忙しいのは良い事です

忙しいという事はやる事があるという事で、それは幸せな事だよ、と前にポロっとこぼした愚痴に言ってくれた人がいて。
そうだよなぁと思うものの、何かを積み上げている感じがしなくて、ただすり減って行く(気持ちも懐も…)感じだけが残っていくと、あぁ砂にでもなって飛んでいきたいなぁ…などと春めいてきた埃っぽい風にふかれたりする。

…要は息子が公立に落ちました。
見事に落ちました。
結局私立に行く羽目に、まあ、羽目って言うのもあれだけど(笑)。
もう逆さに振っても鼻血も出ないとはこの事ですなぁ。あれだけ言ったのに。
ま、あれだけ勉強しない受験生も見た事無かったので、仕方ないねー。
高校では心を入れ替えて頑張って欲しいもんです。自分のためにね。

先日行われた世界フィギュアを、茶の間で見ていたんだけれど。
なんだろうなぁー、なんか私なんてワールドとオリンピックくらい、それも忘れてなければ見る程度の人間なのに。
そんな人間でも高橋大輔はもちろんだけど真央ちゃんが居ないって言うだけでさびしいなーなんて思ってしまった。
やっぱりあの男子も女子もトリノからソチ迄の世代って日本の一般層にとって、それぞれフィギュアの顔なんだろうな。
なんて言うか真央ちゃんまでがその区切りで、真央ちゃんが一人でもその場に居てくれると繋がりが残ってる感じと言うか。
まあ世代交代と言ってしまえばアレだけど。
なんかそれぞれ好みはあるだろうけど、ソチ迄の世代の選手は各々インパクトがあって覚えやすかったような。
個性が強かったと言うか。
もちろん世界のトップで成績を残してきたと言うのもあるけど、演技がそれぞれ濃かったなぁーと、漠然と思った。

女子も男子も見てても余韻が無いと言うか。
放送の仕方なのかもしれないけど、パラパラと演技が続いて慌ただしく終わっちゃうみたいな感じがしてしまった。
でもポゴリラヤちゃんが綺麗だったので満足です。

初めから終わりまでずーっと見て居た訳では無いけど、うーん、やっぱり高橋大輔が見たい、結局そこかよ的な感想になりますよね。
この前までやっていた松坂桃李くんのドラマ日暮旅人で、感情が形で見えると言う設定の主人公が、もう演奏を辞めてしまったミュージシャンに対して、「僕はあなたの感情のファンです。」って言う台詞があって。
あぁ良い言葉だなぁと思った。
私も多分高橋大輔の感情のファンだ。
彼が音楽にのせて届けてくる感情が好きなんだ、と思った。
他の選手やスケーター達がどうの、と、言う事ではなく、本当に感情が形になる現象を見せてくれて、しかもその感情そのものの形が美しいと思わせてくれるのは高橋大輔と言う人だと言うだけだ。

Art On Iceでのインタビューの日本語訳もありがたく読ませてもらったけれど。
彼の醸し出す感情が、なぜ人を酔わすのに品があるのかが分かるようなインタビューだった。
でもやっぱりかなりのハードスケジュールなんですなぁ。個人的にはスケートに絞っては欲しいなんて思っちゃったりするけど、そうもいかないんでしょうね。
もし何かを始めるとしたら人脈が多い事に越したことはないですしね。
今のハードスケジュールがきっと、いつか別の形で実を結ぶ時が来るんだろうな。

はぁ…私もこのままではいかんなぁ。
彼とは全然規模が違うけど、小さきものにも挑戦すべき事はあるのです。
今までが母子家庭だと言うのに、ケセラセラでやりすぎましたー。
つい頭の中に夢の世界があるので、なんだか息子とバカなことを言い合っては、ゲラゲラ笑って過ごしてきてしまった。
親なのに、親っぽいことあんまりしてこなかったなぁ…。反省。
でもつい息子と笑ってると楽しくて。
ご飯食べたし、息子笑ってるし、まあいいや、みたいな毎日だったし。
…幸せ、だったな(笑)。


でももう少し現実的に生きなくては(遅)
エレカシ聴いてがんばろう。

ロザーナ

どうしていつもTHE YELLOW MONKEYの曲はどこかさびしいんだろう。

去年1年間をアラフィフとは思えないエネルギーと怒涛の勢いで駆け抜けたおじさん達だが、今年も思ったより早めに情報が解禁された。
東京ドームの日程発表と、ベストアルバムの発売。
そしてFC限定で新曲「ロザーナ」の解禁。

イントロはLOVINSONぽいのかなと思ったけれど、ギターのカッティングがブレチャっぽくもあり。
ALRIGHTは再集結だったし、解散前のイエローモンキーを彷彿とさせるフレーズやメロディラインを散りばめていて、ビックバンのような衝動が感じられた。
砂の塔はもうドラマの当て書きみたいな曲だったからって、別に嫌いとかじゃ無いけれども、純粋な2曲目という捉え方もしづらかった。

でも新曲のロザーナは、何というか、ああ去年の再集結ツアーを経て、それぞれが意識的にイエローモンキーになろうとしなくても良い、今の4人にフィットする曲なんだろうなと感じた。

ありそうでなかった曲調で、でもやっぱり知っている様な気もする。
イエローモンキーあるあるではあるのだけど、なんかすごくどんどんピュアになって行ってる気がする。

先日公開されたメカラウロコの真珠色の革命時代の音源も、元々4人が持っていたんであろう少年性が際立っていて、何度も聴いた真珠色で思わず涙が出てしまった。
だってファーストアルバムの曲なのに。
当時よりもずっとずっと澄んでいる。

メカラウロコではほぼ毎回披露されていた曲だし、去年の再集結イヤーと言うスペシャル感のせいなのかなぁとも思っていたけれど、どうやら違ったみたいだ。
ロザーナもとても澄んでいる。
そしてやっぱりさびしい。
4人の音の絡まり具合は本当耳心地が良いんだけれど、それとは別の所で心の奥の方をどこか握り締められた様な、心の神経が絡まってひきつれたみたいに、ちょっと痛い。

少年性とは幼稚なものではなく、そして性別も関係なく永遠のピュアネスなんだと思う。
そう言う人を見ると何を思うわけでもなく、涙が出てくる。

涙の方が先に出る。

私もまた先に行かなくては。


二律背反

息子が無事義務教育を終えた。
それにしてもアレなんですかね、今の卒業式ってのはみんなあんな感じなのかな?
卒業生がやたらと感動的な催しをやって、なんと言うか感動詰め合わせ5点セットで19800円!みたいな。
まあいいんだけれども、もそっとすっきりした式であった方がこちらの思い入れを挟み込む余地があるって言うかね。
これだけやったら感動するでしょ、泣けるでしょ、ほら泣いて!それでも人なの!と責め立てられている気になってしまった。
ええ、ひねくれ者です。
年をとろうが親になろうが変わりません。
ま、有り体に言っちゃうとしつこいな、と思っちゃいました、あはは。

何はともあれ無事卒業出来たのは良いけども、何せ公立の合格発表がまだなので気持ちが宙ぶらりんだ。
…後はもう神頼みです…。


そんな関係で未だLOTF2は行けるかどうか分からないし、日程的にも行けそうなのは週末公演だけだし、むーんとなっている。

行けるかどうか分からないのだからやめれば良いものを、情報だけは見てしまってインタビューなんかも読んでしまって、気持ちだけが先走り。
誰か私に100万円下さい。

何個か読んだインタビューで、え、それ今まで本気で思ってなかったの、と軽く目眩がしたのだが。
シェリルさんに言われて嬉しかった事で、「表現に関しては素晴らしいものを持っている」って言われた事をあげていて、スケート以外の人でたくさんの表現者を見て来た人に言われたからと。
いやいやいや、とダチョウ倶楽部並にツッコミを入れたくなってしまったけど。
ほ、ほんとに気付いてなかったと言う事なんですかね。
それともデフォルトの控えめ発言故なのか。
むしろそう思いたい。
だって、いくら自分のパフォーマンスを生で見られないからと言って、映像だったとしたって一目瞭然じゃないか。
私が思う前からどんだけ多くの人がこれはもうフィギュアスケートと言う定義に収まるものじゃない、と思ってると思ってんの。
私はフィギュアスケートそのものにはそう大して思い入れが無いので、だからこそ余計に高橋大輔のパフォーマンスが全くの別物だと素直に思える。
訴えてくるもの、届くものの場所が全然違う。

例えばここからここまで、と区切った場所を「通常」の感情エリアとして、誰もがある程度共通して感じられる喜怒哀楽や爽やかさや華やかさとして、納得しきれる範囲だとする。
フィギュアスケートで求められるもの、又は表現し得るものは普通その通常エリア内に収まるものだと思う。
でも高橋大輔の場合、そのエリアを大きく逸脱し、もしくはそんな場所あったの!?みたいな未開拓エリアすら提示してくる。
しかも容易に名付けようの無い、苦しみとも優しさとも切なさとも儚さとも言えない、もしくはその全部と言うような、非常に境界線の曖昧なところを掬って差し出してくるのであって。

こんな事しといて「表現褒められました」と言われましても…。
いや、知ってるし、としか言いようがございません。

常々彼の才能のポテンシャルと自意識のズレを感じていたのだけれど、今回のこの発言でなんかちょっと分かった気がした。
ずーっとアートに携わっていたら、もっと才能と自意識が密接に存在したのではないだろうか。
もちろん彼本来の資質もあるだろうけれど、表現だけに重きを置かれる世界に初めから身を置いたなら、多くの天才的アーティストがそうであるように「自分」と「才能」の区別が付かなくなったかもしれない。(個人的にはそういうのも好きではあるけれど。)
でもフィギュアスケートと言う、スポーツにカテゴライズされるものでありながら、芸術性を求められると言う背反性。
その背反性ゆえに自分の表現者としての才能に溺れすぎない、と言うより溺れられなかった、のではないかな…。

私は何でも突き詰めてしまいそうになるので、つい「表現」だけに真っ向から対峙した高橋大輔を見てみたいなんて、勝手な思いを抱いてしまうけれど。
けれども、あの彼のパフォーマンスが持つ不思議な儚さは、なんか立つ鳥跡を濁さずみたいな儚さは、そういう心のバランスも影響してるのかもしれない、などと思ってみたり。


…あー…しかし、いつにも増して気持ち悪い事を書いてしまった。
高橋大輔さん、いつもすみません。
と、とりあえず謝っておきます。

流れ込む感情

ここの所久しぶりに高橋大輔のプログラム巡りをしていたら、改めて気が付いた。
いつも主に海外の動画を巡るのだけれど、解説の方達があちこちで「confidence」を連発するのである。
19才でまだシニアで結果を出せて居なかったスケアメでも、自信のある滑りと言われて居た。(あのラフマニノフ好きなんですよね〜)

日本の放送ではあまり聞かない表現だなと思う。
でも私としてはとてもすんなり納得出来る。
日本で「自信」と言うとちょっとオラオラ系と言うか、見せつけると言うようなニュアンスで受け取られる場合があると思うが、ここで言うところの「confidence」は確かなもの、揺るぎないものに近いのではないかと思う。

私はいつも高橋大輔が滑っている所を見ると、生きやすそうに見える。
自由度が増すと言うか。
私はそういう人達をこっそり「天然物」と呼んでいる。
普段の生活よりその表現に関わっている時の方が遥かに生きやすそうな人達の事。
ミュージシャンでもダンサーでも役者でも、注意して見ると意外と少ないのだ。
当たり前だが身体を使って行う表現やスポーツには型やルールがあったり、道具を使ったりして制限を設ける。
その制限の中で美しく躍動できるか、結果を残せるか競ったりするわけで。
だから面白いし、魅せられる。
でも天然物の人達はそうじゃない。
同じ事をしている人達の中でも格段に自由なのだ。
制限が制限にならず、むしろ自由さを与えている様にすら思わされる。
これは多分人より努力したからとか言う話ではないと思っていて、そう生まれつく人達が何百万人に一人とか、もっとかもしれないけど、そういう確率で生まれてくるのだと思っている。

もちろん高橋大輔が努力の人である事も存じているけれど、彼の人の心を容易く掴むと言う能力はやっぱり天然物だと思う。
スター体質って言うんですかね(笑)
彼みたいな人にはもう、うまい言い方が見つからないけど降参するしかないと思う。
天然物の輝きは養殖や人工では賄えない。
ダイヤモンドがジルコニアに負ける事なんて無いわけで。

それからまた改めて思ったのは、高橋大輔の手の表情のうまさ。
2007年のスケアメ(またかい)のロミオ。
途中のスローパートでジュリエットとの抱擁を思わせるような振付があるけれど、アメリカの女性の解説者が「ロミオの動きに思わず身を乗り出して見てしまう」みたいな事を言っていて(笑)

割とフィギュアの振付で顔に手を持っていくと言う仕草は多いように思う。
まあシグナルとして分かりやすい表現なのかなと思うが、大体の場合記号的な役割を果たすだけで終わる。
でも高橋大輔の場合、すごくうまいなーと思うのは、自身の手で自身の顔を撫でているだけなのに、それがあたかも愛しくて仕方ない人に頬を触れられた様に見えて、しかもその感覚をこちらにも覚えさせる事だ。
彼の感情にこちらを巻き込んでくるのだ。
だから思わずドキッとしてしまう。

愛しい人に頬を触れられて電気が走る様な心持ち。
…何十年前の事ですかなぁ…。
まあ今更弛んだ頬を触られても虚しいし、触られて嬉しい人も居ないのでいいんだけどっ。

何でかと言うとこれも恐らくだけど、他の人の場合単純に自分の顔に手を持っていくと言う動作なのに対し、高橋大輔はちゃんと顔ごと手を迎えにいく感じなのだ。
気持ち顔を傾けて手に沿わせる様な仕草になり、目線も気持ち下げ気味で手に注意を向けている感じがする。
ちゃんと好きな人に触られた時の人の動きを競技プログラム中(!)に再現している。

LOTFのグリーンバックなんかもうそれの最たるものと言うか。
その場で聴いた音楽であそこまで引き寄せられると、まあやっぱり降参するしか無い。

あんなに感情を的確にしかも熱狂や高揚、時には痛みすら伴って人に伝えられる。
フィギュアと言うか、高橋大輔のパフォーマンスはちょっと時々危険だなと思う。
音楽なんかはもう少し輪郭が曖昧なので、中心の熱や真意は伝わるけどその周辺は光が縁取るみたいに少しぼんやりする。
弾き語りで無い以上、パフォーマンスそのものにある程度の人数が関わるからかもしれない。
でも高橋大輔の場合音楽と彼だけなので感情が濃密なまま、こちら側に届く。
あんなに誰かの感情を濃密に受け取ることは日常において、親子だろうが恋人だろうがちょっと経験が無い。
しかも私なんて生はLOTFの1回だけで、映像から受け取ってるだけなのに。

氷上の高橋大輔を楽しみな反面、後に引けなくなったらどうしようかなと言う思いもあったり。
でもそれくらい強烈な体験であって欲しい思いもあったり。
ま、結局は氷艶が楽しみなだけですけどね。
…その前に、息子よ、頼むから公立受かってね。

ふうふ の重み

今シーズンのドラマはまず何と言ってもバイプレイヤーズ。
テレ東映らんし、と拗ねていたら一週遅れ?くらいでこっちでも放送してくれました。
ほんと嬉しい(泣)
どちらを向いても好きなおじさんしかいません、ありがとうありがとう。
木曜の深夜なので、録画して金曜日仕事が終わったらウキウキして見ている。
終わっちゃったら逃げ恥ロスどころじゃないかも…。

そしてもう一本楽しみにしているのがカルテット。
今日の回は全編切なかった。
真紀さんの方は何も悪くない。
でも夫さん(クドカン)も悪いって訳じゃないけど、弱い。
弱さは時に罪になる。

真紀さんは初めゼロ地点から夫さんとの交際が始まっていて。
でも夫さんは初めから真紀さんに高めのハードルを設定していて。
そういう人だと思っていた所からどんどん真紀さんが違う人だと分かってしまって。
でも全然悪妻じゃないし、かわいいし、良い嫁なんだけど。
求めていた真紀ちゃん像を初めに好きになっていた夫さんには、毎日が「いや違うから」って言う否定の日々で。

でも面と向かって「別れてくれ」って言わないズルさ、弱さ。
逃げられた方がまるで悪いみたいに。
最後必死にバイオリンを守ったのはせめてもの罪滅ぼしなのか、それとも自分が好きだった「真紀ちゃん」の象徴を無くしたくなかっただけなのか。
どっちにも見える所がとてもうまいなぁと思う。

真紀さん本人の語りより本当の唐揚げレモンのシーンはものすごくキツかった。
あれは聞いてしまったら私は荷物まとめてしまう方だなぁ(笑)
隣に寝ている人が、信用出来なくなって眠りが浅くなる時。
ああ、もう誰の隣でも寝たくないと思った。
それならば鍵をかけた部屋で一人寝た方がよっぽど熟睡できるもの。

夫婦、と言うたった二文字が示すもの。
いつだったか、通勤の途中で見かけたご夫婦がいた。
50代後半から60歳前後のご夫婦だった。
私はとにかく朝の通勤は急ぐことにしている。遅れていようが余裕があろうが関係なく急ぐ。
そうしないと元来無精者だから、仕事になんて行きたくないので、足が止まりそうになるからだ。
いつもは見かけないそのご夫婦。
ご主人の方はスーツにジャンパーでこれから出勤と言う出で立ちだったが、奥様の方は普段着にコートと言う感じで、何かしら用事があってたまたま朝一緒にお出かけになったのかも、と言う雰囲気だった。
割とゆったりとした歩調で進まれていたので、例のごとく私はシャカシャカとお二人の横を通り過ぎようとした。
その時ふと、お二人の会話が耳に入ってきた。
ご主人の方が奥様に空の方を指差しながら、ほらあそこが、とか何とかおっしゃっていて、それを見て奥様もあらほんとだ、とか、そう言うたわいない会話をされていた。
その瞬間私は自分でもびっくりしたけれど、泣きそうになってしまった。
お二人の会話の中に、今まで過ごしてこられたであろう時間が全て詰まっているように感じたのだ。
会話のテンポや声の大きさや、何よりそのお二人の波長と言うものが、喜怒哀楽の全ての時間に向き合い、時にぶつかり時に慰め、時に愛し合い、いがみ合いも。
ほんの数秒だったけれど、まるでお二人の寝室を覗いてしまったかのような気持ちになり、そしてこの世に二つと無い周波数を互いに通わせているという事に、心がグラグラッと動いてしまった。
それはとても甘やかで神聖なものを見たような気持ちになった。
そして私には今生で手に入らないものであろう事も分かった。
その日私は鼻を赤くし、若干目を潤ませながら会社に辿り着いたのだった。
全ての結ばれた人達が、皆そうなれる訳ではない。
結婚した時点で「好き」だったとしても、その「好き」がどんなものに変化していくかは当人の努力だけで解決するものでもないように思う。
結局先の事は分からず、転がる石は止められず、結婚した時点で「好き」なのだから正解も誤りも無いのじゃないだろうか。

でもね唐揚げにレモンやめてくれ、くらいは言えよ、と思う。
そしてそれを初回冒頭のシーンに持ってきていた脚本すごく好き。
唐揚げにレモンは不可逆。
私達の生きる時間もまた不可逆。


矛盾しない矛盾

きれいは汚い
近いは遠い
熱いは冷たい

贅沢者だな、と自分でも思う。
でもつい望んでしまう。
何かを見る時、触れる時、そこに相反するものが同時に存在する事を。

陰影のあるものが普段目にするものでも、アートにおいても本当少なくなった。
人間もそうだ。
味わい深い滋養を含んだ人が減った。
全てがインスタントになった世の中では、表現にすら解説や分かりやすさを求める様になった。
私達は身の回りのツール、特に通信機器に関しては異様なまでに進化させた。
それなのにみんな淋しそうだ。


今は中々相反するものを抱えて魅せてくれる人や物は少ない。
そして全てがほどほどで、迸る様な抱えきれない感情も喜ばれない。
どうしてだろう?
溢れてこぼれた誰かの感情はそんなに迷惑だろうか?
私なんかはそんな場面に運良く出くわしたなら、思わずときめく。
その感情が喜ばしいものであれ、悲しいものであれ、感情が生まれてくる瞬間に立ち会えたならば。


私は吉井和哉を見ると、大体の形容詞が彼に合うことに時々驚く。
官能的でありながら禁欲的。
優しいのに冷たい。
大局的なのに視野が狭い。
女の悲しみを持ちながら男の無神経を持ち合わせる。
本質を見抜くのにアホ。
分かってるのに分かってない。

そして高橋大輔を見ると、まだまだ隠してるものがありそうだぞと思う。
冷たい炎。
冷静な黒豹。
親しみを込めて言うさようなら。
愛した時には終わっていた。
清廉な魔物。


今書いてみて気がついたけれど、彼らそれぞれの表現から受け取るものの差が如実で面白い(笑)
吉井和哉の場合は本人が意図的に裏切る様な所もあるし、やはり歌詞の影響もあるからか、より具体的。
対して高橋大輔の場合、イメージで捉える事が多いんだろう。
後プログラムのイメージも作用しているのか、抽象ばかりが脳を掠める。

本来人は絶えず揺らぎ、多面的な生き物だ。
こう見せたい自分とか、こうありたい自分を宣言する様なものを表現とは呼びたくないのである。
強さと弱さは同居し、嬉しさと悲しみは混じり合う。
それを無理なく魅せられる、そう言う人や表現がもっと増えたら良いのになぁ。


嬉しいけれども先立つものが…

LOVE ON THE FLOOR再演おめでとうございます〜。

何と言っても床ダンスがもう一度見られるのが嬉しいですねー。やったー。

と思ったのも束の間、先立つものがありませんよ。
だって氷艶があったからさ、先に買っちゃったじゃん。
しかもアリーナ席は諦めたけど、S席かSS席か迷って結局えーいこの、とSSにしちゃったしさ。
まさか翌月にLOTF…。

…うー…
でもシェリルさんとのW主演…
…うー…
でも息子の学校がまだどうなるか分からないし…
…今年の後半にはイエローモンキーの映画とドームもあるし…
…うー…

チケット代はまだいいけどなぁ…交通費と宿代がなぁ…

まあ、一般発売までまだ少し時間あるし、その頃には学校決まるしな…。
悩めるのもまた幸せ、と言う事で…。

た、宝くじ当たらないかなぁ(笑)


やさぐれの美学

いやぁ、今年のインフルは何ともタチが悪い。
なんとかようやく通常生活に戻りつつあるけれど、胃腸炎のような症状と脱水気味で低体温になった時は、もはやこれまでか…と呟きそうになった。
熱は大したことないけれど、本当に今年のはかからない方が良いです。
皆様どうぞお気をつけてください。

いやぁぞくぞくと上げて頂けるAOIの大輔動画。
こみ上げる感じで極まった様なチューリッヒの最終公演から、ローザンヌではちょっと枯れた感じが入って来て良い意味での気だるさが感じられた。
(いや、キャラバンも見てます、見てるんですけども。)

率直に申し上げて私はフィギュアスケーターと言う括りの中では抜きん出て高橋大輔にしか興味が無い。今更だけど。
なので一般的な目線でしか言えないのだけれど、フィギュアスケートと言うジャンルでやさぐれ感があんなに出せていいのかと、つい思ってしまう。
例えば高橋大輔と言えばタンゴ、と良く言われるけれど、ラテンの似合い具合とやさぐれへの親和性は同じ所から来ている気がしてならない。

私は個人的にとても南米の人達、特に女性の佇まいが好きだ。
彼女たちの熱帯の陽射しがもたらす明るさは生のエネルギーに満ちている。
その一方で、侵略の歴史がもたらした痛みの為か、不安定な経済や決して良いとは言えない治安の為か、時折そこにふと濃く深い闇が差す。
その闇を振り払うかの様に身体中の全エネルギーを込めて踊り狂うタンゴ。
あらん限りの情熱を込めて、たった一人の誰かに向かって行く。
それは側から見たら怒りにも似ているかもしれない。

私はなぜだかその、痛みの歴史を背負いながら力強く愛を求める南米の女性が好きなのだ。
生きている感じが、とてもする。
裸足で大地を踏みしめて、傷だらけの足で、まっすぐ前を見据える様な強さが好きだ。

そしてこれもなぜだか、その感じが高橋大輔からもする。
それがとても不思議なのである。
公表されている限りの彼の生い立ちや、選手としての競技生活を考えてみても、今ひとつしっくりこない。
もちろん彼の競技生活に怪我とリハビリによる痛みは切り離せないものだし、恐らく今の彼の人となりに少なからず影響を与えているとは想像は出来るけれど。
そう言った後天的に与えられた試練では無く、もっと根源的な怒り、生まれた場所や性別に捕らえられてしまう様な、如何ともしがたい事に対して生じる内側へ向かう憤りと言うか。
そう言う背景がないと、なかなか出てこないものの様な気がするのだけれど、こればっかりはもう分かりようが無い。

タンゴにせよやさぐれダンスにせよ、そこに何らかの負のエネルギーが必要だと思うのだ。
タンゴはまだやり易い様に思う。
誰でもきっと身に覚えがあるだろう。
怒りに任せて普段発揮できない様な力を出して、目の前の難題を片付けてしまった様な経験が。
私にもある、あんな美しいものを生み出したわけじゃないけれども(笑)

ただやさぐれはそのままやさぐれていれば良いとは思わない。
下手したら見ているこっちまでブルーな気分になってしまう。
それを悲哀に切なさに、状況如何に関わらず人の魂が求める事に変わりはないのだとか、そんな事まで思わせる様な表現へと昇華させるのは、正にmagicと言われる所以だろう。

やさぐれて様になる男と言うのは、女もだけれど早々いるものでもない。
まず容姿大事だしね(笑)
でも容姿が良いだけでもダメだしね。
もしかしたら一番大事なのはやさぐれた自分を自分で哀れに思わない事なのかもしれない。
どんな状況にあっても自分に期待し続ける事が、あの思わずため息をつきたくなる様なやさぐれが生まれるのかな、なんて。

しかしながら、見に行かれたファンの方やメディアから出される写真。
それぞれに素晴らしいけど、どこを取っても一切力みが感じられない。
それなのに指の先に至るまで完璧なフォルムで。
なんて言うかもうおっさんの様に「かーーっ!」って言いたくなるよね。
本当に四肢の自由さが羨ましい。
一回貸してもらいたいものだけども、このボロボロのおばちゃんの体を貸すのもあまりにかわいそうなので、やめておきます。


感情の育て方

なんと子供が持ち帰ったインフルにかかってしまった。
記憶が正しければ20年位引いてなかったのに。
子供がかかって来ても、側で看病しようとここ10何年と言うものかかった事がなかったので、油断しまくって居た…。
イナビルと漢方薬を貰って、少し落ち着いたけども、来年からは粛々と予防注射をします…。


とまあ、熱に浮かされながらも見たい。
何を。
大輔を。AOIを。
お裾分けして下さる方々の恩恵に預かりたい。
ゲホゲホしながら見せていただきました。
届かないとは知りながら、UPして下さった方々本当にありがとうございます。
お陰様でインフルの治療薬となりました。
2017.2.5 夜公演

ありがたい事に殆どの公演の映像を順々に見ることが出来たので、回を増す毎に変化して行く様子が手に取るように分かった。
そして何より皆さん撮影が上手い(笑)
本当に素晴らしいです。重ねてありがとうございます。

前回初参加のAOIでのコラボ、ネリーさんとのTurn off the Light。
あの時はあの時で度肝を抜かれたのだけれど、今回のジェームズ・モリソンとのコラボは初回からある程度の完成形みたいなしっくり感があって。
前回はノリで攻めるタイプの曲だったけれども、今回のはもうストーリーありきと言うか、設定があってのプログラムで。
まあ、だからなんて言うか最初から、あ、これ好きだなって言うやつだった(笑)

キャラバンは正直どうなんだろう?と初めは思ったけれど、今回のAOIのテーマ自体がNYと言うことで納得。
と言うかもうコラボ曲との表裏ですよね、これ。
大概良い曲ってCWに多いのと同じやつですよね。

回を追って見てすごいな、と思ったのは感情の育ち方だ。
初回の方は悲哀や切なさはあるのだけど、そもそもの所作の優雅さや美しさがあるので、なんだかあのホームレスの人きれいだわ、みたいな印象があった。
て言うかまあそれで勿論十分なんですけどね、ショーなんだし。
エッセンスとしてそう言った悲哀を持ち込めれば良い訳で。
でもどんどんと進む毎に、決して所作が荒くなったとかそう言う訳ではないのに、自分の中の隠しきれない後悔や焦燥や憤りを体が制御出来ないような荒ぶり、しかしながらそれを解消するだけの力が無いことへの無力感と諦念と言うか。
先にお借りした動画、チューリッヒ最終公演ではちょっとそれが切羽詰まる位の勢いで出て来ていて、どきっとする。
数日間でこのプログラムの感情がグイグイとその深度を増して、洗練と泥臭さが同居する様な、そんな対比を一つの体で行なっている事。
最終的に…すごい、しかないって言うね(笑)

そして、2月4日の公演 の夜?なのかな?
これ、私は初見で単なるバージョン違いとして受け止めてしまったが、それ位ナチュラルだったのに、ジェームズ・モリソンさん歌詞間違いしちゃったのですね。
そう知ってて見返すと、間違った所でほんの一瞬だけ躊躇が見られると言えば見られるが、コンマ何秒ですぐに対応してバタフライを入れたり、また戻った歌に合わせたり。
やっぱりこの人は柔らかく見えて意地があるなぁと。
誰にも恥をかかせず、客には気付かせず。かっこよすぎやしないですか、ちょっと。

後Person I should have beenのイントロの所、ステージ上のクラウンが鏡を運んで来て、ホームレスの高橋大輔が登場すると同時に鏡の中に去ると言う演出もオサレですねー。
ああ言う演出をサラッとやる所が素敵ですね。押し付けがましくなくて。

…私は役者ではないので、感情の育て方と言うのは良く分からない。
もちろんそう見えるテクニックというものも存在するだろう。
でも私は高橋大輔の演技、特にああして感情がむき出しになるタイプのプログラムだとそれが「そう見えるテクニック」に寄って引き起こされているとは、どうにも思い難い。
特に今回のコラボは「スケート」と言う括りを見ながらにして忘れる時があった。
ジャンプが入ったりすると、あ、そっかと思う程に。
フィギュアスケートでもダンスでも演劇でも無い、でも確かな身体芸術ではあって。
あの今高橋大輔がやっている「あれ」は後世に引き継げるものなんだろうか?

…それはそうとポゴリラヤちゃんが可愛い…
息子の嫁に欲しい…無理だけど…

The Person I should have been

Art On Ice2017始まりましたー。
もちろんエアではありますが、良いですね、この世界には楽園があるんだなぁと思います。
いつか例えばおばあさんになっていたとしても、高橋大輔が滑っていなかったとしても、いつかそんな楽園に行ってみるために生きていこうと思えます。

今年はまたアーティストが豪華で。
チャカ・カーンとかすごっ(笑)と思ってしまった。

高橋大輔はジェームズ・モリソンとのコラボで、チラッと早速上げて下さった方のおかげで見られた。

ジェームズ・モリソンの声は個人的に好きな系統のしゃがれ具合で心地良い。
もんたよしのりやジャニス・ジョップリンまで行くと私としてはずっと聴くにはちょっと辛いけど、ジェームズ・モリソン位のハスキーさが聴き続けるには耳に丁度良い。
手触りの良い薄めの布が肌をスルッと撫でていく感じ。

プログラムの感想は、浅ましくて申し訳ないけれど(汗)、きっと他にも上げて下さる方もいらっしゃるのでは、と期待に期待をして、もう少し拝見してから書きたいなぁ。

『Person I Should Have Been』
ジェームス・モリソン
I’m gonna start again
(もう一度始めようと思うんだ)
This world I painted black
(黒く塗ってしまったこの世界に)
Just needs some colour
(ただ少し 彩りが欲しいだけ)
I’m gonna live my life like the other
(他の人たちの様に 人生を生きたい)
Person I should have been
(あるべき姿の自分で)
I ain’t tapping out, no no no no
(降参してるわけじゃない 違うんだって)
To this dark and twisted dream
(この暗闇とねじれた夢に)
That’s kept me living
(生かされてる)
I pray to my soul
To keep its fire burning
(その炎が消えないように 自分の魂に祈る)
And when it does I’m gonna let it shine
(もしそうなったら もう一度輝けるだろう)
I’ll make the best of this life I’ve got left
(残された時間を この人生の為に最善をつくすよ)
Got no time for no regrets
(後悔ばかりしてきたんだ)
Gonna show you just what I can be
(やればできるって君に見せたいんだ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分で)
And it might take time, take time
(それには時間がかかるだろう 時間がね)
'Cause this life has taken it right out of me
(人生はすぐに時間を奪ってしまうから)
I wanna change my perspective of reality
(今見えてる景色を変えたいんだ)
Be a much better version of me
(もっと良いバージョンの自分になるよ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分で)
I make the best of this life I’ve got left
(残された時間で この人生を最高にするよ)
Put my sincerity to the test
(自分の誠実さを試して)
Wake up my senses finally
(自分の感覚をようやく起こして)
The water washes me clean
(水が俺をきれいに洗い流していく)
What shouldn’t have been has all been done
(今までのやってはいけなかった事すべて)
If I don’t get a grip
(もし冷静になれなかったら)
Then the world has won
(それは世界の勝ちだ)
Making me think that I’ll never be
(そうはならないって思わせてよ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分に)
Who am I now?
(俺は今一体誰なんだ?)
A lonely man that’s fallen down
(崩れ落ちた寂しい一人の男)
No I can’t change
(無理だ 俺は変われないよ)
The past that time has all burned out
(過ぎ去った時間はもう燃え尽きた)
But I know somewhere inside of me
(でも分かってる 心の中どこかで)
Is the person I could have been
(そういう自分になれるって)
Make the best of this life I’ve got left
(残された時間で この人生のベストを尽くせ)
Got no time for no regrets
(後悔ばかりしてきたんだ)
Gonna show you just what I can be
(やればできるって君に見せたいんだ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分で)
What shouldn’t have been has all been done
(今までのやってはいけなかった事全て)
If I don’t get a grip
(もし冷静になれなかったら)
Then the world has won
(それは世界の勝ちだ)
Making me think that I’ll never be
(そうはならないって思わせてよ)
The person I should have been
(あるべき姿の自分に)
I said the person, person I should have been
The person, person I should have been The person I should have been
I said the person, person I should have been


全くの素人の意訳なので、生ぬるく受け止めて頂ければ幸いです。
韻を踏んだりしてるので、なかなか日本語にしてもうまいこといかない感じもあったけど、やっぱり訳詞って難しいすねぇ…。

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