種の輪

  • 2017.09.03 Sunday
  • 21:34
この子は破壊

この子は創造

この子は愚か

この子は知恵

この子は遊興

この子は修行

この子は真理

この子は夢幻

この子は諍い

この子は調和

この子は孤独

この子は絆

生まれる前に 体の芯に植えられた

取り出す事のできない種を

その成長に翻弄されて生きている

大きな大きな輪の中で

みな寂しさに震えながら

己が種の役割を果たさんが為生きている

ああ 愛と言うものが

その輪を構成しているのでなければ

種を抱えた我々は一体何を求めていけば良いのだろう


焼き芋

  • 2017.09.03 Sunday
  • 00:25
子供の頃、秋になると決まって周ってくる焼き芋のトラックがあった。

あの日本人なら、特に女性なら心をときめかせずにはおられない「いしや〜きいも〜、おいも〜」と言うフレーズが微かに聞こえてくると、本を読みながら寝っ転がっていても、ムクッと起き上がり、同じく家事の手を止めた母や、宿題をしていた姉と無言の合図を目で交わし、とりあえずトラックを止めるべく、私か姉、もしくは二人で脱兎のごとく外へと駆け出した。

焼き芋のおじさんはとても体が大きくがっしりしていて、色が黒くパンチパーマだった。
記憶の中ではアフロに近かったので、もしかしたらパーマでは無くて、天然アフロだったのかもしれない。
おじさんはいかつめの見た目に反して、ものすごく優しかった。私達姉妹が駆けてくるのがサイドミラー越しに見えると、遠くの方にいても止まってくれて、いつも必ずとてつもなく良い笑顔で迎えてくれた。

私は人見知りな上、特に大柄の男性に対しては僅かながら恐怖心を抱いており、通常なら焼き芋のおじさんは決して近寄れないタイプの大人だった。
けれどもそのおじさんの、春の太陽の様な笑顔と体に似つかわしくない繊細な話し声で、沢山話せる訳では無かったが、初めからおじさんの事が好きになった。

500円玉や千円札を握りしめて一人で行く時もあった。
不思議とおじさんはどんなに遠くから駆けていっても、必ず止まってくれるのだった。
そしてニコニコしながら古新聞の袋に美味しい所を詰めてくれ、大体おまけもしてくれた。

後から母に聞いた話では、青森から農閑期に出稼ぎに来ていたらしく、私達の様な姉妹のお父さんであったらしいとの事だった。
何年位だったのだろう、10年くらいはそんな楽しみが続いていたと思う。
おじさんが来なくなったのか、私達が家を出たのが先か、今となってはそれも曖昧だ。

秋から冬になると焼き芋が食べたくなるのだけれども、私の中でどうしても焼き芋とあの子門真人の様な髪型の、顔立ちはちょっとファンキーだったあのおじさんはもうセットになってしまっていて、ただ焼き芋を食べたのでは何だか寂しいのである。
ニコニコと焼き芋を差し出してくれる、あのおじさんから買いたいなぁとどうしようもない事を思ったりする。

思い出の味と言うのは厄介なものだ。
おじさんの焼き芋はもう食べられないのに、あの焼き芋が一番美味しかったと言う思いだけがずーっと残っている。


輪郭、というもの

  • 2017.08.15 Tuesday
  • 06:12
朝も早くから酔狂ではあるが、今私は「私」と言うものを取り戻す作業を始めている。

私は極めて他者優先的に生きてきた、様に思う。
それもあからさまに自己犠牲を振る舞うのではなく、ごく自然にそうなる様に他者も自分をも騙しながら生きてきた気がする。

母を失った時諸々感ずる事もあったが、後からボディーブローの様に効いてきたのは母の中での私の存在の希薄さであった。
遺品の中から出てきた、日記ともつかない覚書のようなもの。
母の意識は祖父と父(の幻影、とでも呼ぶべきか、甚だ本来の姿とはかけ離れたものだったが)へ向けられており、私への記述はほぼ無かった。

少なくとも私が10代後半から母が没するまでの間、母から見れば足りなかったのかもしれないが、身近な人間の中でその愛憎を受け止め続けたのは私だと思っていた。
でもそうではなかったのだ。
母にとって私の忠誠はあって然るべきものであったのだろう。
空気のようなもの、とでも言えば良いか。
私にはそれが後から結構効いてきた。

息子についてもそうだ。
なぜ人は愛されると、それを当たり前だと思うのだろうか。
私はいつも不思議である。
なぜその愛が永久に自分に注がれると思えるのか、そこが根本的に分からない。
それともありのままで愛される事を知っている人はそう陥りやすいのだろうか。
それでも息子は息子なので、その出現に一番責務があるのは私であり、それを社会的に全うする覚悟は勿論ある。
しかしながら、あまりにも尊大な態度を取られると、親とは言え人間である。
どんなに馬鹿にされようと無償の愛を注ぎますよとは思えないし、個人的にはする必要はないと思う。
つまりはそうした親の愛を拒絶出来るまでには育ったと言う事なのだから。

とにかく私は20年以上振りに「個」としての自分をもう一度手にしなくては、ここから先生きる道が見えてこないと思っている。

と、言う事でお盆休みの間、とにかく自分の好きなことだけしてみた。(結局そんなとこからしか始められないのが悲しいが)
延々ツムツムをしてみたり、習い事を始めてみたり、寝たい時に寝たり、読みたい本を読んだりとか、書いてみるとただの休日みたいだけれども、他者の心を気にせずに何かすると言うのは久方ぶりなので、何ともこうふわっとした気分になる。

今回読んだのは、藤本ひとみさんの「マリー・アントワネットの娘」と、松尾スズキさんの「東京の夫婦」。
全く繋がりのない内容な筈なのに、不思議な所でリンクしていた。

マリー・アントワネットの娘とは即ちマリー・テレーズの事であるけれど、母のアントワネットに比して致し方ないけれども記述やエピソードが少ないので、パッと手に取った。
松尾スズキさんの方は雑誌の連載をまとめたもので、再婚をきっかけに東京で暮らす夫婦についてのエッセイだ。

取り上げる内容も全く異なるのに、二冊とも子供について言及する箇所があった。
松尾スズキさんは自分は子供は持たない、持ってはいけないタイプの人間であるという信念のもと、前妻さんとの間にもお子さんは無く、二度目の奥様(20歳年下!!)にも予めその旨を伝え、納得の上入籍をされたとのこと。
実際の所私だって子供を持って良い人間だったかどうかなど、皆目分からない。
寧ろどのようであれば、その資格があるのかなど突き詰めれば誰にも分からないと思う。
親ではあるけれど、私は元来子供は苦手だし。今ではつい反射的に赤ん坊を見ればデレてしまうけれど、幼稚園に入るくらいになったらもうアレだ。
個性がハッキリし出す頃には、うわーこの子ニガテーみたいなのはもうある。
つまり親になったからとて、そんなに変わるものでも無いと思う。
松尾さんが嫌なのは子供そのものではなくて、親になると言う事なんではなかろうか。
まあ、つまりは何か得体の知れないものを背負うと言うか。
勝手な推測でごめんなさい、松尾さん。

そして藤本ひとみさんの方は、マリー・テレーズの生い立ちを語る中で、ご自身がお二人の娘さんの母親であること、その性格や性質には環境や育て方もあるけれど、遺伝と言うものを感じずにはいられない、と言うことが書かれていた。
これには私も頷くところがあって。
うちの息子は生まれてから記憶のないうちにしか自分の父親に会っていない。
別に禁止してる訳でもなんでもないのだが、会いに来ないので。あはは。
なのにも関わらず、似てくるのである。
顔ならまだしも性質までもが。
勿論育て方云々もあるとは思うのだが、まるっきり違う環境に育った元夫と息子が、同じ様な性質を見せる事に驚く。
また遺伝子と言うもの強さをまざまざと見せつけられている様な気がしてならない。

また藤本さんは別項で、子供が有った方が良いか否かについても述べている。
どちらでも良し、と。
お子さん達が居たから豊かになった部分もあるけれど、居たからこそ失われたり傷ついた部分もあり、結果イーブンだ、と言う様な事を書かれている。
そうだよなあ、と思う。
子供がいたから分かること。
子供がいないから出来ること。
コインの表裏みたいなものなのかもしれないなと思う。
どっちだから幸せ、ではなく、どっちの道にも幸不幸が転がっていて、それを味わって生きる他無いんだろう。

松尾さんのエッセイには他にも色々なエピソードがあるが、まあこんなにも男性というものは揺れているものなのか、と言うか笑
高校生男子と変わりないな、とつい思ってしまって。
20歳お若い奥様の溌剌さと逞しさに比べ、松尾さんのセンシティブさが際立つ。
勿論お仕事ではここで敢えて書く必要の無いほどの才能と実績をお持ちなのだけど。
…改めて男の人って変わんないだな、って思っちゃったりしました。

マリー・アントワネットの娘を書かれた頃の藤本ひとみさんが49才。
東京の夫婦の書き始めの松尾スズキさんが51才。
ほぼ同年齢で書かれた本でありながら、藤本ひとみさんの確固たる実存感と、松尾スズキさんの水彩画の様な儚さ。

比べてどちらがどうと言う事ではなく、初めてと言う訳では無いけれど、男女の輪郭の違いと言うものについて、なんとなく感じ入ったのだった。


あじさい

  • 2017.08.14 Monday
  • 09:12
紫陽花の季節はとっくに過ぎているのだが。

…ああ…いいなぁ。
SNSってこういう時良いような悪いような。
ついつい渡會さんのNEW SONGツアー、京都のセットリストを見てしまい、まじかー、となっている。

だって、まさか吉井バージョンのDon't look back in angerやるなんて。良いなぁしか出ないじゃないすか。
…良いなぁ…。
イエローモンキーではやらんだろうし、もう生では聴けないかなーなどと思っていたけど、渡會さんがやるなんてなぁ…。

このカバーの事はよーく覚えている。
と言うかきっとこれからも婆さんになっても覚えているライブの一つだと思う。
2007年のGenius indianツアー、初日の仙台で聴いたのだ。
何せそのライブはライブ自体がめちゃくちゃ久しぶりで、諦めようかと思ったけどどうしても行きたくて、当時幼稚園の息子を夕方から両親に預けて、何とか行くことが出来たのだ。(昭和型両親には何とも理解し難い行為だった様だけど)
てか10年前かよ…おわぁ…怖い、時の流れって怖い…。

仕事以外で子供と離れるのは息子が生まれて初めてで、一人で乗った電車での手持ち無沙汰さと肌寒く感じる程の身軽さは今でも覚えている。
今でこそ日帰りで東京行ってくるわーと言える程に大きくなったが、当時息子を置いて遊興に繰り出すなど、ものすごい罪悪感だったのである。
今思えば一般常識的に鑑みても、幼稚園の息子を祖父母に預けて、休みの日の数時間見てもらうだけの事にそこまで罪悪感を抱かなくても良かったのでは、と思う。
でもホント当時の私は、不倫相手と密会でもする様な罪悪感を持ってライブ会場に向かっていた。
それだけ色々と切羽詰まってたんでしょうなぁ。(まあ今もそう大差ないのだが)

おおよそ7、8年振りだったのかなぁ。
ともかく物凄く楽しかったのを覚えている。ま、そらそうだよね笑。
息抜きというものをそれだけしてなかったらね。
鳥肌が立ったり、多幸感に浸ったり、まあ楽しかった。

そしてその前のツアーからかな、恒例みたくなっていたカバーで、Paint it blackとDon't look back in angerをやったのだ。
Paint it blackも秀逸で、吉井和哉独特の皮肉めいたユーモアが満載で耳心地が良かった。
でもこれが、もう、Don't look back in angerがね。
思えばあの頃から吉井さん、少しずつ優しさを出す様になったよなぁ笑
とても素直で衒いがなく、でもちょっと疲れていて優しかったのだ。
その優しさがちょっと尋常じゃなかった。

空耳的に聞こえた所から意訳した、と本人が言っていたけれど、勿論意訳なので本家のファンからは賛否両論あったみたいだけど。
けれどその内容はタイトルどおりの意訳になっていると個人的には思う。

何か今すごいものを聴いている、と思いながら聴いていた。
そして2番のサビ前。
「君が大事にしてるもの程 これからもさらに奪われていくだろう でも生きていかなくちゃなあ」
初めて聴く歌詞なのに、途中から何を言われるか分かってしまった様な、不思議な感覚になって。
そして本当にそう歌われた時、思わず涙がこみ上げてきて、でもこれでボロボロと泣くのもなんか癪で、顔を背けて堪えたのだった。

あれから10年経った、と先程気がついたけど、時折何かある度に前述の歌詞を思い出す。
悔しいけれどその通りだなあと思いながら。
失くさない様に失くさない様にと思っても、手の中にあるものはいつの間にか姿を変えている。
それに変わるなと迫っても、変わっていないと自分を誤魔化すことも詮無い事だ。

…っていう思い出があるので。
ああー聴きたかったなあ…。
またいつかやってくれることを願おう。

思春期

  • 2017.08.12 Saturday
  • 17:47
ああ もうどうして

なぜ差し出したものに手をつけないの

手を変え品を変え

食べやすいように努めても

まるで腹の空かないロボットみたいに

透明ななりでそこに居る

それなのに

眠りの中や家事の合間に

背中の方からやって来て

私の骨を盗んでいく

骨に付いてる僅かな肉を

お前は泣きながら食んでいる

欲しくないのに腹が空く

仕方なくお前は私の背中から骨を取る

次の日にはまた透明なロボットの顔で起きている

骨も肉も惜しくは無いが

なんと思春期とは恐ろしい

ああ もうどうして

背中の穴が塞がらない


良いも悪いもないけれど

  • 2017.08.10 Thursday
  • 01:19
うーん、ま、なんつーか。良いんだけどさ。うーん。


THE YELLOW MONKEY、11月にドキュメンタリー映画『オトトキ』公開。キャッチコピーは「4Pしようぜ。」


…なんかこう…微妙な…。
いや、まず、なんだろうな、えーと、どこ向け?誰をターゲットにこのコピーなんだろうかと。
私もそこそこヘビーなファンだと思ってるし、エロいからヤダとかそんな話ではないし、そんなの嫌ならまずイエローモンキーのファンやってられないしね。
だからその、ぶっちゃけダサいよね。
でももしかしてそのダサさも狙ってんのかなとか、本編観たらそれがダサいでは無くて膝ポンなのかなとかさ、思ったりはするよ。
でもそれってやっぱある程度ズブズブのファンだからじゃないすか。
フツーの一般の方はいきなり4P、しかもおっちゃん4人でって引くじゃないですか?
その音楽において、という事だと分かっていても多分キモって思う人も多いと思うんですよね。
ん?て事はアレなのかな、やっぱりちょっと引かせたいのかな、とかね。深読みもしますけど。

上映の劇場の数や公開日も一日と言う事からして、一般の人へ見せたいと言うよりも、基本的にはファン向け(まあバンドに纏わるドキュメンタリーなど基本ファンしか興味も無いだろうけど)なのだろうし、イエローモンキーと言うバンドがどういうバンドか予め知っている人を念頭に置いてるのかもしれないけど。

でもそれだとしたらちょっとズレてる気がするんですよねえ。
パンドラのコピーもビジュアルもドンズバだったから余計に感じてしまうのかもしれないが。

あと4Pは置いとくとして、オトトキと言うタイトルも…うーん…。
単純に考えて「音」と「時」を連想させるけど、まさかそのまんまって事は…(怖)
フツーに、と言うか特報でやってたShow must go onで良かったやん、タイトル。てかそうなると思ってたわ。
それで何よりなんか、こうやってファンがうーんうーんってやってダサくない?とか言ってるのを、吉井さんがしてやったりとか思ってて、公開されたらなるほどー!とか思っちゃったら悔しいよな、とか笑。
でもオトトキは…ちょっと…笑
多分公開されてもちょっと…って思うと思う。
何か意味があるのかな?と思わせるには半端なフックだよなぁ…。
もういっそのことタイトルをヒエログリフとか象形文字とかにすれば良かったんじゃ、などと思ったりして。うはは。

まあ4人がこれで良いんじゃないのーと了承したのか、まるっと丸投げなのか私には知る由もないけども、このタイトルとかコピー見てたら、あーこの人らは日本のスタンダードになる気は無いんやなーと思った。
もっとこう、格好のつく感じで持っていかないんだ、みたいな笑
絶対色々言われるだろな、と言うことも織り込み済みでの事なんだろうなと思う。

…でもちょっとダサいよ笑
でもダサいのに最終的にかっこいいなと思わされる、と思うし、そう願う笑。

昨年末のメカラウロコで言ってたエマさんの言葉がふと。
今年以降の活動でどう見せていくかが大事、みたいな事。
それが4Pかどうかは知らないが笑、なんと無くそう言う事もあるのかなあと。

90年代にメインストリームに異端を持ち込んで、そのクオリティとセールスとを両立させた人達だから。
表裏とか境界線の上とか、そんな感じの所を歩いてほしいな、とか勝手に思うよ。

  • 2017.07.30 Sunday
  • 00:43
老爺が死んだ

ボロボロの衣服とすり切れたサンダルで

痩せさらばえた赤銅色の体を 路に投げ出して死んだ

体以外は何も無く 瞳はかたく閉じていた

老婆が側で祈っている

小さな体を鞠のように丸め 不思議な言葉で祈っている

大丈夫 これで彼女に逢える
四十年と少しばかり経ったけれど
あの人はきっと 昔のように美しい

周りの人には分からぬ言葉で 延々老爺に語りかける

そしてそれから独りごちる

あんたはいいじゃないか
あっちに待ってる人がいるもの
私には誰もいやしない
こっちでもあっちでも 誰も待ってなんかない

それから老婆は胸元から 一輪花を取り出した

老爺は花を握らされ 老婆はゆっくり立ち上がる

猫が一匹寄ってくる

もうすぐ夜がやってくる

老婆はゆっくり歩き出す

まだパンは残っていたかと思いながら


渡會将士マスターオブライフツアー2017『NEW SONGS』 7月29日 仙台

  • 2017.07.30 Sunday
  • 00:01
例えば先日のダンスや舞台、海外から来る名画などを見に行くのなら、遠征したりしてスペシャル感があったりするのもまた一興だ。
その余韻なんかも含め、前後からグラデーションの様に感じていたいと思う。
でも音楽は出来るだけ日常に沿っていて欲しい。
はい、と綺麗なリボンの掛かったプレゼントであるよりも、肌馴染みの良い部屋着の様に、リネンにふりかけるヴァーベナの様に常に無意識的にそこにあって欲しい。

つまり何が言いたいかと言うと「家から近いって良いよね☆」って事です。
ライブが終わって、ラウンジを出た後私が思ったのは、洗濯用の洗剤買って帰らなきゃなー、だった。
私にはそれが嬉しいのである。


渡會将士初心者の為、曲のタイトルも曖昧ではありますが、ツアー初日でもあるので下記へ。
(あまりご覧になる方も居ないとは思いますが、ツアー内容に触れる事もありますので、ご注意下さい。)
続きを読む >>

母子間コミュニケーション

  • 2017.07.24 Monday
  • 22:46
世のお母さん達は息子とどのような会話をするのだろうか。

私は自身が娘であったので、母娘間で交わされる会話については、各ご家庭で特徴はあれど大体の想像がつく。
しかして私は姉妹育ちであり、男の兄弟が居ないので、母と息子と言うものの距離感ないしは親密度がどの程度であればOKエリア内なのかが良く分からない。

つい先ほどの出来事である。
発端はこの間の休みに、深夜帯の映画を観るともなく観ていたのだけど。
北野武監督のあのHANA-BIであった。
なっつかしーなぁ、なんて思いながら歯磨きしたまま見ていたのだけど。
途中から、あっれ、この時のたけしさんてこんなにむちゃくちゃかっこよかったっけ、うわーすんごい色気あるわー、とか口を歯磨き粉まみれにしながら思っていた。
そりゃーHANA-BIが公開された頃なんて10代の少女であったので、大人の男の色気などと言うものには目が行かず、淡々と織りなすバイオレンス、それが連綿と続くシュールさの方に気を取られていたのでね。
改めてやっぱたけしさんてモテたんだろうな、なんて思ったよね、なんて話を息子にしていて。

でもあのHANA-BIのたけしさんのかっこよさは決して健全なものでは無い。
偏り過ぎた世界に身を置いた男の、正常値と言う枠の存在しない、いわば恒常的な狂気が磨いたかっこ良さだ。
で、も。
そう言うものが好き、と私の扁桃体が言うもので。
それは対極にある普遍的な幸福というものの素晴らしさを否定するものではなくて、破滅や刹那のもたらすどうしようもないカタルシスに足を取られてしまう性質としか言いようがない。
お天道様の下を堂々と歩ける幸福が一番良いに決まってる。それはもう水が上から下へ流れるかの如く、絶対的な真実だ。

それでも(しつこい)、行く道が全て無くなって、有るのは荒涼とした景色だけ。生きてる今を保証するものが何もないような物に惹かれてしまう。
…てな事をざっくり話した後、
「死んでもいいと思うような、強烈な幸せが欲しいんだよね。」
と口が喋っていた。

あれ、そんな事思ってたんだ、と喋ってから気がついた。
正確には『まだ』そんな風に思えてたんだ、かもしれない。
すり減るような毎日で、とっくにそんな強い願望は消えていたと思っていた。
思うより人と言うのは強いものである。

とまあ、こんな話を息子にして、あ、わりかし私まだ行けるんじゃないの的な感覚を覚えたのは良いけれど、こんな話って普通のお母さん達は息子にしないのかなあ、と。
娘と言うのは母親をなるべく助く存在でありたいと願うものだけれど、息子と言うのはどうなんだろうか。
そのへんは娘も息子も同じなんだろうか。

正直異性の子供に向かうと言うのは何年経っても、いや年を経れば経る程難しいものだ。
女性に対する感覚のベースが私になるのかと思うと、ちょっとヤバイなとしか今のところ感想が出ないが。
まあ、仕方ない。
私も私でしか在れないのだから。
こんな親嫌じゃと思ったら、いつでも捨ててくれて構わんよ、息子。

君の未来は君の為に。

風の歌を聴けよ

  • 2017.07.17 Monday
  • 23:23
最近ものすっごく遅まきながら、brainchild's の存在意義を一人噛み締めている。
やっぱりエマさん、菊地英昭と言う人の大きさと言うか。プレイヤーとしては言うに及ばずだけれど、そのもっと深い所での懐の大きさって言うのかな。
イエローモンキーだと、どうしてもそれぞれが巨頭感があるのでほんわかした部分だけが目立つけれども、ブレチャでのエマさんの采配や選択を見るに、年下のミュージシャンがみんなしてデレる意味が分かると言うか。

そして意図的なのか偶然なのかは知らないが、帰路に立ったミュージシャンに対してふと手を差し伸べる様なオファーをしているような気がする。

確かKeitaくんは音楽やめようかな、だっかやめて会社勤めをし始めたかなんかの時にエマさんがオファーしたとかだったような。
7期のワッチくんはバンドを休止して一人でアメリカに行ってる最中にその連絡が来たとか。
オファーからしてドラマチックやないですか。

レコーディングの感じとか見てても、みんな絶対緊張するし、なんか言われたら絶対ハイって言わざるを得ない環境なのに、あの独特のふんわり感でいつの間にかみんな笑ってて。
人のポテンシャルを引き出すのがこんなに上手い人だとは、思ってなかったですよね。
なんか前期イエローモンキーの時はもっと自由人なイメージがあったから。

7期のブレチャを昨年聞いた時、ボーカルのワッチくんに度肝を抜かれた。
一聴した時は今時珍しい程癖のあるボーカリストだなぁと思った。
歌い回しも言葉遊びもかなり熟練したもので、下手をすると好き嫌いが大きく分かれる様な歌い方だと思ったが、非常にスレスレのラインでそこを回避していて、しかも声質が素敵なので、そこまで計算に入れてのあの歌い方ならすっごい人やんと思っていた。

申し訳ない事にワッチくんの休止中のバンドFoZZtoneについては、雑誌とかで名前を見かけた様な…と言う位の知識しかなく、ブレチャで聞くまで全く前情報が無かったのでビックリした。
ビックリしたし、渡會将士と言う人をもっと早く知りたかったなあと言う思いと同時に、こんな才能が一部でしか取り沙汰されないと言う日本の音楽業界は改めてク◯だなぁと思った。
ま、そんな事言ったらいつの世の中でもク◯じゃない時期なんてほぼ無いんだけれども。
だけれども、それにしても酷いと思う。

ざっとFoZZtoneの事を調べてみて、なるほど、と思う。
そして色々あったワッチくんに取って、憧れのエマさんからのオファーと言うチャンスと吉井さんからの最大の賛辞は多少なりとも傷を癒す効果はあったのではないだろうか。
いいよなぁ、私も吉井さんから褒められたい。(なにで)

ソロアルバムのマスターオブライフを聞いてまたビックリだ。
この人の引出し多すぎなーと思う。
そして微妙にあれ?私より年下よね?と思う様な、かつての名曲へのオマージュがあったり。
割と身近な、本当にあった出来事を歌詞にしている様だけれども、これは中々に難しいのであって。
おかしみと哀しみとを両立させ、時々ギュっとなる様な真実をそこに混ぜ込む。
タイトル曲の「マスターオブライフ」で、
『人の気遣いや声にならない痛みキャッチしてしまう』
明るい鼻唄みたいなノリなのに、サラッとそんな事歌うんで、おばさんビックリ。
そして「新千歳空想」の千歳を生きるならと言う発想は新鮮だった。
絶対やだもん。
千歳生きるって拷問じゃん。
きっとワッチくんはまだ自身の老化を感じていないに違いない笑
まあ万能細胞と歌ってるから、(元気に)千歳を生きるなら、なんだろうけどね。
後FoZZtoneの曲(全部聞いた訳じゃないが)に割とmoneyや金と言う単語が多くて、彼ら世代のミュージシャン達の窮状が透けて見えた。
宗清さんの「3枚(アルバムが)売れなきゃアウトです。」がしみて来た。それに比べてお前は…と言われた吉井さん笑
音楽ゆとり世代by吉井(さんスタッフ)であればFoZZtoneの状況も変わったのかもなあ…などと由無し事を思う。
それとバンドでもソロでも割と夢で会いたいとか、私が夢に出ますようにとかがあって、どんだけ夢で彼女に会いたいねんと。
分からなくないですけどね、なんか。
夢で会うとその人のイメージだけ抽出されるような感じがしてね。

そんなこんなでまた聞かなくてはいけないミュージシャンが増えたですよ。
ソロのライブもあるとの事で行ってみようとチケットを予約しました。
ええ、無駄にアグレッシブなのがおばさんなんです。

FoZZtoneのNO WAY NOWAY。
公式チャンネルに上がってるGO WAY GO WAYと繋がったMVを見た時、あれ、これなんか…と思ったらちょっとエレカシのコールアンドレスポンスのMVに似てるんだなー。
コールアンドレスポンスのが不吉だけど。
曲自体はガストロンジャーに似てるなと思ったけど。
意識して作ったんだろか。
ちょっと洗練されたガストロンジャーみたいな笑
何となくではあるが、確かにワッチくんの中にはミヤジの匂いもちょっとする。
どうでも良いけど、NO WAY NO WAYのMVで曲調が変わって何だか可愛いピクニックみたいなのから元の曲調に切り替わる時のワッチくんの顔良いですよね。
ああいう何しでかすんだか分からないような顔の人、減っちゃいましたよね〜。
でもまあ私あの、アール・デコの時代ってあんま好きじゃないんですよ。
画一化した感じが工業臭がすごいって言うか。
アールヌーヴォーの時代の方が好きで。
結局そう言う事なのかとは思います。
時代に合わなくても知るかと。好きなもんは好きだし、嫌なもんは嫌だ。


好きな音楽を鳴らしてくれる人達が居ることに感謝しよう。

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