、と自分でも思う。
でもつい望んでしまう。
何かを見る時、触れる時、そこに相反するものが同時に存在する事を。

陰影のあるものが普段目にするものでも、アートにおいても本当少なくなった。
人間もそうだ。
味わい深い滋養を含んだ人が減った。
全てがインスタントになった世の中では、表現にすら解説や分かりやすさを求める様になった。
私達は身の回りのツール、特に通信機器に関しては異様なまでに進化させた。
それなのにみんな淋しそうだ。


今は中々相反するものを抱えて魅せてくれる人や物は少ない。
そして全てがほどほどで、迸る様な抱えきれない感情も喜ばれない。
どうしてだろう?
溢れてこぼれた誰かの感情はそんなに迷惑だろうか?
私なんかはそんな場面に運良く出くわしたなら、思わずときめく。
その感情が喜ばしいものであれ、悲しいものであれ、感情が生まれてくる瞬間に立ち会えたならば。


私は吉井和哉を見ると、大体の形容詞が彼に合うことに時々驚く。
官能的でありながら禁欲的。
優しいのに冷たい。
大局的なのに視野が狭い。
女の悲しみを持ちながら男の無神経を持ち合わせる。
本質を見抜くのにアホ。
分かってるのに分かってない。

そして高橋大輔を見ると、まだまだ隠してるものがありそうだぞと思う。
冷たい炎。
冷静な黒豹。
親しみを込めて言うさようなら。
愛した時には終わっていた。
清廉な魔物。


今書いてみて気がついたけれど、彼らそれぞれの表現から受け取るものの差が如実で面白い(笑)
吉井和哉の場合は本人が意図的に裏切る様な所もあるし、やはり歌詞の影響もあるからか、より具体的。
対して高橋大輔の場合、イメージで捉える事が多いんだろう。
後プログラムのイメージも作用しているのか、抽象ばかりが脳を掠める。

本来人は絶えず揺らぎ、多面的な生き物だ。
こう見せたい自分とか、こうありたい自分を宣言する様なものを表現とは呼びたくないのである。
強さと弱さは同居し、嬉しさと悲しみは混じり合う。
それを無理なく魅せられる、そう言う人や表現がもっと増えたら良いのになぁ。


嬉しいけれども先立つものが…

LOVE ON THE FLOOR再演おめでとうございます〜。

何と言っても床ダンスがもう一度見られるのが嬉しいですねー。やったー。

と思ったのも束の間、先立つものがありませんよ。
だって氷艶があったからさ、先に買っちゃったじゃん。
しかもアリーナ席は諦めたけど、S席かSS席か迷って結局えーいこの、とSSにしちゃったしさ。
まさか翌月にLOTF…。

…うー…
でもシェリルさんとのW主演…
…うー…
でも息子の学校がまだどうなるか分からないし…
…今年の後半にはイエローモンキーの映画とドームもあるし…
…うー…

チケット代はまだいいけどなぁ…交通費と宿代がなぁ…

まあ、一般発売までまだ少し時間あるし、その頃には学校決まるしな…。
悩めるのもまた幸せ、と言う事で…。

た、宝くじ当たらないかなぁ(笑)


やさぐれの美学

いやぁ、今年のインフルは何ともタチが悪い。
なんとかようやく通常生活に戻りつつあるけれど、胃腸炎のような症状と脱水気味で低体温になった時は、もはやこれまでか…と呟きそうになった。
熱は大したことないけれど、本当に今年のはかからない方が良いです。
皆様どうぞお気をつけてください。

いやぁぞくぞくと上げて頂けるAOIの大輔動画。
こみ上げる感じで極まった様なチューリッヒの最終公演から、ローザンヌではちょっと枯れた感じが入って来て良い意味での気だるさが感じられた。
(いや、キャラバンも見てます、見てるんですけども。)

率直に申し上げて私はフィギュアスケーターと言う括りの中では抜きん出て高橋大輔にしか興味が無い。今更だけど。
なので一般的な目線でしか言えないのだけれど、フィギュアスケートと言うジャンルでやさぐれ感があんなに出せていいのかと、つい思ってしまう。
例えば高橋大輔と言えばタンゴ、と良く言われるけれど、ラテンの似合い具合とやさぐれへの親和性は同じ所から来ている気がしてならない。

私は個人的にとても南米の人達、特に女性の佇まいが好きだ。
彼女たちの熱帯の陽射しがもたらす明るさは生のエネルギーに満ちている。
その一方で、侵略の歴史がもたらした痛みの為か、不安定な経済や決して良いとは言えない治安の為か、時折そこにふと濃く深い闇が差す。
その闇を振り払うかの様に身体中の全エネルギーを込めて踊り狂うタンゴ。
あらん限りの情熱を込めて、たった一人の誰かに向かって行く。
それは側から見たら怒りにも似ているかもしれない。

私はなぜだかその、痛みの歴史を背負いながら力強く愛を求める南米の女性が好きなのだ。
生きている感じが、とてもする。
裸足で大地を踏みしめて、傷だらけの足で、まっすぐ前を見据える様な強さが好きだ。

そしてこれもなぜだか、その感じが高橋大輔からもする。
それがとても不思議なのである。
公表されている限りの彼の生い立ちや、選手としての競技生活を考えてみても、今ひとつしっくりこない。
もちろん彼の競技生活に怪我とリハビリによる痛みは切り離せないものだし、恐らく今の彼の人となりに少なからず影響を与えているとは想像は出来るけれど。
そう言った後天的に与えられた試練では無く、もっと根源的な怒り、生まれた場所や性別に捕らえられてしまう様な、如何ともしがたい事に対して生じる内側へ向かう憤りと言うか。
そう言う背景がないと、なかなか出てこないものの様な気がするのだけれど、こればっかりはもう分かりようが無い。

タンゴにせよやさぐれダンスにせよ、そこに何らかの負のエネルギーが必要だと思うのだ。
タンゴはまだやり易い様に思う。
誰でもきっと身に覚えがあるだろう。
怒りに任せて普段発揮できない様な力を出して、目の前の難題を片付けてしまった様な経験が。
私にもある、あんな美しいものを生み出したわけじゃないけれども(笑)

ただやさぐれはそのままやさぐれていれば良いとは思わない。
下手したら見ているこっちまでブルーな気分になってしまう。
それを悲哀に切なさに、状況如何に関わらず人の魂が求める事に変わりはないのだとか、そんな事まで思わせる様な表現へと昇華させるのは、正にmagicと言われる所以だろう。

やさぐれて様になる男と言うのは、女もだけれど早々いるものでもない。
まず容姿大事だしね(笑)
でも容姿が良いだけでもダメだしね。
もしかしたら一番大事なのはやさぐれた自分を自分で哀れに思わない事なのかもしれない。
どんな状況にあっても自分に期待し続ける事が、あの思わずため息をつきたくなる様なやさぐれが生まれるのかな、なんて。

しかしながら、見に行かれたファンの方やメディアから出される写真。
それぞれに素晴らしいけど、どこを取っても一切力みが感じられない。
それなのに指の先に至るまで完璧なフォルムで。
なんて言うかもうおっさんの様に「かーーっ!」って言いたくなるよね。
本当に四肢の自由さが羨ましい。
一回貸してもらいたいものだけども、このボロボロのおばちゃんの体を貸すのもあまりにかわいそうなので、やめておきます。


感情の育て方

なんと子供が持ち帰ったインフルにかかってしまった。
記憶が正しければ20年位引いてなかったのに。
子供がかかって来ても、側で看病しようとここ10何年と言うものかかった事がなかったので、油断しまくって居た…。
イナビルと漢方薬を貰って、少し落ち着いたけども、来年からは粛々と予防注射をします…。


とまあ、熱に浮かされながらも見たい。
何を。
大輔を。AOIを。
お裾分けして下さる方々の恩恵に預かりたい。
ゲホゲホしながら見せていただきました。
届かないとは知りながら、UPして下さった方々本当にありがとうございます。
お陰様でインフルの治療薬となりました。
2017.2.5 夜公演

ありがたい事に殆どの公演の映像を順々に見ることが出来たので、回を増す毎に変化して行く様子が手に取るように分かった。
そして何より皆さん撮影が上手い(笑)
本当に素晴らしいです。重ねてありがとうございます。

前回初参加のAOIでのコラボ、ネリーさんとのTurn off the Light。
あの時はあの時で度肝を抜かれたのだけれど、今回のジェームズ・モリソンとのコラボは初回からある程度の完成形みたいなしっくり感があって。
前回はノリで攻めるタイプの曲だったけれども、今回のはもうストーリーありきと言うか、設定があってのプログラムで。
まあ、だからなんて言うか最初から、あ、これ好きだなって言うやつだった(笑)

キャラバンは正直どうなんだろう?と初めは思ったけれど、今回のAOIのテーマ自体がNYと言うことで納得。
と言うかもうコラボ曲との表裏ですよね、これ。
大概良い曲ってCWに多いのと同じやつですよね。

回を追って見てすごいな、と思ったのは感情の育ち方だ。
初回の方は悲哀や切なさはあるのだけど、そもそもの所作の優雅さや美しさがあるので、なんだかあのホームレスの人きれいだわ、みたいな印象があった。
て言うかまあそれで勿論十分なんですけどね、ショーなんだし。
エッセンスとしてそう言った悲哀を持ち込めれば良い訳で。
でもどんどんと進む毎に、決して所作が荒くなったとかそう言う訳ではないのに、自分の中の隠しきれない後悔や焦燥や憤りを体が制御出来ないような荒ぶり、しかしながらそれを解消するだけの力が無いことへの無力感と諦念と言うか。
先にお借りした動画、チューリッヒ最終公演ではちょっとそれが切羽詰まる位の勢いで出て来ていて、どきっとする。
数日間でこのプログラムの感情がグイグイとその深度を増して、洗練と泥臭さが同居する様な、そんな対比を一つの体で行なっている事。
最終的に…すごい、しかないって言うね(笑)

そして、2月4日の公演 の夜?なのかな?
これ、私は初見で単なるバージョン違いとして受け止めてしまったが、それ位ナチュラルだったのに、ジェームズ・モリソンさん歌詞間違いしちゃったのですね。
そう知ってて見返すと、間違った所でほんの一瞬だけ躊躇が見られると言えば見られるが、コンマ何秒ですぐに対応してバタフライを入れたり、また戻った歌に合わせたり。
やっぱりこの人は柔らかく見えて意地があるなぁと。
誰にも恥をかかせず、客には気付かせず。かっこよすぎやしないですか、ちょっと。

後Person I should have beenのイントロの所、ステージ上のクラウンが鏡を運んで来て、ホームレスの高橋大輔が登場すると同時に鏡の中に去ると言う演出もオサレですねー。
ああ言う演出をサラッとやる所が素敵ですね。押し付けがましくなくて。

…私は役者ではないので、感情の育て方と言うのは良く分からない。
もちろんそう見えるテクニックというものも存在するだろう。
でも私は高橋大輔の演技、特にああして感情がむき出しになるタイプのプログラムだとそれが「そう見えるテクニック」に寄って引き起こされているとは、どうにも思い難い。
特に今回のコラボは「スケート」と言う括りを見ながらにして忘れる時があった。
ジャンプが入ったりすると、あ、そっかと思う程に。
フィギュアスケートでもダンスでも演劇でも無い、でも確かな身体芸術ではあって。
あの今高橋大輔がやっている「あれ」は後世に引き継げるものなんだろうか?

…それはそうとポゴリラヤちゃんが可愛い…
息子の嫁に欲しい…無理だけど…

The Person I should have been

Art On Ice2017始まりましたー。
もちろんエアではありますが、良いですね、この世界には楽園があるんだなぁと思います。
いつか例えばおばあさんになっていたとしても、高橋大輔が滑っていなかったとしても、いつかそんな楽園に行ってみるために生きていこうと思えます。

今年はまたアーティストが豪華で。
チャカ・カーンとかすごっ(笑)と思ってしまった。

高橋大輔はジェームズ・モリソンとのコラボで、チラッと早速上げて下さった方のおかげで見られた。

ジェームズ・モリソンの声は個人的に好きな系統のしゃがれ具合で心地良い。
もんたよしのりやジャニス・ジョップリンまで行くと私としてはずっと聴くにはちょっと辛いけど、ジェームズ・モリソン位のハスキーさが聴き続けるには耳に丁度良い。
手触りの良い薄めの布が肌をスルッと撫でていく感じ。

プログラムの感想は、浅ましくて申し訳ないけれど(汗)、きっと他にも上げて下さる方もいらっしゃるのでは、と期待に期待をして、もう少し拝見してから書きたいなぁ。

『Person I Should Have Been』
ジェームス・モリソン
I’m gonna start again
(もう一度始めようと思うんだ)
This world I painted black
(黒く塗ってしまったこの世界に)
Just needs some colour
(ただ少し 彩りが欲しいだけ)
I’m gonna live my life like the other
(他の人たちの様に 人生を生きたい)
Person I should have been
(あるべき姿の自分で)
I ain’t tapping out, no no no no
(降参してるわけじゃない 違うんだって)
To this dark and twisted dream
(この暗闇とねじれた夢に)
That’s kept me living
(生かされてる)
I pray to my soul
To keep its fire burning
(その炎が消えないように 自分の魂に祈る)
And when it does I’m gonna let it shine
(もしそうなったら もう一度輝けるだろう)
I’ll make the best of this life I’ve got left
(残された時間を この人生の為に最善をつくすよ)
Got no time for no regrets
(後悔ばかりしてきたんだ)
Gonna show you just what I can be
(やればできるって君に見せたいんだ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分で)
And it might take time, take time
(それには時間がかかるだろう 時間がね)
'Cause this life has taken it right out of me
(人生はすぐに時間を奪ってしまうから)
I wanna change my perspective of reality
(今見えてる景色を変えたいんだ)
Be a much better version of me
(もっと良いバージョンの自分になるよ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分で)
I make the best of this life I’ve got left
(残された時間で この人生を最高にするよ)
Put my sincerity to the test
(自分の誠実さを試して)
Wake up my senses finally
(自分の感覚をようやく起こして)
The water washes me clean
(水が俺をきれいに洗い流していく)
What shouldn’t have been has all been done
(今までのやってはいけなかった事すべて)
If I don’t get a grip
(もし冷静になれなかったら)
Then the world has won
(それは世界の勝ちだ)
Making me think that I’ll never be
(そうはならないって思わせてよ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分に)
Who am I now?
(俺は今一体誰なんだ?)
A lonely man that’s fallen down
(崩れ落ちた寂しい一人の男)
No I can’t change
(無理だ 俺は変われないよ)
The past that time has all burned out
(過ぎ去った時間はもう燃え尽きた)
But I know somewhere inside of me
(でも分かってる 心の中どこかで)
Is the person I could have been
(そういう自分になれるって)
Make the best of this life I’ve got left
(残された時間で この人生のベストを尽くせ)
Got no time for no regrets
(後悔ばかりしてきたんだ)
Gonna show you just what I can be
(やればできるって君に見せたいんだ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分で)
What shouldn’t have been has all been done
(今までのやってはいけなかった事全て)
If I don’t get a grip
(もし冷静になれなかったら)
Then the world has won
(それは世界の勝ちだ)
Making me think that I’ll never be
(そうはならないって思わせてよ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分に)
I said the person, person I should have been
The person, person I should have been The person I should have been
I said the person, person I should have been


全くの素人の意訳なので、生ぬるく受け止めて頂ければ幸いです。
韻を踏んだりしてるので、なかなか日本語にしてもうまいこといかない感じもあったけど、やっぱり訳詞って難しいすねぇ…。

「沼」と言われる国

映画「沈黙」を見る。
原作は恐らくだけど、10代の頃に読んだ。篠田正浩監督の撮った方の沈黙も子供の頃に見た。
母が遠藤周作の本が好きだったし、一時若かった頃に洗礼を受けるべきか否か迷った様で、遠藤周作の描く物語の中にどこか自分と似た様な感覚を覚えている様だった。
海と毒薬も深い河も、今思えば人生の何たるかも分からぬうちに身近な物として読んでいた。
日本人である篠田正浩監督の「沈黙」とアメリカ人でご自身も神学を学んだと言うマーティン・スコセッシ監督の「沈黙」。
撮る人の視点が何処にあるのか、遠藤周作の「沈黙」を右と左から見た様だった。
以下、本編に触れる為追記。



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日々雑感

始まったと思ったらもう月末になりそうな2017年1月。
今年もよろしくお願いします。

年明け一発目の記事があんまり良い話題ではないのだけど、ちょっと引っかかったのでなんとなく。

ヤフーやらLINEのニュースやらで出てしまったけれど、ONE OK ROCKのTakaさんのインスタ発言。
とりあえずインスタのアカウントは持っていて(一切投稿はしていないけど。見る専用。)、彼のアカウントもフォローしていたからニュースになる前に見ていたけれども。
率直に言うなれば「やっちゃったな」と思った(笑)

内容としてはアメリカのツアー先にまで付いて来る一部の過激なファンへの苦言なのだけれど、そこについてはいくら有名人とは言え四六時中見張られてるように付きまとわれては精神的に参るだろう。
あまりの酷さに本音を漏らしたくなる気持ちもわかるし、何より人としてのマナーを守れないファンが一番悪いと思う。
そこは良いのだけど。

私が個人的に引っかかったのは、何のために海外でツアーを回るのか、その意味をもう少し考えて欲しい、会えるからと来る場所ではない、と言うような文章があったからだ。

正直に言わせてもらうと、彼はファンと言う存在に何を期待してるのか?と思ってしまった。

ファンと一口に言ったって良識のある奴もいれば、今回苦言を呈されたようなキ◯ガイじみた人も居る。
一日中ワンオクの事を考えてるような奴もいれば、都合があえばライブに行く程度のファンもいる。
その多種多様なファンに何でワンオクが海外でライブをするのか、その意味を考えてくれ?
それはちょっと甘えじゃ無いかなと。
彼らの夢は彼らの夢だ。
誰に邪魔立てされる事なく、やりたいように叶えたら良いと思う。
その結果が爽快で素晴らしいものであれば単純に見ていて嬉しいだろう。
でもそれをただ見ているに過ぎない他者に説明もせず理解しろと言うのはどうかな?
ワンオクがワールドクラスのバンドになりたいと頑張ってきた事は、ちょいちょいしか覗いてない私でも分かります。
でもその叶え方、方法論までは申し訳ないがエスパーではないので、メンバー皆さんの頭の中までは分からない。

今回の事で察するに今はアメリカで現地の人に聞いてもらって現地のファンを増やしたい、できるだけ多くの現地の人に知って欲しい。
その為には既に大ファンである日本人の君達はちょっと下がっててよ、と言う事だと思う。
その気持ちは良いも悪いも無いし、彼らの選択であるから別に批難する程のことじゃ無い。
要はそれを言わずに分かれと言う姿勢が、私個人としては如何なものかなと思う。

言わなくても分かるだろ、なんて言うのはどんな関係にある人に対しても甘えが過ぎると思う。
ましてや一バンド対多数のファンと言う関係ならば、尚更説明した方が良かったと思う。
日本でのライブの際にでも「今度のアメリカのツアーは出来るだけ多くの現地の人に聞いて欲しいから、日本の方は遠慮して欲しい」とでも言えば良かった話じゃないかと思う。

ルールを作りたくないとかも書いていたけど、あれだけ大多数のファンがいるんだから(笑)。
良識だけで済む範囲は越えてると思う。

私のように気まぐれにワンオクも居たな、なんて思い出す位のファンとも呼べない人間に比べたら、その毎回アメリカツアーで最前列を陣取ってしまうファンの人達の貢献度たるや(笑)
それだけワンオクに魅せられてると言う事だし、そう言ったキ◯ガイレベルのファンが付いてこそ一人前のロックバンドでは無いのかい、と思っちゃう私は古いんですかねぇ。

あっさりとしたファンだけが良い、でも日本でのライブは当たり前に超満員てのは成り立たないと思うよ。

そりゃ何の許可もなく写真撮られりゃムカつくだろうし、ステージ出てったらまたお前らかよ…てな気持ちも良く分かるよ。
でもそれがワンオクの皆さんの生業なんだよ。
ロックバンドなんて言うのはものすごく高い理想と下卑た現実を両方手にして立ってなきゃいけないもんだと、私は思うよ。
そのどっちか一つ欠けたら、途端につまんないバンドになっちゃう。

これからもっとワールドクラスのバンドになって行く為に進むんだろうから、もっと強烈なファンが外国人の方でも出てくると思うけど、ワールドクラスのキ◯ガイも受け流せるようになるとかっこいいよね。
今日もいい天気だな、空が青いな、いつものキ◯ガイきてるなぁ、みたいに。

今のアメリカで熱狂的なファンを獲得するのは色々と状況的にキツいものもあるだろうけど。
(それと正直最新アルバムは…こう言うのがやりたかったんだね、と言う感想しか出なかったけど)
頑張ってね、若者よ。


また明日を待ってる

さっきJAMを聴き終えた。

THE YELLOW MONKEY初めての紅白。
メンバー達はずっと出たかったらしいが、一ファンとしては解散前も復活後もどっちでも良かった。
出演すると決まって、曲目がJAMと知った時も一番知名度の高い曲だからだろうと思っていた。

久しぶりに紅白を楽しみに迎えたけれど、何かしらバタつく年末。
お蕎麦を食べ終えてそろそろかなとテレビの前につく。
珍しく4人とも全身黒ずくめ。
真っ白スーツでも着るのかしらんと思っていたし、最近のキンキラ衣装に見慣れていたのでだいぶシックにまとめたな、と思っていた。

始まる前にヒーセが上を向いている姿が印象的だった。 曲の初めは少し緊張してるかなと思った。
主に吉井さん。
他の3人はあまり緊張が表に現れにくいけれど、吉井さんの楽器は生身だから、なんとなく。
でも2コーラス目からはなんだかグイグイ引っ張られるように画面から目が離せなかった。
最近のライブでも何度も聴いているのに、今日のJAMはなんだか凄かったのである。

ちょっとぼーっとして、それから年末のバタつきでチェックしていなかった吉井さんのメッセージを読んだ。
中原さん。
そうだったんだ。
何度となく吉井さんの口からも聞いていた中原さんのこと。
だから黒だったんだ。
だからあんなに引き込まれたんだ、さっきのJAMは中原さんの為だったから。
気がつくとスマホの文字が滲んでいた。
中原さんとメンバーとの関係性、その本当の所なんて私なんかに分かるわけはないのだが。
それでもなんか、中原さんが遺したもの、その意思や思い出なんかを失わずに今も彼らの中に生きているのだなと、そう思うと生きるって言うことはなんて切ないんだろうと思う。

何度も聴いたJAMの中で今日のJAMが一番胸に来ました、私には。

それはきっと解散してごめんねのJAMでもなく、また愛してくれてありがとうのJAMでもなく、みんな愛してますのJAMでもなく、中原さんの為のJAMだったからだ。

初の紅白の場を中原さんの為に捧げたTHE YELLOW MONKEYと言う人たちが、私はやっぱり好きだ。


こんな夜は会いたくて 会いたくて 会いたくて
君に会いたくて 君に会いたくて
また明日を待ってる




追記

先ほど紅白後のCDJで吉井さんの声が突然出なくなったと知る。
なんてタイミングだよ。
あなたの身体はこの世でたった一つの大切な楽器なんだから。
二度と作ることのできない楽器なんだから。
この一年本当にお疲れ様でした。
しばらくきちんと喉を休めて下さい。
きっとメンタルも関係していると思います。
ずっとこの一年吉井さん初め、他のメンバーも気を張ったままだっただろうから。
そろそろおじさんバンドのペースに戻して下さい。
まだまだあなた達の音楽は必要です。

いつの日かの情熱

今日の全日本フィギュアを見ていて、宇野選手の涙でつい2007年の世界選手権、フリー直後の高橋大輔を思い出した。
高橋大輔の方が手放しの号泣だったけど(笑)

それからつい、またどこかでこんな選手がいてくれないかと思ってしまった。


2010 JPN フリー


こんな風に痺れる演技をまた見たいなあ…








みんな違ってみんな良い?

自分への誕生日プレゼントとして舞台「大パルコ人 サンバイザー兄弟」を見て来た。
中々面白そうな舞台が仙台へ来てくれる事は少ないし、クドカンの舞台だし、年納めに笑いたかったので。
増子さんは本当に歌が上手いなぁ、当たり前だけど。瑛太くんも俳優さんなのにいい声をされていた。
まあでも何よりも皆川猿時さんに全て持っていかれたけど。仙台さんの話、忘れません(笑)


クリスマスオンアイス2016ようやく見られました。
まあもう前情報ですごいすごいと言う事はチラチラ検索して知ってしまってはいたので。

毎回後悔してしまうのだけど、もうほんとの事を言うと、高橋大輔の生演技は喉から手が出るほど見たい。
もちろんアイスショーのチケットが高額な事や日程的に難しい事、交通費や宿泊費なども考えるとおいそれとは行きづらいと言う事も、なかなか見に行けない要因ではある。
でもそれを差し置いてもそのショー自体が魅力的であれば、他の何かを我慢しも行くだろう。

スケートそのものに対して私の造詣が深くないからかもしれない。
でも私はやっぱり何かを人に見せるなら始まりから終わりまで、流れがあって欲しいらしい。
美しいスケーターが美しい衣装で優雅に滑るのはきっと、目に幸福であろうとは思うけれど。
でもせっかく3時間位あるのかな、その時間おのおののスケーターが自分のプログラムだけで見せるよりも、組み合わせて膨らませたならもっと何か広い世界が見えるように思ってしまって。
もったいないなぁと思う。

…まあその思いを差し置いても、今回は行きたかったなぁ…。
だってあのコラボは生でと言うか、空間として見ないと!全貌が本当には分からないやつですよねぇ…。

みんな違ってみんな良い、などと言いますが、今ってその解釈があまりにずさんな気がしていて。
人間の存在そのものは個々の違いは予め認められ尊重されるものだけど、表現や伝統芸能、伝統工芸などの世界においてはあり得ないと思っている。
身体表現はどうしてもその個人の体で行うから、作品もその個人も混同しがちだし、またまるっきり切り離す事も不可能なので線引きは見る方が己の目によって行わなくてはいけない。
稚拙なものと熟練者のそれを一つに括って「みんな良い」などと言うのは、どの分野でもいい加減やめて欲しい。

ステファン・ランビエール氏と高橋大輔は、まさにその違った良さが溶け合う訳でもなくぶつかり合うでもなく、正しく等しい重さ、等しい存在感で氷の上にあった。
今まで高橋大輔のコラボではあまり感じなかった事だ。
割とこれまで私が見た事のあるコラボだと、技術的には分からないが表現的にはあくまで相手に沿うと言うか、いつもの音楽に沿う感じを相手のスケーターの方に対してするように見えた。
あのAnthemの最中、ランビエール氏は自由だった。新緑の頃に吹く風の様な、手触りは優しいが捉えどころのない風。
でも高橋大輔はいつものコラボの様にランビエール氏に沿う感じはなかった。
「真摯」と言う概念が形を成したなら、ああ言う形なのだろうと思えるような一途さみたいなものを覚えた。
なんと言うか、二人の質はそれぞれ違うのに、違うと言う事は明確に分かるのにでも似ているような。
同じ種から全く違う花が咲いたかのような。
同等の存在感でもって、でも無駄な主張や誇張はせずに、それぞれがそれぞれの美しさを求めている。
それが何より美しいと思わせてもらった。

ふいに向かい合う時の二人の動きの柔らかさ。
あの間に入れてもらったら何か痛いところ治るんじゃないか、みたいなα波の様なマイナスイオンかヒノキチオールか出てませんか?と尋ねたくなる様な空気感がね。
ああこの人達は本当にお互いの存在を大事に思っているのだな、と全く関係の無い私ですら感じた。

ふとコラボナンバーが終わってからの二人のインタビューを見てて、あぁそうか、二人はこんなに身長差があるんだよねと改めて思った。
演技の最中は全く気にならなかったから。
氷の上での高橋大輔と言う人の大きさは実寸では計れない何かが出ているんだろう。

またランビエール氏がインタビューでとても嬉しそうだったのも、微笑ましかった。
彼の様な人は絶対に縛ったり縛られたりしてはいけない。
西風のゼピュロスの様にどこまでも自由に風を運んで欲しい。

ソロナンバーの時、3サルコウがあんまりにふわっとしてて、ジャンプって言うよりも本当に羽根が生えて飛んだようなエアー感で。
だからこそジャンプだけが特別にならず、プログラムが一つの世界になるんだろうなと。
やっぱり美しいものにはそれ相応の技術が必要なんですよね。


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